森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

幸せの定員 (創作小説)  ***+6.5*** お金と時間と幸せと

 
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幸せの定員(創作小説)

 

   

***6.5***


 スマホの「スクリーンタイム」という機能を使うと、毎日のスマホの使用アプリや使用時間が記録されます。その記録は毎週日曜午前9時に週間レポートとして届けられ、「画面を見ている時間は先週から〇%増えました」とか「……〇%減りました」と言うようにスマホの使用状況を厳しく指導してくれるのです(^^;
 レポートによると、わたしの1日の平均使用時間はだいたい2時間半前後のようです。1か月(30日)に換算すると75時間(3日と3時間)になります。
 えっ、、、
 計算して驚いています。これを年間で考えると912.5時間、38日以上にもなるじゃないですか!

 で、そんなに時間かけてスマホで何をしているかというと、SNSやブログ、メールのチェックが大半です。それからSmartNewsやPinterest、Quoraを読んでいる時間もけっこうあります(SmartNewsはニュースアプリ、PinterestやQuoraは雑学アプリでしょうか?)。
 スマホを持つようになって何年か経ちます。この間毎年、1
年のうち1か月以上もこれらのアプリのチェックに時間を費やしてきたと言うことです。
 ちょっと怖いですが、これを一生分に換算するとどれくらいになるか計算してみると、、、
 約38日×50年(10代~60代の間スマホを使い続けたとして)=1900日。これは5年と数か月に当たります。
 なんて時間の無駄遣い!
 スマホのアプリをチェックして得ることができる情報に決して価値がないと言う訳ではないですが、その価値は人生のうちの5年分にも値するものでしょうか。5年あれば、大学だって卒業できます。それだけの時間をかければ、ほかに習得できるものがどれくらいあるでしょう。

 

 時間泥棒─── という言葉に思い当たりました。
 『モモ』です。ミヒャエル・エンデの『モモ』です。

 


 『モモ』は「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男たちに「時間を貯蓄すれば命が倍になる」とそそのかされて、街の人々が時間を奪われていくお話です。
 理髪師のフージー氏は、あるとき自分の人生を振り返ってこんなことを思います。
「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていてなんになった?  死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」
 するとそこに灰色の男が現れてフージー氏に言います。
「フージーさん。あなたははさみと、おしゃべりと、せっけんあわとに、あなたの人生を浪費しておいでだ。死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでもいうように、みんなにわすれられてしまう。もしもちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたがひつようとしているのは、時間だ。そうでしょう?」
 そして灰色の男はフージー氏に時間の倹約の仕方を教え、それを貯蓄するよう勧めます。話に乗せられたフージー氏は灰色の男の言葉に従って、せっせと時間を倹約するようになるのです。

 

 今回の連載でウルグアイの元大統領ムヒカの言葉を取り上げました。 

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 この記事中で引用したムヒカの言葉を再掲します。

「私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか? バイク、車などのローンを支払わなければならないからです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。」
 ムヒカの同志である労働者たちは、節約した時間をさらに働くことに費やしていきます。そして、他の人よりもカッコ良いバイク、新しい車を買うのです。時間をお金に換え、そのお金でしあわせを買おうとするのです。

 

 車のあおり運転のことを思います。あおっている運転手は自分の前をノロノロ走る車に苛立っているのです。あるいは自分の運転のペースを乱されるのに腹を立てているのです。イライラするのは、速く走りたい、速く目的地に到着したいという思いを邪魔されるからでしょう。速く目的地に到着した方が時間の得だと思っているのかもしれません。けれど、あおりにあおって節約できた時間はどれほどでしょう。本の一冊も読めるほどの時間でしょうか。あおり運転をして儲けた時間で得られるものと安全運転をして出会えた風景や同乗者との会話とではどちらが豊かでしょう。

 

 ところで、理髪師のフージー氏が倹約した時間がどうなったかと言うと、時間はフージー氏の手元には少しも残らなくて、すべて灰色の男たちに盗まれてしまうのです。それは、電車という通勤時間短縮装置に乗ることで得られた時間を、ただスマホを見るのに費やしてしまっているわたしと同じかもしれません。
 そして、フージー氏は時間を盗まれてしまっただけではなくて、だんだんと怒りっぽい、落ち着きのない人に変わっていきます。挙句の果てに、フージー氏の一日は次第次第に短くなっていったのです。
 分刻みで仕事を進めることで、短時間のうちに多くの仕事や用事を済ませることができる。お客さんとのおしゃべりは無駄、歌を歌ったり本を読んだりするのも時間の浪費。だからこれらを削る。それが灰色の男が教える時間倹約法でした。
 ところが、朝から晩まで仕事や用事に追いたてられて、息つく間もなく過ぎていく一日はどれほど中身が薄っぺらなことか。実は、幸せという感覚は、絶え間なく動き続ける時計の針を少しも気に
せずに過ごすうちに感じられるもの……。フージー氏のエピソードからそんな当たり前のことを改めて思います。

 それともう一つ、フージー氏には「死んでしまえば、もともといなかったみたいに、人にわすれられてしまう」という恐怖がありました。その恐怖から逃れるために、もし存分に使える自由な時間を手に入れることができれば、人や世間の記憶に残る大きな業績を挙げることができるのにと考えたのだと思います。仕事に明け暮れて、生きていくためだけにあくせくして人生という時間を浪費していく。それがたまらなく悔しい、フージー氏はそう思っているのです。
 自分が生きた証をこの世に刻みたい、名前を残したいという思いは、少なからぬ人が持つ欲望だと思います。たった今、こうやってブログを書いている山猫🐾も、心の隅っこにそうした思いを忍ばせているのです。時間さえあれば、自分はブログの記事をもっとたくさん、もっと面白く書けるはずなのに、そう思っているのです。

 

 日曜の夜に放送されている『ポツンと一軒家』というテレビ番組が好きで毎週のように観ています。いろいろな事情で人里離れた山中に夫婦二人で、あるいは年老いて一人だけで住んでいる人とその家、ポツンと一軒家を取り上げる番組です。一軒家を包む山々の空気を想うと、山育ちのわたしには、日が暮れた後ほのかな月明かりの下を歩く山道に聞こえてくる木々のさざめきやどこかの沢を流れ落ちる微かな水の音。こうした遠い思い出が蘇ってくるのです。記憶を遡って、胸が締め付けられるような郷愁を覚えるのです。

 いつかその山に、その森に帰りたい、そう強く思いながら、その反面、そんな人里離れた場所に行ってしまったら、この社会との繋がりが切れてしまう、自分自身の存在が忘れられてしまう、と不安に思うのです。それは、フージー氏が抱いたのと同じ恐怖です。

 遠い記憶の中にある森の奥に棲む山猫🐾は、きっと満ち足りた豊かな時間を過ごているだろうと思いつつも、そこに還る決心がつかないのです。

 

「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていてなんになった?  死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」

 

 フージー氏のこの呟きと同じ思いを、きっと誰もが抱くことがあると思います。
 けれど、おしゃべりと石鹸の泡の人生のどこが詰まらなくて、人に忘れられてしまうことの何がいけないのか。生きていることの温かさ、生きてきたことの重さ、そんな
ことに想いを巡らせてみたい、そう思います。

 

 

(続く)
  

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※次回第+7章から、「幸せの定員」は解決編に入ります。

 よろしくお願いします(^^; 

 



 

 

 

 

  

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。