森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三角瓜の実る郷 (創作短編小説) 2/6

 
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連載2回目です。
小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします。

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 私は山歩きが趣味でして、お盆休みを利用して毎年あちらこちらの山へ登るのを楽しみにしています。いえ、登山といえるほどのものではありません。せいぜいお決まりの観光コースを歩いてくるくらいです。そうですね、たいていは一人で出かけます。
 十年以上前だったと思います。ある年の夏のことです。私は山を下る途中で不意にコースを外れてみたくなりました。山頂で一緒になった賑やかな中年グループに混ざって歩くのがたまらなく嫌に感じられたからでした。
 何度か登った山でしたから、だいたいの地形は頭にはいっていました。決して無謀なことをしたつもりはありません。でしたが……、迷ってしまいました。
 まずはとにかく沢を探して、それを伝って下ることにしました。そうすれば必ず麓にたどり着けるはずです。沢はすぐに見つかりました。沢伝いに、わたしは山をどんどん下っていきました。けれど、そのうち日が暮れて、山は次第に闇に包まれていきました。仕方なく私は、適当な場所を見つけて夜を明かすことにしました。一晩くらいはまだ平気で徹夜できる年齢でしたから。
 そうです、ちょうどお客さんの年齢くらいの頃でしたね。
 翌朝さらに下っていくと、ようやく沢が川になり、やがて河原が見られるほどに、幅が広がってきました。しばらく河原を歩くと、川の流れをせき止めてしまうほどの大きな岩がいくつも転がっているところに辿り着きました。見上げると大きく崖が崩れた跡が目に入りました。いつ頃崩れたものかは分かりませんが、今にもその次が落ちてきそうで、私は少し川をそれて、恐る恐る岩を越えました。すると、不意に先が開けます。
 くっきりとそびえて並んで続く稜線が右と左に、そしてその間に挟まれた谷地の光景が眼前に広がりました。谷の底は濃い緑に沈んでいます。夏草の群落が生い茂っているようです。稜線の先は下界に向けてゆるやかに裾を伸ばし、頭上には青く澄んだ空が遙か遠くまで続いています。私はその光景に見入ってしまいました。……ええ、本当に、それはそれは見事な見晴らしでした。
 ところで、先へ進むには一度谷へ下りるよりないようでした。私は川に沿って下りていくことにしました。急な傾斜に用心しながらゆっくりと足を運びます。春、雪解け水がこの沢を奔るとき、きっとそれはかなりの激流となり、滝となって落ちていくに違いない。そう思わせるほどの傾斜でした。
 谷あいの平地は思った以上に深く夏草が茂っていました。下りていくにつれ、空気が変わっていくのが分かりました。肌を撫でる風が暑さを増し、鼻腔に広がる草の匂いが強さを増していきました。
 あの匂い、お嫌いですか。いえ、私は大好きですよ。ですが、あの時はちょっと濃すぎるほどの草の匂いでした。

 不意に私は、草原からぽっかりと盛り上がった緑の塊に気づきました。森というには小さすぎ、草むらというには大きすぎます。よく見ると、奇妙な形をした植物の実がいくつもそれに貼りついていました。実は一つ一つ違った形をしています。瓢箪のようであり、ヘチマのようであり、カボチャのようでもあります。太いものがあり、細長いものがあり、ひねくれてねじ曲がったものがありました。濃い緑色をしているという共通点がなければ、まったく別の種類かと思えるほどいろんな形をしていました。それらが蔓性の植物にたわわに実ってぶら下がっていました。
 近づくと緑の塊は廃屋のように見えてきました。蔓はそれにぐるぐると絡みついています。他にも同じような塊がいくつか認められました。ですが、やはりどの塊も蔓に絡め取られてしまっています。
 さらに近づこうとしましたが、容易に先へ踏み込めません。夏草の群はあまりにも鬱蒼としていて、私の侵入を拒むようです。太陽が高く昇るにつれ、息苦しいほどの草いきれが私を飲み込み始めました。
 私は全身から汗を吹き出しながら進みました。確かにその緑の塊は建物の跡のようです。朽ちた柱や崩れ落ちた土壁がそれを教えてくれました。
 遺跡ですか? そんなふうにも見えましたね。
 足元に何かありました……。
 それはピラミッドが出来損なったような、三角錐の不思議な物体でした。もちろん、それ以前には一度も見たことなどありません。ただその時私は、傍でたわわに実っていた実から、瓜を連想しました。あの奇妙な瓜の実なら、三角錐にもなるかもしれない。なぜかそう思いました。
 足元にあったその不思議なものは一つだけではありませんでした。十、二十、三十……、夏草をかき分けていくと、列をなしてそれは並んでいました。いえ、嘘じゃありませんよ。本当にいくつもありました。あちらにもこちらにも、緑の塊の向こうにも反対側にも、辺り一面に、夥しいほど並んでいました。私にはそれが、まるで大地から突き出た棘のように思えました。
 ええ、そうです。それが三角瓜です。
 突然、風がやみました。夏草の青い匂いが満ちてきて私の息を止めます。口を思いっきり開けて空気を取り込もうとしましたが、いくら喘いでも息苦しいばかりです。まるで空気の塊が喉につっかえているようでした。

 

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(続く)

   

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。