連載6回目、最終回です。
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「──夢はいつもそこで終わります」
店内はすっかり静寂に包まれていた。マイルス・デービスはもうとうに演奏を終え楽屋に戻っている。
「その『瓜』はどうなっちゃったんだい」
「さあ……、たぶん、ここに入ることになったのでしょうね」
私は『瓜』を耳元に寄せて静かに振ってみた。カラカラと小さな欠片が転がる音がする。
「村は常に死と隣り合わせにありましたから……」
「じゃあさ、母親を喜ばせてやりたいっていう『瓜』の願いは、結局叶えられなかったってことか」
「そういうことになりますか……」
でも、本当は違う。『瓜』の想いはまだ消えてはいない。もっと立派な三角瓜を育てたい。母に喜んでもらいたい。その無垢なほどの『瓜』の想いは、どれだけの時間が過ぎようと、今に至るまで確かに生き続けている。
私は男の表情を探ってみる。どこまでこの男は話を信じてくれただろうか。私と男との間に沈黙が流れる。
「マスターは今でも瓜を育ててるんだろ。ほら、この種子」
「育てていますよ、狭っ苦しいプランターの中ですが」
アパートのベランダに置いた窮屈なプランターの中で、三角瓜は今、冬を越している。街の暮らしの中で手に入れることができる安らぎっていうのは、しょせんそんなものなんじゃありませんか?
「で、三角になったかい」
「日の当たる向きを変えてみたり、水の量を多くしてみたり減らしてみたり、いろんなことを試しましたが、どうしてもうまく三角には育ちません。やはり土なんでしょうね」
「土か……。なあ、試してみた? 人間の灰」
「そんな。どこで手に入れるんですか」
「任せとけって、そんなもの何とでもなるさ。どうだい。一緒にやらないか」
「やめてくださいよ、お客さん。そんな恐ろしい話は」
「馬鹿だなあ。変なこと考えるなよ。火葬場に行けば何とかなるかもしれないって言ってるんだよ。それに、別に人の灰じゃなくてもいいかもしれないじゃないか。……嫌なら、俺に種子をくれよ。俺が育てるからさ」
「種子だけならいくらでもお分けしますが……」
私は冷蔵庫からタッパーを取り出して男の前に置いた。炒る前の瓜の種子が入っている。
「……いや、いいさ。そんな悠長なことは言ってられないんだ。なあ、本当はさ。他にもあるんだろう? もっと見せてくれよ」
「何のことでしょう」
「とぼけるなよ。瓜だよ、三角瓜」
男は私がもっと形のよい三角瓜を隠していると疑っているようだ。店に入ってきてこの三角瓜を目にした瞬間から、男はこれが欲しくて仕方なかったのだ。
「困りました……。そんなに気に入っていただいたのなら、あれば、いくらでもお見せするのですが」
「何とかならないかなあ。ねえ、マスター」
男は拝むような手つきをする。
「いくらおっしゃられても、本当にこいつしか連れてこなかったものですから」
「じゃあ、その『瓜』はだめかい」
「それは……、ビジネスで、ということでしょうか」
「実はさ、ちょっと今、仕事の方が右肩下がりでね。ここらへんで一山あてないと、きついんだ……。今日もさ、けっこうな出物があるっていう話を聞いて、こんな街まで足をのばしてきたっていうのに、商談不成立。っていうわけで、一人でやけ酒」
言いながら、男はわざとらしくグラスの残りを一気に呷ってみせる。
「今までにも、欲しいとおっしゃった方が何人かいらっしゃいましたが、こればっかりはと、お断りしてきたのです」
「そりゃ分かるさ。でもな、これなら間違いなく商売になるはずなんだ。なあ、マスター。くどいようだけど、なんとかならない? 今ならキャッシュで支払えるからさ」
一人でふらりと初めての店にやってきて、深夜、充分すぎるほどに酔っぱらって、その上にキャッシュでいくらか持っている、と軽々にしゃべってしまう。まったく呆れた人だ。私はこの男の人の良さに哀れみさえ感じた。
「お客さん……、本当に申しわけありませんが、ご勘弁ください。どんなに気に入っていただいても、この『瓜』だけはお譲りできません」
「そうか……」
男は深いため息を吐き出して、顔を背けたままじっと黙り込んでしまった。
ねえ、お客さん、いい方法がありますよ。お客さんご自身であの村に行ってみられればどうですか。今はまだ深い雪に閉ざされていますが、春になれば、雪の下から、何十何百もの三角瓜が現れます。それがみんなお客さんのものになるかもしれませんよ。いかがですか……。
私は『瓜』を抱いて、あやすようにカウンターの中を歩く。抱いている手がほんのりと温かくなった。心なしか、『瓜』が光ったように感じられる。私は『瓜』を男の視線から隠すように、男に背を向ける。
ザワザワとした耳鳴りが聞こえ始めた。例の耳鳴りだった。こんな時間に、酔ったわけでもないのに……。
意識が霞みはじめた。
不意に村を想う。年老いた男や女の顔、そしてあれは『瓜』の母親だろうか? 何人もの顔が浮かんできては消えた。『瓜』が泣いている……。
「……マスター。おい、マスター」
男の呼ぶ声が聞こえた。私は現実に引き戻される。一瞬意識をなくしていたようだ。
「分かったよ。そうするよ。俺が村へ行く。自分で三角瓜を探しに行く。だからさ、教えてくれよ、その村の場所を」
男の表情がすっかり和らいで見えた。
「絶対にな、この三角瓜いけるよ。間違いない。この形、色具合、そして何より手触りがいいなあ……。村に行けばこれがいくらでも手に入るんだよな。なに、ちょっとばかり遠回りするだけだ。そうだよな?」
男は私のすぐ目の前に片手を差しだした。『瓜』が熱い。喜んでいるのかい? お前は。
『瓜』をカウンターに置いて、私も男の方へ手を伸ばす。手を握り返してやれば、この男は必ず村を訪ねるだろう。胸の奥が内側からひっかかれるような妙な痛みを感じた。私は何とかそれを思い切る。そして男の手をしっかりと握り返した。男はうっとりとした表情で三角瓜を見つめている。まるで何かに取り憑かれたかのように。
男に特製のカクテルをご馳走することにした。カウンターにグラスを二つ置く。中はほんのり赤く染まった液体で満たされている。
「私のおごりです。飲んでいただけませんか」
「これで商談成立ってところかい」
男の声はいかにもうれしそうだ。
私は男と視線を合わせることができない。手に取ったグラスを顔の高さまで持ち上げて、中の赤い液体越しに男の顔を盗み見た。
「では、お知り合いになれたことに感謝して」
乾杯。
グラスを合わせる。男も私も一息でそれを飲み干す。
「……」
男はひどく顔を歪める。
「どうしました。お客さん」
男はのどを押さえて激しく咳き込んでいる。空になったグラスがその手から落ちた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか」
男は咳き込み続ける。
「いや……」
男の声はかすれてよく聞き取れない。
「……なんて、苦いんだ。マスター、これ何?」
「お口に合いませんでしたか。ビーフィーターに少し三角瓜の果汁を垂らしてみたのですが」
旅行カバンを引いて、男は街のネオンの中に消えていった。その後ろ姿を私は店のドアの外に立って静かに見送った。もう雪はやんでいる。
三角瓜の種子を土産に持たせた。が……まさか本当にどこからか死体を探してくる、なんてことはしないだろう。
しかし、これほど執心した客は久しぶりだった。今までにも何度か、客の求めに応じて三角瓜の話をしてきた。話を聞いた客はたいてい三角瓜を欲しがった。けれど、どうしても譲れないと断ると、そのうちの何人かは、探しに行くから場所を教えてくれと頼んできたものだった。
そんなとき『瓜』は私の耳元で、教えてあげて、故郷の「村」へ案内してあげて、と優しく囁くのだ。今夜もそうだった。
本当に「村」を訪ねた客は、そのうちのごく数人だけだったかもしれない。しかし、一人として、この店にその成果を携えて戻ってきた者はいなかった。おそらく今夜の男なら必ずあの「村」を訪ねることだろう。けれど、二度とここへはやって来やしない。そして、他のどんな店にだって……。
客たちが三角瓜を欲しがる以上に、三角瓜の方こそ「人間」を欲しているのではないか。いつしか私はそんな考えに思い至った。私をあの「村」から街へ帰したのは、私にこの物語を語らせることが目的だったのではないか。その思いは今では確信に近いものになってきている。
ひょっとして、あの夏の日、私は一度死んだのかもしれない。そしてあの日以来、私の身体と口とを借りて、『瓜』は人間たちを「村」へ呼び寄せようとしているのではないか。私はなす術もなく、ただそこに立ち会っているだけなのではないか。
お前が故郷を離れてたった一人で、こんな街の片隅にまでやってきたのは、そのためなんだろう? だからお前は「村」には戻れない。「村」を毎夜想い返しては、ぼんやりと光ることしかできない。あの不思議な光はお前の寂しさが燃えている明かりなんだ。お前はお爺さんに会えたのかい。お父さんやお母さんたちと一緒に楽しく遊ぶことができたのかい? お前の「村」を想う心に一切の混じりけがない以上、他にどうしようもないんだ……。
私は『瓜』を優しく抱きしめる。
寂しいよな。「村」を離れたお前はひとりぼっちだ。
そう、私も同じさ。私が死んだら、お前は私をどこに連れて行ってくれるんだ。そして、お前は一体どこへ帰るんだい?
さて、もうこんな時間だ。最終電車は出ていってしまった後だ。今夜はこのまま朝までお前とじっくり話そうか。今ごろはきっと、お前の故郷の「村」でも、三角瓜たちがお前を懐かしく思い出して淡く輝いていることだろう。冴え渡る星空の下、厚く積もった雪が瓜たちの輝きでぼんやりと青く光って見える。お前だけが寂しいんじゃないさ、きっと。
私も懐かしく「村」を想う。
願わくば、今夜、お前の寂しさで私の身体にも光を灯してくれないか。