森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 2/5

 
 
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 今(※この文章を書いたのは2004年です)私には息子が二人いる。上の子が幼稚園の年中組に通っていて、下は次の震災の日の翌日、二歳になる。二人の名前は長男Mと次男Kという(※二人とも漢字一文字の名前です)
 そう、君たちのことだ。
 ところで私の祖父、つまり君たちにとっては曾祖父にあたる人だが、保(たもつ)という名前で、私の父、君たちのおじいちゃんの名前は毅(つよし)という。そして私がK
(※漢字一文字です)。これで一文字が四代続いたことになる。
 いつか自分に男の子が生まれたら、必ず一文字の名前を付けたい、これだけはずっと若い頃から決めていた。
 そのくせ私には、三十を過ぎても結婚する気などまるでなくて、いわゆる世間並みの幸せを息子に期待していた母からは、ずいぶんと小言を言われてきたものだ。
 ついでに書いておくと、「山猫」
(※わざわざ断らなくてもいいと思いますが、仮名です)の家系は私の祖父、保の前はない。保とその兄、初二(はつじ)は幼い頃に両親を失い、岡山との県境に近い兵庫県佐用郡南光町の地に兄弟二人きりで辿り着いたという。おそらく岡山のどこかの山村の出で、元の姓は「瀬戸」だった、とだけ聞いている。明治半ば頃のことだ。「山猫」姓は、二人の養い親からもらったらしい。
 保と初二の両親がなぜ亡くなったかは訊いていない。今から百年以上も前のことだ。疫病のせいかもしれないし、飢餓によるものかもしれない。ひょっとして、何かの事件に巻き込まれたのかもしれない。でも、子供たち二人は、偶然にも生き延びることができた。
 私の父、毅は、男七人女四人兄弟のうちの六男で、保にとって、下から二番目の子供に当たる。十一人生まれた兄弟のうちで成人できたのは六人だけだった。
 どこにいるか分からないくらいおとなしい子供だったが、勉強はよくできたという毅は、けれども、中学校には上がらず、山で炭を焼いて家を助けた。木炭でバスが走っていた時代だ。その縁で、やがて毅はバス会社に就職し、車掌を勤めながら運転免許をとり、バスを運転するようになった。そのバス会社の営業所の向かいにあった洋品店で働いていたのがわたしの母、つまり、よし子ばあちゃんだ。

 病や貧困や、戦争や天災……。そうした自分だけでは操りようのない時間の流れの先に君たちがいる。もちろんそれは、父方の私の方の時間だけじゃない。母親からも、その先人からつながる長い時間を君たち二人は受け継いでいる。私の義父の郷は飛騨にあったし、義母は敗戦の際、家族に連れられて、朝鮮半島に全財産を残して逃げ帰ってきたと聞いている。
 私たち――、君たちの父と母とは、長男Mの時が大変な難産だったから、話し合って、本当は二人目をあきらめるつもりでいた。けれど、兄弟仲良く遊んでいる様子を羨ましそうに眺める長男Mを見ていて、気持ちは改まった。そして、君たちのお母さんにはけっこう辛い思いをもう一度してもらって、次男Kを授かった。
 長男M……、君は次男Kが生まれたことを本当に心の底から喜んでくれた。弟の誕生を幼稚園の先生に報告し、街角で偶然自分に話しかけてきた見知らぬ老婦人にも自慢をした。わたしたちは、家族がもう一人増えたことと同じくらいに、そんな君の喜びようがうれしくてうれしくてしかたなかった。
 まだ会話の成立しない君たちは、それでも遊ぶ時はいつも一緒だ。といって同じ遊びをするわけじゃない。背中合わせにくっついてそれぞれのやりたいことをしている。
 たまに同じオモチャの取り合いになる。譲ってやるのはいつも長男Mで、次男Kはそれでも気に入らないと兄を叩こうとする。長男Mが叩き返すことは滅多にない。
 気が強くてやんちゃな弟に手を焼きながらも、それでも強く叱ることのできない心優しい兄。そんな組み合わせの妙に、わたしたちはつくづく感心している。
 わたしにも弟が一人いる。わたしの母に言わせれば、君たちがじゃれあう様子はわたしたち兄弟が遊んでいた時とまるで同じだ、とのことだ。
 わたしたち兄弟が幼かった頃、父(君たちにとってはおじいちゃん)に手伝ってもらって、やっとのことで組み立てた紙製の車の模型を、弟に一瞬で壊されて、それでもわたしは少しも怒らなかった、らしい。優しいのか、気が弱いのか。
 ひょっとして、君たちが今くらいの年齢の時に、祖父たち兄弟は、二人きりで岡山から兵庫に至る山間の道をさまよい歩いたのかもしれない。山は深く木々は鬱蒼として、幼い二人を怖がらせたことだろう。

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 弟はわがままを言って座り込んでしまう。兄は根気強く弟をなだめながら、その手を引いて歩き続ける。そんな二人がわたしには見えるような気がする。
 これから先も、その時と同じ道が続いていく。それは山を登り谷を下り川を渡り、ずっとずっと遠くまで続いていく。けれど、しっかりと前を見据えて歩いていく限り、その道はきっと途切れることはない。

 

 

 ※下のリンクは震災当日の記録です。 

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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)