26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から49日目です。入院することになりました。
3月6日(月)
早朝、息苦しくて目が覚める。胸に激痛が走り、それから眠れない。右の肺の上に重い何かの塊が乗っている感じがする。
区役所に今日から交代してもらったK芝先生を訪ね、その後、美術館に連絡をとる。仕事を休んで、国立病院を受診することにした。
名谷(※須磨区)の国立神戸病院(※現・神戸医療センター)には1年前にA型肝炎で1カ月入院した。偶然、去年と同じ外来の先生に診てもらった。
レントゲン写真を見るやいなや、先生から入院せよとの宣告。肺に水がたまっているらしい。結核性だと説明された。レントゲン写真では、明らかに右の肺の方が小さく萎んで見えた。地震よりショックが大きい。
入院すれば、電気・ガス・水道・食事など、一切を気にしないで良い生活になる、と少し思う。でも、まだまだ困難な状況が続く被災地から、一人逃げ出すようで、たまらない気分になる。
病室の関係で、8日から入院することになった。薬が効いたのか、傷みは少し和らいだ。
※下のリンクは震災当日の記録です。
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)