森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三角瓜の実る郷 (創作短編小説) 1/6

 
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『森の奥へ』へお越しいただきありがとうございます。
いつもは、山猫🐾のつぶやきあれこれを掲載していますが、今回は小説創作です。
今回の創作短編小説『三角瓜の実る郷』は原稿用紙換算で55枚くらいになります。1記事あたりの分量としては多いと思いますので、区切りが良いよさそうなところで分けて、6回連載という形で掲載させていただきます。分割することで読みづらくなる面もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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 毎年の事ながら、新年会のシーズンが終わると途端に客足が遠のく。そのうえウイークデイの今夜は、店を開けてからまだ二組しか客が入っていない。二十二時を過ぎたのが合図のように、その二組目の客も帰り支度を始めた。
「マスター、ごちそうさま。いくらですか」
 仕事帰りらしい三十くらいのサラリーマンと職場恋愛中の後輩OLといった感じのカップルだった。二人の会話が耳に入らないように、少し離れたところでグラスを磨いていた私に、カップルの男の方が声をかけてきた。男がハーパーの水割り、女がシンガポールスリング。ナッツを添えて締めて三千円なり。この分では今月はいくらも稼ぎになりそうにない。
 客を見送って店の出入口に立った。開け放ったドアから冷たい風が吹き込んでくる。外は雪になっていた。今夜はこれが潮時だろう。
 駅前のラーメン屋は今夜はどうしているだろう。開いていれば、店の主人と不景気を慰め合おうか。ラーメンで温まったら、いつもより少し早いが帰って寝るとするか。安アパートに帰ったところで、どうせ誰も待ってなどいない。だが、帰る家はそこしかなかった。
「Closed」の札をドアに下げようとしたとき、声がした。
「まだいけるよな」
 紺のスーツにグレーのダウンを重ね着した四十がらみの男だった。キャスターの付いた大振りな旅行カバンを引いている。頷きながら、私は右手を大きく広げて店のカウンター席を指し示した。男はダウンを脱ぎ、背中とカバンとに積もった雪を軽く払い落として、席に着いた。カバンを椅子の傍に大事そうに立てかけるとき、ため息らしき声をもらすのが聞こえた。ズボンの裾がかなり濡れている。
「冷えるなあ。ねえ、マスター。あったまるもの何かない?」
「お湯割り、お作りしましょう
か?」
 私の提案に、男はカウンター正面の棚にずらりと並んたボトルを左から右へとざっと見渡すと、棚の片隅にある一升瓶に目をとめた。そして、ふんわりと表情をゆるませた。
「お湯割り? 焼酎の? 面白いなあ。いいねえ、それにしてよ」
 棚に並べているのはもっぱら洋酒ばかりだったが、焼酎や日本酒も私の好みで置いていた。
「一升瓶の隣にある、その三角形の……ボトル? それも酒かい?」
 男が興味を示したそれは、ちょうど一升瓶くらいの背丈があった。
「お酒ではないんですが……」
 どう答えようか。その先を言い淀んでいると男は重ねて訊いてきた。
「それじゃ、壷かな? いや、花瓶か? ねえ、マスター、ちょっと見せてよ」
 男はすっかりとそれに気を惹かれてしまったようだ。とりあえず、持たせてみることにする。
「気をつけてください。こいつ、見た目以上に、けっこう重いんですから」
「大丈夫、大丈夫。俺、これでもプロだからさ。材質は、木? でも、先っぽがこんなに尖った木なんて見たことないなあ。削ったわけではなさそうだし。いやあ、それにしても良い色つやだな、紫檀のようでもあるし……。それにこの手触り。滑らかで少し湿り気があって、まるで、人の肌みたいじゃないか」
 男はすでに別の店で充分飲んできたようだ。口調が少し舌足らずに感じられる。
 私は男の足元に置いてあるカバンに目を落とした。ぎっしりと荷物が詰まっているようだ。これでもプロだから、とこの男は言ったが、雑貨か何かのセールスだろうか。
「何だろう? もったいぶらないで教えてよ、マスター」
 男は大げさすぎるほどに「困った…」という表情を作り、お湯割りを一口舐めた。
「俺、ディーラーやってるんだけどさ、アンティークの。タイとかベトナムとか、向こうにも行って、けっこう面白いものを見てきたけど、何だろう、これは……、この三角は……。ねえ、マスター、お手上げだよ」
 男は罰ゲームのつもりのような勢いでお湯割りをぐいと一気に飲み干した。そして、お代わりのジェスチャーで空になったグラスを振りながらそう言った。
 少し間をおいて私は答えた。
「瓜です。三角瓜という種類だそうです」
「瓜? サンカク瓜?」
「三角瓜。△の瓜と書きます。瓢箪の亜種でしょうね、たぶん」
「瓢箪か……。そう言われると、確かにそんな感じの材質だな。それにしても、ちょっと細長いけど、よくこんなに削って作ったみたいにきれいな三角錐の形になるもんだな。で、これ何につかうんだい」
 男はますます関心を強くしたようだ。
「お話しても、たいてい信じていただけないのですが、今夜は他に誰もいらっしゃいませんし……。お客さん、お時間おありですか?」
 二杯目のお湯割りを作りながら男に訊ねた。男はネクタイをわずかにゆるめながら、何度も首を小さく縦に振った。私はBGMにかけていたマイルス・デービスのヴォリュームを絞った。

(続く)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。