森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

幸せの定員 (創作小説)  ***+9***

 
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幸せの定員(創作小説)

  

 

 

***+9***

 
 藤村は和幸の過去を虱潰しにあたったようだ。
「あなたが小学六年生だった時のことです。あなたが転校された小学校で、その一カ月前にも亡くなった人がいたはずです」
 藤村はそこで意味ありげに言葉を切り、和幸の反応を確かめるように一呼吸置いて続きを話し始めた。
「ところで、その時のクラス担任の先生がタカッチャンでしたか。もちろんニックネームですが。その頃は子供たちや親たちからも、タカッチャンと呼ばれていたらしいですね」
 和幸は何食わぬ表情で煙草の煙を吐いている。その表情をしっかり見据えながら、さらに藤村は続ける。
「覚えていらっしゃいますよね。本名は、松本孝雄さん……。半年前の事故で亡くなった松本孝雄さん……でしたよね」
 これを聞いた和幸の表情の変化を一切見逃すまいと、藤村は食い入るように和幸を見つめている。恐らく和幸の心臓は張り裂けそうなくらい強く鼓動しているはずだが……。
 藤村はこの事実にたどりついた時、和幸を巡るすべての事件が和幸本人によって引き起こされたものだということを確信した。自分がいじめられているのを、見て見ぬふりをしていた頼りない奴が、いつの間にか一人前の教師面をしている。しかも今度は自分の恋人を奪おうとしている。松本孝雄に再会した時の和幸の怒りの昂ぶりを藤村ははっきりと感じることさえできた。
 和幸は少し笑みを浮かべたような表情を見せる。
「もう一つの死って……。刑事さん、びっくりしましたよ。私の母のことまでご存じなのかと思ったじゃないですか。そのことじゃなかったんですね。でも、よろしかったら、そのもう一つの死のことを教えてあげましょうか?」
 一体何を言い出すんだ?
 藤村は和幸の顔を改めて正面から見据えた。そして和幸は泰然と話し始める。
「それは、私が生まれるその瞬間に起きました。私が産声をあげると同時に、私を産んでくれた母が息を引き取ったのです。母は私を抱き上げるどころか、私の顔を見ることさえできませんでした。私に命を与えるために母はこの世を去ったのです。どうです、これは運命だとは思われませんか……。世の中は私を生かすために回っている。中学校の時もそうでしたし、大学の時も、そして結婚する時も。こんな偶然が何回も起きるなんて、これを運命と言わずにおれますか……。
幸せになれる人の数には定員があると思うんですよ、刑事さん。その定員をオーバーした人は幸せを逃してしまう。変な言い方になるかもしれませんけど、幸せの裏には必ず誰かに不幸せが訪れるものです。誰かが幸せになる代わりに、それを失う人がいる。世の中はそれで釣り合っている。きっと……。きっとそうなんじゃないですか? 世界中の人すべてが幸せを満喫できるなんてあり得ないでしょう。そうは思われませんか?」
 和幸はそこまで話して、大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくりとそれを吐き出す。
「いえ、ごめんなさい。話が違ってしまいました。私のことでしたよね。こんなことを言ってしまえば、ますます不道徳な奴だって思われるでしょうけど、私にはそういう運みたいなものが身についていると思うんです。ええ、つまりそれは、幸せ行きのバスに乗ることができる運のことです」
「幸せ行きのバス? なんだいそれは。あんたみたいな身勝手な奴がそんなバスにどうして乗れる?」
 和幸の言葉を若い刑事が遮る。藤村はそれをなだめながら席を立って口を開いた。
「ですが……、小学校の時は違いましたよね。あの時は転校後、ひどいいじめを受けられたそうですね。松本孝雄先生のクラスでね。ずいぶん松本さんを恨まれたことでしょう。どうです。いつまでも心にしまっておかないで、すっきりされては。ねえ、瀬山さん、松本さんがホームから転落した時、あなたはそのすぐ近くにいらっしゃったんでしょう?」
 藤村は満を持したように、この日一番言いたかった言葉を口にした。
「突き落としたのは、あんただろう」
 若い刑事が続ける。
「松本孝雄だけじゃない。瀬山、あんたは今までに一体何人殺したんだ」
「そうそう、小学校の時、轢き逃げした車にあなたが乗っていたという噂があったそうですが、ひょっとして事故を起こしたのはあなたのお父さん、幸司さんじゃなかったんですか。幸司さんは事故の直後、ペンションの送迎用としてワゴン車を購入されていますね。以前乗っておられた車はどうされたんでしょう。そしてそのペンションが経営不振で潰れる直前、幽霊が出るという噂がたっていたそうですが、その幽霊は事故の被害者、高橋沙耶香さんだったんじゃないでしょうか。幸司さんの罪の意識が呼んだ幻ですよ。残念ながら、幸司さんはペンションをたたんだ後、蒸発されてしまったらしいので、今となってはそれを確かめることなどできませんが……」
 藤村の低い声が取調室に響いた。煙草の煙が立ち込めて、室内は白く煙っている。若い刑事が換気扇のスイッチを入れた。和幸は身じろぎもせず、俯いたまま藤村の話を聞いている。
「おそらく、お父さんが事故のことは絶対誰にも話さないよう、あなたに口止めされたのでしょう。だからあなたはいじめられていることをお父さんにも相談することができなかった。だって、あなたが乗っていた車が女の子を轢いたところを目撃されて、それがいじめのきっかけでもあったんですからね。ですが、轢き逃げ事件については最後まで隠し通すことができたみたいですね。それがきっとその後のあなたの生き方に大きな影響を与えたんでしょう。人を殺したって案外バレないもんだと……」
 藤村は最後の煙草を灰皿にねじ込んだ。弾みで机がぐらりと揺れた。二人の間にある煙草の箱はもう空になっていた。取調室の窓には灯り始めたネオンの明かりが安っぽく映って見える。
「あまり気分の良い話じゃないですね、刑事さん。そんなに何人も平気で殺せるだなんて、この僕が? そろそろ帰らせてもらっていいでしょうか? 夕食もまだですし、明日も勤めがありますので。いつまでも刑事さんたちの突拍子もない話のお相手はできないです……」
 和幸は時計を見ながら腰を浮かせた。一呼吸おいて、藤村が返す。
「そのうちに、あなたの身の回りに起こったいくつもの死が、決して偶然なんかじゃなかったことを証明してみせますから、またよろしくお願いしますよ」
「ええ? まだ続きがあるんですか? もうこれっきりにして欲しいです。でもどうしても、と刑事さんがおっしゃるのなら、その時は何か証拠になるようなものをご用意されてからお願いします……

「結構ですとも。何が真実なのか、それを証明するものをこれからじっくりと探していきましょう」
 藤村は取調室のドアを丁寧に開けて、和幸を促した。
 それではまたお会いしましょう、藤村はもったいぶったように頭を下げた。和幸は左足を重く引きながら、部屋を出て行った。しばらく間をおいて、若い刑事が和幸に続く。
「瀬山と、あのホームレスのおっさん、南口のコウチャンとか言ったっけ。二人の動きをしっかりとマークしておけよ。きっと近いうちに何かが起こるはずだ……」
 藤村はその背中に声をかけた。そして、誰に言うでもなく呟いた。
「父親の幸司がそうだったように、瀬山和幸もいつかきっと幽霊たちの声を聞く時が来るはずさ。あいつには幸せ行きのバスに乗る資格なんてない。まあ、そもそも、そんなバスなんてありはしないけど……」

  

 

(続く)
 

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。