森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三角瓜の実る郷 (創作短編小説) 5/6

 
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連載5回目です。
小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^)

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 『瓜』の家の墓地では、祖父の三角瓜が一際目立っていました。一升瓶の倍近くの高さがあって、他より一回りは大きかったでしょう。滑らかで触り心地のよい表面が見事な焦げ茶色をしていて、光の具合によって時折瑠璃色の輝きが見て取れるほど立派なものでした。一方、父の三角瓜は三十センチくらいしかなくて、色もくすんだ緑でした。
 『瓜』は墓掃除の最後に必ず祖父と父の三角瓜を磨くことにしていました。磨くほどに色あいが深みを増していくように思っていたのです。耳元で静かに揺すってみます。小さく乾いた音がしました。何か話しかけてくれるのをいつも『瓜』は期待していました。時々父の声がしたように思い、また代わりに祖父の言葉が聞こえてきたような気にもなりました。でも、それらはたいてい風の音に紛れてよく聞き取れませんでした。
 お前のお父さまは働き者で本当に優しいお方でした。せめてもの供養にいい三角瓜に容れてさしあげたかったけれど、まさかあんなに早く亡くなるとは、誰も思っていませんでしたよ。
 父の一周忌を迎えた朝、母はそう言いながらつらそうな目をしました。『瓜』は母が弱音を吐く姿を初めて見ました。まだ幼かった『瓜』には、本当のところ、死がどういうものなのかよくは分かっていませんでした。一生懸命に三角瓜のお世話をすれば、ご先祖さまたちとお話ができて、お爺さまやお父さまとまたお会いすることもできる、そう教えられて、そっくりそのまま信じていました。ですから、死が悲しいことで、また怖いものだなんて少しも思ったことはありません。ところが、すぐ目の前で母がぽろぽろと大粒の涙を流しているのです。わけが分からないまま、『瓜』はそっと手を伸ばしてそれを拭ってあげたいと思いました。
 お母さん、どうして泣いたりするの? 寂しいの?
 『瓜』はとてもいたたまれないものを感じました。そして、なんとかしてあげたいと一心に思いました。
 『瓜』の祖父は、自分の葬儀には、参列してくれた人たちみんなから羨まれるほど立派な三角瓜を用意していました。若いころからいろいろ工夫して、色も形も大きさも見事な瓜を育てあげていたのです。
 あの瓜に容れてもらえると思うとほんに楽しみでな、一日も早く死にたいものだ。
 と、祖父は縁起でもないことを半ば本気のように言っていました。その祖父の葬儀を終えて亡骸を焼いた後、父は祖父の三角瓜に詰める分だけを残し、その灰の大半を祖父と懇意だった人たちに、弔ってもらった「お返し」として配ってしまいました。
 もっと残しておいて、家で使えばいいのに、と母は内心思ったそうです。でも父は、自分はまだまだ若いし、先に必要な人に使ってもらえればいいんだよ、と穏やかに言っただけでした。そして結局は、父が急な病いで亡くなったとき、間に合わせの三角瓜しか手に入らなかったのです。
 欲のない方でした……。
 そう言ってまた『瓜』の母は嘆きます。父が亡くなってから一年が過ぎ、気持ちの張りが解けてきたのでしょう。

 

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 男は三角瓜の種子ばかり選んで口に放り込んでいる。
「慣れないうちにあまり食べ過ぎるとお腹を下しますよ」
「大丈夫さ……。それで、そこにある三角瓜って出来はどうなんだい。良い方なのか?」
「大きさはそれほどではありませんが、手入れの方は充分にしています。ね、どう思われます? この色」
 私は三角瓜を照明にかざしてみせた。瓜は深く青い光を放っている。明かりが反射しているのではなく、三角瓜自体が光っているように見える。
「で、さっきマスターが言ってた灰って、何に使うんだい」
「灰は三角瓜の肥料になります。もともとはこの通り食用ですから、ちょうど種子が食べ頃になるお盆の前後に収穫してしまいます。その時期は瓜はまだ三角になっていません。ヘチマのような形をしています。三角瓜に育てたい特別な場合にだけ、その灰を使います」
「そうか、肥料ね」
「瓜の蔓も、焼いて肥料にします。焼き畑という原始的な農法がありまして、今でも熱帯地方では、この農法で作物をつくっているところがあるそうです。ただ野焼きをして、種子を播く。それだけです。燃やした草の灰が土の養分になるのです。村の三角瓜の育て方も基本的には同じです。違うのは、草以外の灰も加えるということです」
「それが人を焼いた灰ってわけか」
 男は案外面白がっている様子にも見える。
「夏、収穫せずにおいておくと、秋にかけて瓜はさらに大きく育っていきます。うまく育つと、やがて頭の部分がこんなふうに三角に尖ってくるのです」

 

 『瓜』は母のために三角瓜をつくってあげようと決めます。兄に頼んで、立派な三角瓜をいくつも育てたという爺さんの所へ連れて行ってもらいました。少し変わり者だけど根はいい人だからな、と道すがら兄は言いました。ところが、兄が帰って爺さんと二人きりになると、『瓜』は少し怖くなってきました。
 お前のような坊主が瓜なんぞつくってどうするつもりだ?
 いきなり爺さんが訊ねます。
 このごろ、お母さんがとても寂しそうにしています。だから……。
 『瓜』は爺さんの顔を一心に見つめながら、できる限り大きな声で答えました。
 ほう。だから、お前が瓜をつくってあげようというわけか。でもな、坊主。瓜なんかいくらあったって慰めにはならんかもしれんぞ。
 そんなことないと思います。家ではみんな忙しくて、三角瓜をつくる暇もありません。お父さんのことがあったから、お母さんはとても心配なんだと思います。
 お前の父親の瓜のことか?
 『瓜』はこくりと頷きます。
 お前の父親のことはよく知っておる。でもな、どんなに小さな瓜だって、少しも気にすることなどない。みんな一緒だ。死んだらみんな一緒だ。
 お母さんは、お父さんを立派な瓜に容れてあげたかったって言いました。
 『瓜』は爺さんを睨みつけるように言い放ちました。固く両の拳を握りしめています。ぶるぶるとそれは震えていました。
 そうか、そうか、しかたがない。ワシの負けじゃ。
 そう言いながら爺さんは、いかにもうれしそうに大声で笑いました。
 爺さんは牛小屋のような粗末な家に一人で住んでいました。何代か前までは村の長を務めていた家筋にあたるそうですが、もうどこにもその面影はありませんでした。
 もともと爺さん夫婦には息子さんばかり五人ありました。ところが、何十年か前、ひどい日照りが続き、川の水が枯れてしまった年がありました。どうしても税を納めるだけの収穫をあげられず、村全体の責任をとって、下の四人の息子さんたちは役人に連れていかれてしまったのです。町で城を造る仕事をさせられたのだそうです。
 一番上の息子さんは家の跡取りだということもありましたが、生まれつき身体が弱かったので、爺さんがこっそりと米を役人に渡して許してもらったのです。それは次の年に播くためにとっておいた種籾でした。
 ところが、一番上の息子さんは病気が悪化して亡くなってしまいます。息子さんたちを失い、奥さんも何年か前に亡くしてからは、爺さんは一人きりで暮らしています。
 なにしろ小さな村のことですから、村中の人の暮らしぶりは誰もがよく知っていました。子供がないのですから、爺さんの代でその家は途絶えてしまうことになります。
 爺さんの家はまるで墓地の真ん中に建っているように見えます。かつてはそこに村で一番立派なお屋敷があったのですが、それはもう取り壊されて、その跡にも三角瓜が並んでいました。爺さんの家のすぐ玄関先には大きな瓜が五つと小振りのものが二つ置いてありました。
 これはどなたの三角瓜ですか。
 息子五人の分と、婆さんの分、そしてワシの分だ。
 お爺さんの家には全部で一体いくつあるんですか。
 爺さんの家の墓地はすでに所々雑草におおわれてしまっていました。
 本当にこのお爺さんが、立派な三角瓜をいくつも育てた人なんだろうか、『瓜』は少し心配になってきました。

 婆さんが死んでからもう長いこと瓜の世話なんぞしておらん。イノシシは暴れるし、雨が染みて割れるし、さあ、今はいくつくらいになったか。……一番多かったときか? そうさなあ、三百と五十か六十か、それくらいだったか。ワシが子供のころ数えたときにはそれくらいあったが、もうよく覚えておらん。これだけの瓜を並べるために、三代前の爺さんはとうとうお屋敷を潰してしまった。ご先祖はみな、さぞかし喜んでくださったことだろう。じゃが、ワシは不孝者だ。家のためになることなんぞ一つもしておらん。瓜もだめにするばかりだし……。そうそう、盗んでいく奴もおるからな。
 三角瓜を?
 そうだ。ほんに困ったもんだ。七代前の爺さんの瓜なんぞ、高さがこれくらいあったんじゃが、誰かが持っていきおった。
 爺さんは自分の腰くらいの高さを手で示している。
 そんなに大きくなるの?
 そうさ、一番大きいのは、お前より背が高かったか。
 どこにあるの?
 もうないさ。灰にした。
 焼いた……、の?
 ああ、焼いた。ワシが焼いた。焼いて肥やしにした。ワシの長男の瓜をつくる肥やしにした。
 一番上の息子さんがもう先が長くないと分かって、爺さんはせめて立派な瓜に容れてやりたいと考え、泣く泣くご先祖様から一つ瓜をもらったのです。
 じゃがな、罰が当たった。三角瓜の罰がな。
 爺さんはその経緯をぽつりぽつりと話し始めました。
 瓜はな、亡骸を焼いた灰を混ぜた土で育てる。それはお前も知っておるじゃろう? だから、瓜には灰の養分がぎっしり詰まっておるはずじゃ。亡骸の灰など、いつ手にはいるか分からんから、代わりにワシは、瓜を焼いてみようと思った。どうせならと、家で一番大きかった瓜を選んだんじゃ。その灰を畑に撒いた。そうさ、そんなことはもちろんもっての外じゃった。
 案の定、次の年の盆には瓜がたわわに実ったものじゃ。ところがな、その夏の暑さのせいでか、長男の具合が急に悪くなってな、三角瓜の世話どころではなくなってしまった。
 秋になって気づいてみれば、いつの間にか見事な三角瓜が実っておった。世話らしい世話は一つもしておらんのにな。
 じゃがな……、それを待っておったかのように、長男が死に、それからその葬儀が済むか済まぬかのうちに、役人がやって来てな、その年の税をよこせというんだ。それこそ、殴りつけてやろうかと思うほど腹が立った。じゃが、そんなことができるはずもない。恐る恐る下の息子たちのことを訊いてみた。役人の奴、何と言うたと思う?
 息子たちは、崩れた城壁の下敷きになって死んだ、と言うんだ。誰が? とワシは奴の肩をつかんで訊いた。奴はうるさそうにワシを足蹴にすると、みんな死んだよ、と言い捨てるんじゃ。詫びの一言もなしじゃった。もちろん税はしっかり取り立てて帰ったさ。
 その秋、できた三角瓜の数は五つ。ちょうど亡くなった息子さんたちの数と同じでした。その五つが爺さんの家の前に置いてあった大きな方の三角瓜だったのです。
 ご先祖様……、いや、三角瓜を怒らせてしまったのさ。瓜を焼いた罰が当たったんじゃ。それきりワシは瓜をつくるのはやめた。ほれ、庭に小さい瓜が二つあるだろうが。あの二つがワシと婆さんの分だ。もう跡を継ぐ者もいないワシの家に立派な瓜なんぞいらん。不格好でも何でも構いやしない。婆さんとワシはそう話し合って、拾ってきたあの瓜を自分たちの墓にすると決めたのさ。

 

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 それから何日か『瓜』は爺さんの家に通い、いろんなことを教えてもらいました。結局、よい三角瓜をつくるのは土づくりからじゃ、と爺さんは言いました。死者を焼いた灰で土をつくり、その養分で育った瓜の蔓をまた焼いて灰にして撒きます。それを何代にもわたって繰り返していくのですから、瓜畑の土こそ家々の宝物だと爺さんは『瓜』に教えたのでした。
 だからな、いくら畑を耕しても、それだけではいい瓜はつくれん。その気があるなら、婆さんの瓜に詰まっている灰を使え。あれはまだ新しいから役に立つだろう。お前のような者に使ってもらってこそ、値打ちがあるというものじゃ。できればもっと若い者の灰の方がよく効くんじゃが、長男の分ではもう古すぎるだろうし、他の瓜は空っぽだからな。
 空なの? どうして?
 役人どもは息子たちの亡骸すら返してくれなんだ。
 爺さんは最後に『瓜』にこう言いました。
 ワシが死んだら灰は村中にばらまいて欲しいと、お前の兄貴に言っておいてくれ。ワシの瓜なんぞ空っぽでかまわん。どうせこの家はワシの代で終いだからな。
 『瓜』は爺さんからもらったその灰で三角瓜をつくることにしました。お婆さん一人分の灰をすべて家の瓜畑に混ぜ込みましたから、その効果は素晴らしいものがありました。『瓜』は墓掃除の合間にせっせと瓜畑の世話に励みました。
 お母さん、三角瓜の花が咲いたよ。きれいな花だね。ほら、こんなにたくさん咲いたよ。
 ねえねえ、実がついたよ。どんどん大きく育てて、一番立派な瓜をあげるね。お墓のお世話も一生懸命やってるから、ご先祖さまはきっと、お母さんを優しく迎えてくださるよ。
 もうすぐ母に喜んでもらえる。『瓜』はその日が待ち遠しくてたまりませんでした。そして……

 

 不意に胸に激しい痛みが走ります。胸が切り裂かれるようです。足元に何かありました……。えぐり取られた胸のかけらです。三角の形をしています。私の胸のかけらでした。慌てて拾い上げ、元の場所にはめ込もうとしますが、どうしてもうまくはまりません。寂しさはますます深くなっていきます。
 どうしようもない寂しさが私を襲います。私は大きく息をつきます。その吐息が白い靄となり、やがて辺りに立ち込めていきます。そして今や、一面真っ白です。どちらが上で、どちらが下かさえ私には分かりません。
 

 

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(続く)

  

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。