森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三角瓜の実る郷 (創作短編小説) 4/6

 
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連載4回目です。
小説連載ですので、途中からご訪問くださった方は、よろしければ下のリンク(第1回)からお願いします(^_^)

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 囁くような小さな音が聞こえます。白い靄のようなものが辺りに立ち込めています。その中に私の身体は浮かんでいます。……フロイトですか? 性的な不満からだっておっしゃりたいのでしょう? いえいえ、そういう話は、ご勘弁ください……。
 私はそこでもまだ息苦しさを感じています。力一杯息を吸い込んでも、肺はほんのわずかしか膨らんでくれないようです。胸に手を当てます。そこにはぽっかりと大きな穴が空いていました。こんなはずがない。今、私は夢を見ている、そう自覚します。その一方で、息苦しいのは空気が薄いせいだ。高く飛びすぎたらしい。高度を下げなければ、と焦ってもいます。
 ふと見ると、『瓜』が傍にいて、私の手を引いてくれています。そのまま私たちは白い靄のなかを降りていきます。
 やがて靄が晴れ、鮮やかな緑の草原が眼下に見えてきます。その上を私は泳ぐように漂っています。見覚えのある風景でした。川をせき止める巨大な岩越しに見た、あの夏草が生い茂る谷間の景色です。と、見る間に草むらは消え、何軒かの茅葺き屋根の民家が現れます。家々の周囲にはびっしりと棘のようなものが生えています。空き地という空き地はすべて、それらでおおい尽くされています。
 あれが『瓜』の故郷の村ですよ、と私の右手が囁きます。とするとあの棘のように見えるのが三角瓜に違いない、と左手が返します。そう言っている左手自身が三角瓜になっています。先ほどから聞こえていた音は、私の両手が話し合っている声でした。
 私の手を引いていた『瓜』がいなくなりました。先に村へ戻ったようです。私の意識も村に舞い降りていきます。
 七つ八つの少年が、屋敷の傍にぎっしりと並べられた三角瓜の世話をしています。それは百ほど押し合うように置かれています。少年はその一つ一つをきれいに磨き、辺りの雑草を抜き、花を供えています。そして時折手を合わせて、一心に祈っています。
 『瓜』に宿っている想いの主はこの少年だ、と私は確信します。そして『瓜』であるこの少年が世話をしているのはきっと墓地なのです。
 繰り返し同じ夢を見るうちに、私は『瓜』と一緒にその村で暮らしたことがある、と感じるようになりました。遠い昔、私はきっとそこに住んでいたのだと思います。
 村では誰もが墓をとても慈しんでいました。村人たちは掃き清められた墓地に死後の世界を見ていたようです。貧しさや疫病や、村の外からやってくる横暴な役人たちに苦しめられ、村人たちはやっとのことで暮らしています。村人たちの命は虫けらほどの値打ちもないように扱われます。せめて死後の世界では平穏でありたい。すがるようなその思いが墓標である三角瓜にこめられているのです。
 墓には『瓜』の祖父母、兄や姉、そして父の三角瓜もありました。『瓜』は父の三角瓜を磨くとき、少し寂しそうな表情を見せます。父が亡くなってからまだあまり日は経っていないようです。

 くれぐれも、中に水がたまらないようにしてあげておくれよ。
 毎朝のように、『瓜』の母は同じことを繰り返し言います。
 三角瓜を傷めてしまったら、お前のお父さまやご先祖さまに会わせる顔がないから。
 でも、お母さんのご先祖さまはお里のお爺さまのお家にいらっしゃるのではありませんか。
 母さんは嫁いできたときからこの家の者になりました。ここのお墓に収めていただくより他にいくところはないのよ。
 お里のご先祖さまから離れて、お母さん一人っきりで寂しくはない?
 一人っきりじゃありません。お前のお父さまだって、お兄さまだってお姉さまだって、先に行って、母さんのことを待ってくださっているのですから。……そう、いずれ母さんも先に行って、お前を待っています。今は何もしてやれないけど、あちらに行ったら一緒にたくさん遊びましょうね。
 あっちの方が、今より楽しいの?
 そりゃ楽しいに決まっています。病気になることもないし、お腹も空かないし、お花もたくさん咲いているし……。いつもお花のお世話、ありがとうね。
 母は『瓜』の頭を優しく撫でます。『瓜』はうれしくて弾けるような笑顔になります。
 一生懸命お世話をすると、ご先祖さまのお声が聞こえるようになりますよ。
 母は『瓜』にそんなことも言います。
 お爺さまのお声も?
 そう。
 お父さまのお声も?
 そうよ。
 忙しく働く家族の中で、『瓜』の遊び相手をいつもしてくれたのがお爺さまだったようです。墓掃除の仕方もお爺さまを真似て覚えました。
 お前ならきっとすぐに、ご先祖さまとお話できるようになりますよ。
 『瓜』が墓を掃除する様子を見ていて、母はそう言って誉めます。でも、墓標代わりといっても、三角瓜には何も書かれていません。
 誰のお墓か、どうすれば分かるの?
 それはお爺さまに訊きなさい。お爺さまは何でもご存知です。お声だけでなくて、ご先祖さまとお会いすることだっておできになるのですよ。
 そうなの? すごいなぁ。
 『瓜』と母さんとがこんな話をしたのは、まだお爺さまが亡くなる前のことでした。『瓜』はいつか自分もそうなりたいと思いました。お爺さまにいろいろと教わったお陰で、『瓜』にも誰のものか判別できる三角瓜が少しずつ増えていったようです。
 

 

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「墓地と母屋との間には、瓜畑が拓かれています」
「こいつを作ってるわけだな」
 男が訊ねた。手には三角瓜の種子をつまんでいる。私は頷きながら話を続ける。
「どの家でも三角瓜をつくっていました。食べるために、そして死後の世界へ渡っていくためにも、瓜は欠かせない作物だったようです」
「死後の世界へ渡っていく……、か」
「西日で育てると良いと『瓜』は言います。どの家でも母屋のすぐ西側に瓜畑があって、そのもう一つ西隣が墓地でした」
「極楽浄土は西にあるんだったよな」
「そんな意味もあるんでしょうか。あの村では家々の敷地の中に自前の墓地を持ってました。先祖たちを少しでも身近に感じていたいという気持ちからでしょうか。それに村の墓は、『先祖代々之墓』という一まとめにしたものではなくて、一人に一つずつの墓標を据えていました」
「じゃあ、結構多くなるんじゃないのかい」
「おっしゃる通りです。多い家では二百や三百はあったようです。何世代か経って三角瓜の数が多くなってくると、そのうち墓地からあふれてしまいます」
「そりゃ、そういうことになるよな。で?」
「山肌に段々畑を切り拓いて、やっとのことで暮らしを立てていたあの村では、そう簡単には土地を準備することができません」
「で、どうするんだい」
「そんな家では……、自分たちが住んでいる屋敷を取り壊したり、墓の傍の田畑を潰したりして、墓地のための土地を確保したようです」
「家の方を壊すってかい……。なんとまあ、ご先祖様思いだこと」
「空いた土地があるからと言って、屋敷から離れたところに三角瓜を置いたりすればご先祖様はきっと寂しがる、村人たちはそう思ったのです」
 男は深いため息を一つついたまま、何も言えないでいる。
「そしてたぶん、三角瓜の多さが家筋の古さを示す物差しにもなったのだと思います」
 私は『瓜』の頭を優しく撫でる。
「三角瓜が多いほど、ご先祖様を大切に守っている家だということで、村人たちから尊敬されたのではないでしょうか」
「でも、いくら尊敬されたって、実際、暮らし向きは窮屈になるんじゃないのかい」
「おっしゃるとおりです。ですが、あの村ではみんなそれを誇らしく思っていました」
「この世よりあの世の方が大事ってわけだ。俺は嫌だな、ご先祖なんてどうでもいいや」
「村人たちは田畑にしがみついて生きています。家や田畑は親から受け継ぐものです。家を継げば、墓も一緒に継ぐことになります。そして、三角瓜に託された先祖たちの思いも受け継いでいくということになります。屋敷や田畑という財産だけ相続して、後は知らないというわけにはいきません」
「それなら俺は財産だっていらないな」
「できませんよ、そんなこと。生きていけません」
「じゃあ、村を出るさ」
「ですが……、あの村は『瓜』たちにとって世界のすべてでした。そこを出ていくことなど決して考えやしなかったと思います。それに、もし仮に外界に出たとしても、生きていく限り避けられないことがあります」
「何?」
「お客さんにも私にも、生きているものすべてに、いつかそれは訪れます」
「死ぬってことかい」
「そうです。いつかみんな死を迎えます。ですから、『瓜』たちは死後の世界へ渡った後も、いつの代までも自分が、そして自分の墓が大切に扱われ続け、また、先に死んだ者や後からやって来る者たちと一緒に安らかに暮らしてもいける、そう考えることで、死の恐怖や生きていく辛さから逃れようとしました。そしてたぶん逃れることができたのだと思います。村にいる限り、そうした安らぎを手に入れることができます」
「死ぬなんて、今の俺にはまだまだ関係ないや」
「そう言い切れますか? 死について考えるのを避けているだけではありませんか?」
「避けちゃいないけどさ」
「けれど、必ず死はやってきます。そして、貧しい『瓜』の村では、今よりももっと、死は日常だったでしょう」
「でもな、マスター。死が怖くなくなったとして、それだけで安らぎってのが得られるものかい」
「それは瓜を育てることで得られます。三角瓜は死後の世界を象徴するもので、また家を象徴するものでもあります。そしていつか自分の身体を容れるとすれば、自分自身を象徴するものともなります。この世の身体は親から与えられたもので、変えようがありませんが、死後の自分は三角瓜の育て方次第で、どのようにも美しく変えていくことができるのです」
「それで救われるって? こりゃ、宗教じゃないか。そういう話なら、俺にはもうこれ以上言うことはないや。……まあいいか、その、さっきマスターが言ってた、弔い上げ? あれがその村にはなかったんだろう?」
 私はこくりと一つ頷いた。
「じゃあ、限りなく増えていくわけだ。安らぎを得ようとすればするほど、その三角瓜が」
「ええ、限りなく。……村が続いていく限りは、ですが」
 

 

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(続く)

  

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。