森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記) あとがき

 
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happy-ok3(https://happy-ok3.com/) さんから、

「阪神・淡路大震災から26年が過ぎ、27年目に入りました。でも、風化させてはいけないと思います。」

と『震災通信』最終回の記事にコメントをいただきました。

風化させないこと、、、わたしたちにとって一番大事なのは、このことだと思います。
歴史の教科書に決して載ることはない一個人の経験談を語り継ぐこと、語り続けることに、大きな意味があると思うのです。
わたしもそう思いながら、このブログで何度か震災について思うことを書いてきました。
その一方で、こうも思います。
いくら記憶力が良い人でも、時間の経過とともにそれは薄らいでいくものです。
そのうえ、ただ薄らぐだけじゃなくて、都合の良いように書き換えていくことも、よくあることだと思うのです。たとえ悪意がなくても、です。
頭の奥の奥にしまっている記憶を呼び起こしてきてそれを言語化する、というそこそこ手の掛かる作業の過程で、曖昧なところを想像で補ってしまうのは仕方がないことだと思います。言い訳かもしれませんが、、、
今回のわたしの記事も、不都合な描写や私的な感情に関する記述を曖昧にしたり言い換えたりしている箇所がいくつもあります。
これは、記憶についてだけでありません。
変えようがないはずの映像や写真にしても、カメラレンズの四角い画面にトリミングした時点で、レンズの枠に収まりきらない不要部分を切り捨てる、という一種の編集を行ってしまっていると思うのです。ときには、あえて切り捨てている場合があるかもしれません、、、
わたしはここに嘘は書いていません。けれど、だからと言って、すべてが真実だと言い切ることもしません。
それをどう読みとるかは、読んでくださった方々にお任せするしかない、と思います。

語り継ぐって難しいです。

 

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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)