少し前のことですが、年末年始の6日間、俳句のtweetを休みました。大みそかからお正月にかけて呑んだくれる予定だったからです。そしてもちろん、呑んだくれて過ごしました。けれど、6日間まったく俳句のことを忘れてたかというと、実は一月四日からのtweetに備えて句を準備する小心者でもありました。
俳句メモ帖を振り返ってみますと、実際、俳句の下書きは元旦から始めています。元旦のうちになんとか四日にtweetする句を思いつき、一安心しました。その後さらに吞んだくれたのは言うまでもありません。その酔いの勢いに任せて二日に詠んだのは「屠蘇呑んで食ふ呑んで食ふそして寝る」という句でした。が、当然ながらこれは没。その代わりに脳裏に浮かんできたのが阪神淡路大震災当時の日々でした。
三日からは次々に震災のイメージが湧くように思い出されてきて何句も何句も詠みました。わたしにとって、あの震災はどれだけ歳月が過ぎても特別な存在なのだと、改めて思いました。あれから27年が経つのです。
阪神淡路大震災を俳句に詠もうとして、困ったことが二つありました。
一つは季語のことです。
「震災忌」「震災記念日」という季語はありますが、これは秋の季語です。秋・九月一日、つまり、この季語が言う震災とは関東大震災のことなのです。では、阪神淡路大震災にはどんな季語があるか探してみると、阪神忌とか阪神震災忌、関西震災忌という言葉がありました。ですが、季語としては定着していないようなのです。特に阪神忌というと、タイガースのことを連想してしまって、ちょっと困ります。
「阪神淡路大震災」という出来事自体も季語にはなっていないようです。角川春樹編の『季寄せ』では「阪神大震災」と略して季語としていますが、わたしにとってあの地震は「淡路」を抜いて表現できるものではありません。つまり、直接的にあの地震を示す季語がないのです。なので、あの地震を俳句に詠むには、冬の季語を詠み込みながら「阪神淡路大震災」を連想できる言葉も詠まないといけない、ということになるのです。
そして何より困った二つ目は、肝心の「はんしんあわじだいしんさい」という13文字をそのまま五七五17文字の中に詠むことはほぼ無理だということです。だって、残り使える文字数はたったの4文字しかないのですから。
ところで、文字数を削るために一つうまい言葉を知りました。「地震」を「なゐ」と読むのだそうです。
古く「なゐ」は大地の意で、「なゐ振(震)る」「なゐ揺(ゆ)る」の形で地震が起こる意に用いた。のちに、「なゐ」だけで地震の意を表すようになった。(『学研全訳古語辞典』より)
上に書いたような事情から、今回わたしが詠んだ句は季語や文字数という俳句の基本ルールに則っていないものがいくつもあります。そのことを予めお断りさせていただきます、、、しょせん言い訳ですが(^^;、、、。
それと、今回の句には句ごとのエピソードのようなものは付けていません。いつかTwitterの方で呟くつもりです。
句の並びは、ほぼわたしが体験した時系列になっています。
どうぞよろしくお願いします。
運不運(うんふうん)賽(さい)が決めたか阪神淡路大震災
運不運賽が決めたか阪神淡路大震災
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月4日
山人
※賽(さい・サイコロのこと)
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/8zXDFehjRW
迫りくる地鳴りで覚めた冬の朝
迫りくる地鳴りで覚めた冬の朝
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月5日
山人
#俳句 #haiku #冬の朝 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/orhQW3qHkj
家弾む軽き(かろき)音して五時四十六分
家弾む軽き音して五時四十六分
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月6日
山人
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/ep0bh7wCrx
布団被り(かぶり)揺れ止むを待つ止むを待つ
布団被り揺れ止むを待つ止むを待つ
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月7日
山人
※被り(かぶり)
#俳句 #haiku #布団 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/iTuAPCugjE
冬靴で畳踏む割れた皿よけて
冬靴で畳踏む割れた皿よけて
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月8日
山人
#俳句 #haiku #冬 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/nudsJGln6o
中から声凍つる(いつる)瓦礫(がれき)を素手で剥ぐ(はぐ)
中から声凍つる瓦礫を素手で剥ぐ
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月9日
山人
※凍つる(いつる)、瓦礫(がれき)、剥ぐ(はぐ)
#俳句 #haiku #凍つる #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/qGJJB1krV2
大火映す雲流るるや星寒し
大火映す雲流るるや星寒し
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月10日
山人
#俳句 #haiku #星寒し #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/Jpe5ZnpBpK
灯り消え街燃ゆる夜阪神淡路大震災
灯り消え街燃ゆる夜阪神淡路大震災
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月11日
山人
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/Z0cUcupMBP
厳寒に炊き出しの列整然と
厳寒に炊き出しの列整然と
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月12日
山人
#俳句 #haiku #厳寒 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/GzZlHE8Yyg
大地震(おほなゐ)が家傾けて冬長し
大地震が家傾けて冬長し
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月13日
山人
※大地震(おほなゐ)
#俳句 #haiku #冬 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/ukSNQFj9NA
猫知らず二十七年更地の理由
猫知らず二十七年更地の理由
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月14日
山人
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/oDHcoovM1g
冬閑か(しずか)震災といふ非日常
冬閑か震災といふ非日常
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月15日
山人
※閑か(しずか)
#俳句 #haiku #冬 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/wFXaqG5VpK
だから生きてく一月十七日
だから生きてく一月十七日
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月16日
山人
#俳句 #haiku #一月 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/c3wcFqcG2X
ボトル破り(わり)ウヰスキー撒く(まく)冬暁(とうぎょう)の地震(なゐ)
ボトル破りウヰスキー撒く冬暁の地震
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月17日
山人
※破り(わり)、撒く(まく)、冬暁(とうぎょう)、地震(なゐ)
#俳句 #haiku #冬暁 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/6HyhtG3R87
あの夜は満月でした阪神淡路大震災
あの夜は満月でした阪神淡路大震災
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月18日
山人
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/YWWkEu8yqG
財産と命の二択神戸燃ゆ
財産と命の二択神戸燃ゆ
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月19日
山人
#俳句 #haiku #無季俳句 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/n0Zs5cZcaD
窓文字の「ファイト」神戸の冬照らす
窓文字の「ファイト」神戸の冬照らす
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月20日
山人
#俳句 #haiku #冬 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/rr8ljGAYDh
地震(なゐ)の冬思ひ水で顔洗つてみる
地震の冬思ひ水で顔洗つてみる
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月21日
山人
※地震(なゐ)
#俳句 #haiku #冬 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/5lqa6LHcOY
あたたかいご飯と声援ありがとう
あたたかいご飯と声援ありがとう
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2022年1月22日
山人
#俳句 #haiku #あたたかい #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/MEvzQ6XeZu
もし、お心に留まった句がおありでしたら、コメントいただければ幸いです。感想をいただくことで、たくさんの気付きを得ることができます。
また、いただいたコメントをブログ中で紹介させていただくことがあります。どうぞご了承くださいますようお願いします。
会下山公園より東を望む(1995年1月18日)
写真提供;神戸市
※震災の翌日、わたしが当時住んでいた会下山町の丘の上にある会下山公園から東を向いて撮られた写真です。おそらく、わたしが震災直後に自室の窓から見た風景はこんな感じだったと思います。写真の上の方に南北(左右)に続く並木が見えますが、これがおそらく湊川公園。その北(左)側に立ち昇っている煙のすぐ左手の白い建物が兵庫区役所・兵庫消防署だと思います。この建物の中で、震災から約50日間、被災者支援や被災家屋再調査の仕事に、わたしは悪戦苦闘しました。当時のわたしの自宅はこの写真には写っていませんが、写真手前側に建ち並ぶ住宅の一角にありました。震災から二年後、結婚を機にわたしはここから引越しました。