森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 5/5

 
 
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『震災通信』の連載中につぶやいたこと、思ったこと。Twitterから引用します。

 


2021年1月18日、この日の朝も冷えました。
寒いけど朝焼けはきれいです。寒くなればなるほど美しくなります。
駅までの尾根筋を下る通勤の途中、欠かさずこの場所から東の空を望みます。正面は大阪、その奥が生駒山地、中央右に大阪湾が見えます。
朝陽が美しい日は必ず写真に残します。
この場所からの見晴らしが良いのは、実は、あの震災後ここに建っていたマンションが取り壊され、いまだに更地のままでいるからです。
あの日から26年経ちました。

 

1月の満月はWolf Moon(狼月)と呼ぶそうです。
1月15日、あの日の夜は、その狼月でした。満月に向かって神戸の街は燃えました。

 

あの日の出来事は、人の生死は偶然の積み重ねでしかない、とはっきりと教えてくれました。
けれど、生き方は選ぶことができる。そう思います。
残されたわたしたちは、震災のあれこれを思い出すこと、思い続けること、語ること、語り続けること、そして、命の意味を考えること、考え続けること、を忘れてはいけないのだと思います。

 

震災の年のオリックスの快進撃とイチローの活躍は神戸を強く励ましてくれました。
ユニホームに「がんばろうKOBE」と記して試合に臨む選手たちに心を揺さぶられました。
優勝パレードも見に行きました。
あの時神戸は一つになれたと思います。
白いものが混じるようになったイチローの髪に、あの日からの時間の経過を思います。

 

ホテルオークラ神戸の「ファイト」の文字、当時のわたしは直接目にすることはできませんでした。写真で見ただけです。
でも、、、この写真を目にするたびに、鼻の奥がつーんとするのです。

 

わたしは阪神淡路大震災の少し前に、1匹の野良猫と出会いました。勝手にポチと名付けました。ポチと出会ったことは不思議でなりません。
猫も非日常の出来事の中で独りぼっちが寂しかったのでしょうか。
というか休みの日にネコと酒を飲んで寛ぐ当時のわたしは相当変なニンゲンでした。

その後わたしは入院することになり、ポチとはしばらく会わない日が続きました。退院後、久しぶりに出会ったポチは、赤い首輪と小さな鈴を首に付けていました。あいつはそれを少し自慢げに、わたしに見せてくれました。
ポチ、と呼びかけたのを少しも取りあわずに、隣家の塀をひょいと乗り越えて、そのままどこかへ消えてしまいました。

わたしの入院中に、わたしの家に来たのと同じように、どこかの家に馴れ馴れしく上がり込んで、そのうちその家の飼い猫になってしまったんでしょうね🐾

 

震災後、柏井ビルがフラワーロードに横倒しになっている様子を遠目に見たことがありました。
近寄ってみたい衝動に駆られましたが、野次馬のようでやめました。
もし当時スマホを持っていたとしたらどうしたでしょう?
被災の様子を無遠慮にバシバシ撮っていたのかもしれないと想像すると複雑です。

 

I岡さんとはいきなり旧知の仲のように打ち解けられました。
喫茶店であれこれお話ししたのを思い出します。
もっとたくさん話したかったです。
でもそんな彼ともその後会うことはありませんでした。
一期一会という言葉を想います。 出会いと別れはこうでありたいと想います。

 

「自分の好きなことを見つけて、それをやっていくということがとても大切だと思いますが、多くの人は見つけられなかったり、仕事や家庭やで忘れてしまったり、、、
僕ももう少しで一生棒に振ってしまうところでしたよ。ちょっと大げさですが」
因幡さんからもらった言葉です。

 

わたしたちはみんな、さまざまな困難から生きることの大切さを学びます。
ひょっとしたら、わたしはあの地震に遭ったからこそ生きているのかもしれない、そんなことを思います。
あの日のことを思い返すと、今を生き直す力が湧いてきます。これまで何度もそれを感じました。
人生が残り少なくなった今でさえ、もう少し前を向こう、とあの日はわたしを勇気づけてくれます。

 

地震や洪水や豪雪に襲われる日々と、暑さ寒さも飢えも渇きも気にせず暮らせる日々と。
実は前者の方が当たり前の日常で、何の変化もなく毎日を繰り返せる方が非日常だと思ってみればどうでしょう?
同じ日々を繰り返して生きていけることが奇跡だと感じられるかもしれません。

 

長崎で原爆に遭われ、その50年後に大震災に遭われた、このおばさんのこと、よく覚えています。
そのあとも、東日本の津波があり、コロナが未だに続いています。非日常の合間に日常がある。
このことをつくづく思います。 

 

2021年3月11日、あの日から10年経ちましたね。
この10年も阪神淡路大震災からの26年も、ほんの一瞬で過ぎていった気がします。
振り返って、自分の人生も、きっとほんの一瞬で過ぎてしまうものなんだろうなと思います。
一日一日を大切に生きていこうと思います。

 

あと残り少ない自分の人生の中で、祖父母の代からわたしまで続いてきた何かを子供たちに伝えることができればいいなと思っています。
でも、、、その何かが、自分でもよく分からないんですが(^_^;

 

 

 

  

 わが家に春を告げる花、庭のサクランボの木に今年も花が咲きました。

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 数年前から庭のサクランボの木が枯れ始めました。花も葉もつかない枝は、少しの力で折ることができました。調べてみると、同じことで困っている方が何人もいらっしゃったのです。

なんと、サクランボは家庭果樹の中でもっとも栽培が難しいとされている木なんだそうです。
しかも栽培には殺菌剤の農薬が必須なので無農薬栽培は不可能です、とありました。
もちろん、うちでは一切農薬は使っていません。
これって、今まで何もしないのにサクランボが実っていたことが、逆に奇跡的だったっていうことなのでしょうか?
ことの真偽は分かりませんが、その奇跡にただただ深く感謝しつつサクランボをいただいているところです。
美味しくいただいたあと、口に残った種をプイッとサクランボの木の傍に吹き飛ばします。
願わくば、この種から新しい芽が出てくれますように。
 

枯れ始めたサクランボの木に今年も実ったサクランボ。 - 森の奥へ より)  

www.keystoneforest.net

 枯れた枝を落として、肥料を少しやりました。
 数年前から枝分かれしていた若い枝の先にいくつか蕾がつきました。

 

春は必ず巡ってくる。
そう思うだけで、厳しい寒さを耐えることができます。
辛い思いもいつか必ず晴れるときがくる。
辛さを耐える勇気をくれるのは、必ず巡ってくる春を信じられるかどうかだと思います。

春は必ず巡ってくる。 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート20 - 森の奥へ より)  

www.keystoneforest.net

 

 

 ※下のリンクは震災当日の記録です。 

www.keystoneforest.net

 

 

 長い連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
 この春から長男Mは大学4年生、次男Kは大学生になります。

 わたしはあと二週間あまりで定年の日を迎えます。

 

 

 

 

 

  今日の記事は、わたしのツイートのほか、 1SHO (id:withtheage) 様 happy-ok3(https://happy-ok3.com/) 様 の記事に書かせていただいたブックマークコメントも元にしています。
 いつも、ありがとうございます。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)