森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5

 
 
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  白米一キログラム、米麹五〇〇グラム、ドライイースト小さじ半分くらい。
 これらの材料から、「おいしい甘酒」約三リットルを作ります。蒸したお米に麹とドライイーストを混ぜて水を二リットル強加え、二日くらい置くと甘酒状になります。さらに寝かせると一週間ほどで「意に反してアルコール度が15%以上になり、たいへんおいしいどぶろくが出来てしまうかもしれません。すぐに廃棄しなくてはいけません。おなかの中に廃棄してもいけません。大切なことですので絶対に注意してくださいね」。
 これは濁酒さんのHPからの引用です。廃棄しないといけない理由は、「アルコール度が1%を越えると酒税法違反」になるからです。ちなみに、生イーストを使うと、大変辛口の「おいしい甘酒」に仕上がるとのこと。

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 もし、あの大震災に遭わなかったら……、十年前に交わしていた濁酒さんとのメールのやりとりはその後も平和裡に続けられ、そのうち僕は「おいしい甘酒」の作り方を伝授してもらって、すでに何度も酒税法違反を犯してしまっていたことでしょう。
 濁酒さん、――因幡さんとは、ここ数年は年賀状を交換するだけのお付き合いになってしまっていましたが、今回のわたしの作品
(※2004年11月10日発行の同人誌掲載作品『震災通信』)の件で久しぶりに連絡させていただき、それをきっかけにメールのやりとりが再開しています。そんな訳で、因幡さんのHPから、上記の「おいしい甘酒」の作り方を発見した次第です。
 因幡さんは大学でわたしの二学年上の先輩にあたります。山の幸と海の幸、それらを育む大自然をこよなく愛され、希望して山陰の地に赴任されました。一九九五年春の異動で、本庁(神戸)勤務になられ、単身赴任者用の県の職員寮がわたしの職場のすぐ近くだったこともあって、それ以後は用があれば電話をかけるか、直接お会いすればいいようになり、メールのやりとりはいつしか途絶えてしまっていました。ですから、その因幡さんに今度は僕の方から「ご無事でいらっしゃいますか」とメールでお訊ねするようなことになろうとはよもや思いもしませんでした。
 因幡さんがお住まいの豊岡市は、二〇〇四年十月二十日、台風二三号に伴う豪雨に見舞われ、市内を流れる円山川の堤防が決壊し多くの家が水に浸かりました。翌二十一日の夕刊に掲載された水没した街並みの写真を見て、慌てて僕が送った安否を訊ねるメールに、その夜早速返事が返ってきました。

 メールありがとうございます。
 うちは床上15センチぐらいの浸水です。
 嫁さんの実家も同じ状態。
 全員元気です。
 ひどいところは2階も浸水です。
 とりいそぎ。

 とありました。そしてその翌々日、新潟県中越地震が発生しました。
 そう言えば、初めて因幡さんからメールをいただいた日の二週間後にあの地震が起こりました。それはそれとして、今度は、それからほぼ十年ぶりに因幡さんとのメールのやりとりを再開して、すぐに今回の災害です。一つは因幡さんの住む街を襲い、もう一つは、あの時以来の震度七の揺れでした。停電、避難生活、崩れかけた家、いくつもの死。あの時と同じことが繰り返されています。ただの偶然で済ませるには、気味の悪いほどいくつもの出来事が符合して見えます。
 そしてもう一つ、因縁めいたことが続いて起こりました。今回の作品
(※『震災通信』)には因幡さんの他に、あとお二人からのメールを使わせていただいています。そのうちのお一人で、ニフティサーブ(当時)にお勤めだった京増さん(※ご本名のまま掲載させていただいています)は、定年退職された後、ご自身でインターネットコンサルティングの会社を営まれていらっしゃいます。メールの使用について、やはりメールでお訊ねしたところ、ご快諾いただいたのですが、これも何かのご縁と思い、現在、京増さんが発行されているメールマガジンを配信していただくことにしました(「かわら版」。二、三日に一回くらいの頻度で発行されており、無料です)。企業経営に関する助言や指導が主な内容のようですが、時折、書評や雑学ネタ、笑い話のようなものも届きます。
 中越地震の被害のひどさが次々に明らかになっていく十月二十五日に届いた号では、心理学の「シンクロニシティ(synchronicity)」という概念について触れられていました。僕はこの分野には全く知識がないので、以下の説明はどこかで間違っているかもしれませんが、……これは心理学者のユングが唱えた概念で、「意味のある偶然の一致」といったニュアンスがあり、「共時性」と訳されます。ユングは、この世界は科学(因果律)だけでなく、もう一つの別の法則(非因果律)も働いて動いている、と考えたようです。具体的には、虫の知らせや正夢、「誰かのことを考えている最中に電話が鳴って、出てみると、当の本人だった」(「かわら版NO.1397」)などのような状況を表現するものだそうです。つまり、心の中の出来事と外の出来事とがシンクロすることで、例に挙げたような現象は単なる「偶然の一致」ではなく、実は「一種の必然」に起きたものであり、考えたからこそ、それが現実になった、という理屈です。
 わたしはさらに怪しげな気分に落ち込んでいきました。このメールマガジンを受け取ったこと自体がシンクロニシティだ、とも思えたからです。わたしが地震や因幡さんのことを考えたりしたから、因幡さんの街が災害に襲われ、地震が発生し、この奇妙な「偶然の一致」を気に病んでいると、そういう現象を「シンクロニシティ」と呼ぶのだ、と知らせるメールが届く。一体何が起こってるんでしょう。いくら考えても腑に落ちません。ひょっとして今回の災害は、わたしがいらないことを考えたせいで起こったんじゃないんだろうか、そんな妄想が膨らんでいったのです。
 ですが、少し頭を冷やして、改めてよく考え直してみると……、わたしの思念が自然現象に影響を与えるほどのパワーを持っているはずなどなく、それはあまりに思い上がった自己中心的な考えにすぎます。言うまでもありませんが、わたしが念じたから、太陽や月や星々がわたしの周りを回っているわけではありません。そう見えるのはただの錯覚です。本当は、間違いなくわたし自身の方が動いているのです。動いているわたしが、いくつかの災害が必然に起きたかのように重なって見える場所に、その時たまたま立っていただけのことです。きっとそうだと思います。そうに違いありません……、よね。
 なお、作中でご紹介したボランティアグループは、正式名称を特定非営利活動法人(NPO法人)「コウノトリ市民研究所」といい、因幡さんはその事務局長をされています。市民研究所の取り組みは「第一回自然再生活動コンクール」で農林水産大臣賞を受賞され、いまや地域をあげての活動にまで広がってきているそうです。……と、これは因幡さんご本人は少しも宣伝されませんでしたが、HPや新聞などで伝えられているところから得た情報です。今回の水害でその取り組みが途切れてしまうことは決してないと思いますが、命を相手にする活動に少しの休みも許されないことでしょう。豊岡をはじめ、今回の風水害や震災に遭われた地域の方々の一日も早い復興を心からお祈りしております。
 ――そうそう、ポチのその後について触れるのを忘れていました。あれはいつのことでしたか、たぶんわたしが退院してきてからさらにしばらく経ってからのことだったと思います。焦げ茶色の毛並みをして丸々と太った一匹のオス猫が優雅に散歩している後ろ姿を自宅の近くで見かけました。ポチだとすぐに分かりました。気配を察してこちらを振り向いたその猫は間違いなくあいつでした。わたしと目が合うと、あいつは少し自慢げに、首に付けてもらった赤い首輪と小さな鈴を見せてくれました。ポチ、と僕が呼びかけたのを少しも取りあわずに、隣家の塀をひょいと乗り越えて、あいつはそのままどこかへ消えてしまいました。 

 

 

 作中で使わせていただいた、当時私が受け取ったメールは、ご本人の承諾を得た上で、ほぼ原文通りの内容を紹介させていただいています。快くご協力くださいました因幡、京増、屋辺の三氏に改めてお礼申し上げます。

2004年11月10日

 

 

 以上、ここまでが、2004年11月10日発行の同人誌に掲載した『震災通信』の内容でした。

 

 

 ※下のリンクは震災当日の記録です。 

www.keystoneforest.net

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)