森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三角瓜の実る郷 (創作短編小説) 3/6

 
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連載3回目です。
小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^)

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 客の男は煙草は吸わないらしい。口寂しそうに爪を噛んでいる。私はナッツをいくつか小皿に盛って男の前に置いてやった。

「じゃ、本当は瓜じゃないかもしれないんだ」
「いえ……。村では確かにそれを三角瓜と呼んでいました」
「村の人? その谷に誰かいたのかい」
「いましたよ。ですがそれはきっと、ずっとずっと以前のことだったと思いますが」
 その先はしばらく記憶が途切れています。前夜から食事をとっていないのと、睡眠が足らないのと、そしてあの草いきれと、遮るものなく照りつける陽光のせいとで、……貧血? そうでしょうね、貧血を起こしたのでしょう、きっと。
 耳元でしきりに音がしていました。ザワザワと、誰かが囁く声のように聞こえました。遠ざかる意識の中でそれを感じながら、私は胸を締めつけられるような寂しさに襲われました。
 ……さあ、どうしてでしょう。無性に寂しくて、切なくて、仕方ありませんでした。
 意識が戻ったとき、私はアスファルトで舗装された道を半ば眠ったままで歩いていました。すでに陽は西に傾いています。かなり時間が過ぎたようでした。道が下っている方へとただ漫然と歩いているうちに、地元の農夫らしい老人が運転する軽トラックに拾われ、私はようやく麓まで下りてくることができました。
 車中、老人が勧めてくれた煙草を吸いながら、私は前日からの経緯を話しました。老人は元来口数が少ない方なのでしょう。車のクーラーの利きが悪いことをしきりに謝るだけで、あとは黙って私の話を聞いていました。
 ふと思いついて、この奥に昔、誰か住んでいませんでしたか、と訊ねてみました。
「墓場があったと聞いとります」
 老人はぽつりと答えました。それは老人が幼い頃、親から聞かされた話だったらしく、いつ頃の墓なのか、誰のものだったのか、それ以上はよく知らないようでした。
「地元の者は近づきません」
 申し訳なさそうにそう言い添えたきり、老人は黙り込んでしまいました。
 鉄道の駅の前で老人と別れてから、私は初めて自分の背負っていたリュックがやけに嵩張っていることに気づきました。開けてみると、例の三角の瓜と、蔓からもぎ取ってきたらしいキュウリのようにねじ曲がった瓜が一つずつ入っていました。
 もがれたばかりの瓜は、ぱっくりと縦に割れ、真っ赤な果肉と、中にぎっしりと詰まった白い種子をのぞかせていました。街に戻ってから私は、誰かに急かされるようにプランターを準備し、そこに種子を播きました。

 

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 客の男はナッツの小皿に手を伸ばした。ピーナツとカシューナッツとアーモンド、そして三角瓜の種子を混ぜて入れている。男はアーモンドをつまんだ後、次は三角瓜を選んで口に放り込んだ。
「今お客さんが口にお入れになったのが、三角瓜の種子です。塩で炒ったのですが、いかがですか、お味の方は。慣れないと少し苦すぎるかもしれませんが」
 男は一瞬ためらった。ところが、すぐに種子を噛み砕く乾いた音が店内に響き始めた。
「……いけるね、なかなかうまいよ」
「お口に合いましたか、それはよかった。何しろちょっと癖のある味ですから」
 男の表情を探りながら私は、血の味がするとおっしゃる方もいらっしゃいますよ、と言い足そうとして、やめた。
「果肉の方はもっと苦くて、とても食べられたものではありません」
「そうかい。俺、苦いのは平気なんだ。で、この種子は?」
「家で獲れたものです。瓜はあれ以来毎年欠かさず実をつけてくれます。村でつくっていたときはもっと味が円やかだったはずですが、どうもうまくできません」
 男はまた瓜の種子を頬張った。村でつくっていたと聞かされて、気にする様子もない。少し探りを入れてみることにする。
「立ち入ったことをお聞きしますが。お客さん、ご兄弟は?」
「なんだよ、いきなり。……いや、いないよ。一人っ子だ」
 男は少し戸惑ったようだが、とりわけ機嫌を損ねてもいないらしい。ぶっきらぼうな口調は男の性格だろう。
「それでしたら、親御さんのこととか、ご先祖のお墓のお世話とかは、お客さんが?」
「いやあ……、墓参りどころか、もう何年も親の顔を見てないや。田舎の親には自分たちなりの暮らしがあるだろうし、家族っていうの? 俺、そういうの性に合わないんだ」
「では、親御さんも、ご先祖の方々もさぞかしお寂しいでしょうねえ」
「変なこと言うなよ、マスター。先祖が寂しがるって?」
「いや、これは冗談です。……それじゃ、お客さん、お独りですか」
「そうだよ、気楽なもんだ。で、マスターは?」
「あ、失礼しました。よそ様のことばかりお訊きして。私も五十にして独身です。……ですから、遅くなってそのまま店に泊まり込んでも、誰にもうるさく言われません。おっしゃる通り、私も気楽なものです」
 男は生あくびを一つ噛み殺した。少し前置きが長くなったようだ。そろそろ本題に入ろう。
「ところで……、法事という仏法の行事がありますが、あれは何回忌まであるかご存じですか」
「一周忌とか何周忌とかいうやつか。さあ、あんまり知らないや」
「一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌……、真宗では最も長い場合は百回忌まであるそうです」
「へえ、そうなの。百回忌ねぇ……。一体誰がそれまで生きてるんだい」
「弔い上げ、という行事があります。何回忌かがくれば弔い上げをして、戒名を書いた板だけにしたり、無縁仏として墓石を倒してしまったりして、まつるのをやめてしまうそうです。……今の時代では、亡くなった方を知る人がいらっしゃらなくなったら、そうするんだそうです」
「なんだか気味の悪い話になってきたなあ、今夜はただでさえ冷えるのに。マスター、脅かしっこなしだよ。で、その話と瓜とどんな関係があるんだい」
「申し訳ありません、話が回りくどくて。いつもこれで叱られます。実はこの三角瓜は墓石といいますか、墓標の代わりとして、使われていたものなのです。中には人のノド仏やら火葬した灰やらを容れます」
 私の言葉に男はことさら顔色を変えるわけでもなかった。仕事柄こんな話には慣れているのだろうか。どうやら、続きを話してもよさそうだ。

 

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 ……話してもいいね?
 私は三角瓜を両手でそっと抱きあげて問いかけた。
「たいそう大事にしてるんだな、マスター。赤ん坊でも抱いてるみたいじゃないか」
「そう見えますか。山から連れてきた瓜の三角の方がこいつです。もうずいぶん、この三角瓜……、『瓜』と私はこいつのことを呼んでいますが、『瓜』とは長いつきあいですので、日ごとに可愛く思えてきまして」
「へえ……、そうなの」
 男はニヤリと笑う。顔には妙な同情の色が浮かんでいる。
「私は赤ちゃんなんて抱いたことはありませんが、けっこう様になっているでしょう。……おかしいですか?」
 私の言葉を皮肉ととったのか、男は気まずそうな顔をする。
「いや、悪かった。変な意味じゃないんだ。様になってるよ。……話、続けてくれよ」
「どうやら『瓜』の村には、弔い上げの習慣がなかったようです」
 男はうんうんと何度か頷きながら、私に向かって確かな視線を投げてきた。
「あの夏の盆休みが明けてから、こいつをこの店に置くようになりました。店で泊まることもあると先ほど申しましたが、どうやらそのころからです。ここで泊まった夜、時折妙な夢を見るようになりました。深夜にふと目を覚ましますと、『瓜』がぼんやりと光っているように感じられるのです。切ないほどか弱い光で輝いています。どこまでが現実でどこからが夢なのか、よく分かりません。でもその後、私はあの谷で味わったのと同じような息苦しさに襲われて、また眠ってしまうのです。そして夢を見ます──」

(続く)

  

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。