2021-01-01から1年間の記事一覧
「死」について、猫も考えていますよね。きっと、絶対。いえ、考えてなくても、感じているはずですよね。ずっと傍で暮らしていた猫の匂いやモフモフや足音や鳴き声や寄り添ったときの身体の温かさを。それらを感じられなくなったときの寂しさを。 花は陽の当…
アガパンサスの花を見ると思い出す人がいます。と言っても、色っぽいお話じゃないです。 久しぶりに書きます。というか、久しぶりにブログを書きます。毎日何かしら文章は書いていますが、はてなブログを書くのにはパワーがいるので、ブログ用のパソコンをし…
明けない夜はない 座右の銘を訊かれると、いつもこの言葉を応えてきました。どんなに辛い状況であっても、延々とそれが続くことはない。いつかきっと穏やかな朝を迎えることができるはず。辛い状況を乗り切れるヒントをそのうち思いつくかもしれないし、自分…
連載6回目、最終回です。小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^) www.keystoneforest.net * 「──夢はいつもそこで終わります」 店内はすっかり静寂に包まれていた。マイルス・デービスは…
連載5回目です。小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^) www.keystoneforest.net 『瓜』の家の墓地では、祖父の三角瓜が一際目立っていました。一升瓶の倍近くの高さがあって、他より一回…
連載4回目です。小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^) www.keystoneforest.net * 囁くような小さな音が聞こえます。白い靄のようなものが辺りに立ち込めています。その中に私の身体は…
連載3回目です。小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^) www.keystoneforest.net * 客の男は煙草は吸わないらしい。口寂しそうに爪を噛んでいる。私はナッツをいくつか小皿に盛って男の…
連載2回目です。小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします。 www.keystoneforest.net * 私は山歩きが趣味でして、お盆休みを利用して毎年あちらこちらの山へ登るのを楽しみにしています。いえ、…
『森の奥へ』へお越しいただきありがとうございます。いつもは、山猫のつぶやきあれこれを掲載していますが、今回は小説創作です。今回の創作短編小説『三角瓜の実る郷』は原稿用紙換算で55枚くらいになります。1記事あたりの分量としては多いと思います…
同じ朝、同じ昼、同じ夜。仕事を終えて帰宅して、何はともあれ、まずお風呂。夜はのんびり食べて飲む。家族みんなが揃うのは夕飯の時くらい。少し話して、少し聞く。子供らは数回ご飯をお代わりし、それでもすぐに食べ終わり、部屋へ戻って誰かとゲーム。わ…
わたし山猫は令和3年3月末日をもって定年を迎えました。 3月31日は最後に退職辞令(だったかな?)を受け取って職場を出ました。あれこれ挨拶を交わすのが性に合わないので、わたしは目立たないように視線を下げて職場を辞しました。何気なく退勤のタイ…
happy-ok3(https://happy-ok3.com/) さんから、 「阪神・淡路大震災から26年が過ぎ、27年目に入りました。でも、風化させてはいけないと思います。」 と『震災通信』最終回の記事にコメントをいただきました。 風化させないこと、、、わたしたちにとって一番…
* 『震災通信』の連載中につぶやいたこと、思ったこと。Twitterから引用します。 2021年1月18日、この日の朝も冷えました。寒いけど朝焼けはきれいです。寒くなればなるほど美しくなります。駅までの尾根筋を下る通勤の途中、欠かさずこの場所から東…
* 『震災通信』後記1/5~『震災通信』後記3/5の記事は、阪神淡路大震災から10年近く経った2004年11月10日発行の同人誌に掲載したものです。今日は2021年3月12日。『震災通信』を書いてから、さらに16年あまりが過ぎました。 その間に、大きな被害をもた…
* 白米一キログラム、米麹五〇〇グラム、ドライイースト小さじ半分くらい。 これらの材料から、「おいしい甘酒」約三リットルを作ります。蒸したお米に麹とドライイーストを混ぜて水を二リットル強加え、二日くらい置くと甘酒状になります。さらに寝かせる…
今(※この文章を書いたのは2004年です)私には息子が二人いる。上の子が幼稚園の年中組に通っていて、下は次の震災の日の翌日、二歳になる。二人の名前は長男Mと次男Kという(※二人とも漢字一文字の名前です)。 そう、君たちのことだ。 ところで私の祖父…
わたしは阪神淡路大震災の翌春、大阪文学学校という文章教室に通い始めることにしました。そこには、文章について学ぶというより、小説について語り合える仲間たちと、時間と空間とを共有できる面白さがありました。もちろん、お酒を飲みながらそれを味わう…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日から51日目、平成7年3月8日水曜日、わたしは結核性胸膜炎で国立神戸病院(現・神戸医療センター)の結核病棟に入院す…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日からちょうど50日目です。長いお付き合いありがとうございました。日記編はこの日で終わります。 3月7日(火) 母から…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から49日目です。入院することになりました。 3月6日(月) 早朝、息苦しくて目が覚める。胸に激痛が走り、それから眠れ…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から48日目です。今も時折り思い出す苦い日です。この日が区役所応援最後の日になりました。 3月5日(日) 今日の被災家…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から47日目です。背中の右横の部分が痛くて夜中に何度か目を覚ましました。 3月4日(土) 市の外郭団体「西神開発」I岡…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から46日目です。無性にラーメンが食べたくなりました。 3月3日(金) 公休。 無性にラーメンが食べたくなって、開店を1…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から45日目です。 3月2日(木) 今日の被災家屋再調査のペアは、北区役所からの応援のT寺さん。去年採用とのことで、や…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から44日目です。 3月1日(水) 今日から新体制。20人くらい応援部隊が増強された。一応、僕も家屋再調査の経験者とい…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から43日目です。2週間遅れのバレンタインチョコをもらいました。 2月28日(火) 久しぶりに南蛮美術館(※当時の本来の…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から42日目です。おばちゃんと気の合う日。 2月27日(月) 今日は、F井さん(※本庁職員)と被災家屋再調査のペアを組む…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から41日目です。 2月26日(日) 「自治労」の応援は今日はなし。いきなりペアがなくなってしまった。上からの指示もな…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から40日目です。頭が割れそうに痛みました。 2月25日(土) 姫路からやってきた「自治労」の応援職員とペアを組んで被…
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から39日目です。北海道から応援に来られた水道局の人に、わが家の漏水箇所の修理をしていただきました。 2月24日(金)…