森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

幸せの定員 (創作小説)  ***+8***

 
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幸せの定員(創作小説)

  

 

 

***+8***

 

  通過電車のアナウンスがあり、ホームレス風の男が電車の方を見ると、プラットホームの端に男が立っているのに気づいた。
 その時間に駅を利用する乗客は勤め帰りのサラリーマンが大半である中で、その男の格好は少し目立っていた。大きく膨らんだリュックを背負ったジャージ姿だったからだ。ジャージ姿の男はかなり酔っているようだった。ホームに近づく電車がレールを軋ませる音が次第に大きくなってくる。別の一人、そっちはサラリーマン風の男だったが、そいつが
ふらふらとジャージ姿の男に近づいていく。突然、サラリーマン風の男は大きくよろけて、ジャージ姿の男の背中にドンと突き当たる。ジャージ姿の男はホームから転落する。その直後、電車のブレーキ音が構内に響き渡る。ホームは大騒ぎに包まれる。サラリーマン風の男はその騒ぎに紛れ、知らぬ顔で改札への階段を上っていく。

  

「……ホームレスのおっさんが目撃したのは、こんな状況だったんだ」
 若い刑事は少々荒っぽい口調で報告を終えた。後を受けて藤村が続ける。
「私たちは松本さんの事故直前の様子を洗い直すことにしました。松本さんには当時、とても親しくされている女性がいらっしゃった。篠田佳恵さん、今は瀬山佳恵さんとおっしゃる女性です。……つまり結婚を前提として」
「そうですね。松本さんの方はそのつもりだったようですね」
 和幸が口を挟んだ。かまわず藤村は続ける。
「松本さんの死後、しばらくしてあなた方は結婚された……」
「それがいけないことだと、道徳的じゃないとおっしゃりたいわけですか。近ごろの警察の方はそんなことにまで口出しされるんでしょうか」
 和幸はまた口を挟んだ。
 若い刑事が何か言いかけようとするのを遮りながら、藤村はポケットからマッチ箱を取り出した。『スナック/来夢』とある。
「あの夜、松本さんたちが二次会でお飲みになっていた店です。……ご存じですよね。道徳的にどうかこうかは関係なく、気になることがあると放っておけないもので。いろいろ調べさせてもらいました」
 『来夢』は和幸が時々利用する店だった。常連というほどではないが、顔を見せただけでキープしてあるボトルが出てくるくらいの馴染みにはなっている。
「マスターの話によると、確か、瀬山さんもあの夜、『来夢』にいらっしゃったということなのですが。そのことにちょっと引っ掛かりましてね。なかなか興味ある偶然じゃないですか」
 藤村は嬉しそうに笑みを浮かべた。和幸はもう一本の煙草に火を点ける。
「さあ、覚えていません。もう半年も前のことでしょう。ひょっとして刑事さんは、私のことを疑っていらっしゃるんでしょうか。アリバイ……ですか? それを証明しないといけないようなことなんでしょうか」
「まあまあ、落ち着いてください。それは、これからの話の成り行き次第です。一応、その場に同席していた松本さんの同僚の方にもあなたのことは確認させていただきました。確かにあの夜、あなたは松本さんにお会いになったはずです。……あなたは佳恵さんとは、元々大学時代から交際されていたということも耳にしましたが……、そうでしたよね」
 和幸は無言で頷いた。

 

 十月五日の夜、スナック『来夢』は運動会の打ち上げ会の二次会で流れ込んできた松本孝雄たちのグループで大いに盛り上がっていた。『来夢』のマスターはそう記憶している。
 全学年対抗の応援合戦で優勝したのが松本が受け持つクラスであったらしい。他にもその夜は、数組の客が入れ替わり訪ねてきたが、松本たちのグループの勢いに圧されてすぐに帰ってしまう。マスターははっきりとその夜、瀬山和幸が『来夢』にやってきていたことを覚えている。それは松本たちのグループがカラオケで大騒ぎし始めたので、気を使ったマスターがしきりに和幸に話しかけていたからだ。和幸は『来夢』には珍しく、カラオケを歌わない客だった。松本孝雄は上機嫌で、何曲もカラオケを歌った。歌詞の中に出てくる女性の名前を自分の恋人らしき女性の名前に置き換えて歌ってもいる。騒ぐだけ騒ぐと、松本は先に帰ると言い出して、同僚を置いて一人で店を出ていく。マスターの記憶によると、和幸が店を出たのはその直後だったはずである。

  

「あなた方二人の恋の邪魔をしたのが松本さんということになります。ま、一時的に、ですが。結局、佳恵さんはあなたとご結婚されたわけですからね。ですが、あの夜の事故が起こらなければ、あなたと佳恵さんとは結婚することはなかった……、かもしれませんよね」
 藤村は和幸の反応を見るように、そこで言葉を切った。和幸は小さく笑った
ようにも見えた。しばらくして口を開いたのは若い方の刑事だった。

「三年前、瀬山さん、あんたも事故に遭っていますよね。大学で同期生だった佐々木裕輔さんとドライヴしていた時、乗っていた車が運転を過って切り通しの崖に激突。そして、運転していた佐々木さんが亡くなった。あんたも潰れた車体に足を挟まれ、大ケガをした。歩く時少し左足をひきずるのはその後遺症のせいでしょう? あまりいい思い出じゃないでしょうが、結局その事故のおかげであんたは県の職員に正式採用されることができた。すでに合格していた佐々木さんが亡くなって、欠員ができたからだ。そうでしたよね。大ケガはしたけど、差し引きすればずいぶん得をした計算になるんじゃないかなあ」
「おい、その辺でやめとけ。口がすぎるぞ」
 若い刑事の言葉を制して、藤村が後を続ける。
「当時その事故を処理した者に聞きましたが、あの事故はあなたが起こさせたのではないかと疑う者もいたそうです。佐々木さんが亡くなって得をするのはあなたでしたからね。ですが、ひとつ間違えばあなた自身も亡くなってしまうかも知れない状況だったわけです。結局、佐々木さんの死が作為によるものだという証拠も見つけられませんでしたし」
 そこで言葉を切り、藤村は和幸の左足にちらりと一瞥をくれた。
「私はこう考えてみました。もしかすれば、あなたは死ぬことなんて少しも怖くはなかったんじゃないか。というよりむしろ、自分が死ぬはずなど絶対にない、という自信があったんじゃないか、私はそんな気がするんですよ。だから車が急カーブに差しかかった時、あなたは少しもためらわずに佐々木さんのハンドル操作を狂わそうとできた……」
 和幸は何も言わず、ただ煙草を吹かしている。
「あなたのまわりにはやたらと死の影が付きまとっています。中学校に入学される時にも同じようなことがおありだったようですね。入学直前に海に落ちて亡くなったという少年の事故を目撃した者はやはり誰もいなかったそうです。そして……、いいですか、瀬山さん。私たちが一番驚いたのはもう一つの死にまつわる出来事です」

  

  

(続く)

 

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。