森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***7日目(1月23日)***

 
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1月23日(月)
 母に友人から電話があり、昼食を食べに外出する。
 少し近所を歩いてみる。焼け跡を通る。案外家から離れていなかった。まだ焦げ臭い匂いが辺りに立ちこめている。
 前に住んでいた松本通
(※兵庫区、当時住んでいた家からは歩いて数分の距離)の家は、路地を挟んだ向いの家まで、が焼け、住んでいた家自体も壁が煤で真っ黒になっていた。
K芝先生
(※職場の同僚、先輩)より電話、何か欲しいものはないか、と訊かれ、カセットボンベをお願いする。
 夜遅く、姫路より伯父
(※母の兄)、あっちゃん(※その娘)、りゅうくん(※孫)の三人が、車で救援物資を持ってかけつけてくれる。
 近所の被災の様子よりも、小学生のりゅうくんは僕の部屋のパソコンに強い興味を示す。りゅうくんはすぐになついてくれる。膝にだっこして一緒にパソコンのゲームで遊ぶ。帰る時、少し泣かれて、こっちまでつらくなる
(※震災の数年後に伯父は亡くなりました。りゅうくんとはその後会ったことはありません。今は三十代になっているはずです。わたしのこと、震災のこと、覚えてくれているでしょうか)

 因幡さんからメール届く。

 

 #濁酒 G*D00*60 95/01/23 00:25
題名:取敢えずおめでとうと言うべきか、
 通電おめでとうございます(^^;)。
 ほんと、なんといって良いのやら、
 ま、千年に1っ回のことらしいから、
 やはり良い所でしょう。
 先日、電話が繋がったのは本当にラッキーでした。
 H本氏(※濁酒さんの1年下、先輩)の方には全然繋がらない。
 しかし復旧は大変だな。
 5千人も一度に亡くなられるなんて、
 まるで外国の話です。
 子供の通う小学校に被災者の子供達が
 既に4人も転校して来たそうです。
 今日おにぎりを市役所に持って行きましたが、
 そろそろ物資に余裕は出て来たでしょうか?

 

 #山猫        M*I00*04 95/01/23 20:55
題名:ご心配おかけしています
 昨日の雨で近所の半壊していた家が崩れました。
 まだまだ崩れかけの家が周囲にたくさんあるので、
 急に不安になってきました。
 とりあえず、
 自分の家の片付けはなんとかなりそうですが・・・
 随所でボランティアの人達をみかけます。
 そのたびに、
 暖かい布団に寝ている自分に自己嫌悪を感じます。
 近所の人達は夜になると、避難所へ帰ってしまうのか、
 ひっそりとしています。
 上空を飛び回るヘリコプターの騒音と消防車のサイレンが
 ようやく静まってきたので、余計に無気味です。
 明日は強風注意報です。
 瓦が崩れたため、屋根にビニールカバーをかけましたが、
 飛んでしまわないか心配です。
 N田くん(※大学時代からの友人)宅はみなさん無事です。
 K林、H谷くん(※大学時代からの友人)宅は電話はかかりますが、
 応答がありません。
 たぶん、職場(小学校)に泊まり込んでるんでしょう。
 N田くんも職場(市役所)に缶詰めだそうです。
 ひょっとして、
 H本さん(※大学時代の先輩)も市役所にお勤めですから
 そうかも知れません。
 食べ物はなんとかなっています。
 明日は職場に集合がかかりました。
 何かできることがないか、探してきます。

 

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 この日で震災から1週間が経ちました。

 震災後の学校現場の様子は、神戸に勤める教師でありながら、震災当時学校現場とは別の部署にいたわたしにはよく分かりませんでした。

 そこで、神戸市教育委員会がまとめた「 阪神・淡路大震災 神戸の教育の再生と創造への歩み」という冊子にある記述と資料の一部を引用して、震災から1週間の動きを紹介させていただきます。

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 学校部(神戸市教育委員会)では、17日午後3時、市立全校園を対象にとりあえずその当日17日(火曜日)を臨時休校にすることを決め、マスコミや連絡が取れる学校に伝えた。
 一方、各校園長は地域の被害や校舎の被害状況から、個別にいち早く臨時休校を決定していた。

 翌18日には、全市の被害状況や、多くの学校園が避難所になっている状況が判明。そこで18日から21日(水~土曜日)までの4日間を引き続き全校園を対象に臨時休校することを決め、校園長会役員やマスコミに知らせた。
 市立345校園の臨時休校措置は多くのマスコミで報道された。この結果、学校部には、市民から多くの意見や問い合わせが殺到した。
 その声の多くは、「この大災害で市民の生活基盤が失われているので、学校を早く再開する必要はなく、委員会のとった措置は理解できる」「子どもは学校で学習するより、生きた実践的なものを学んでいる。学校の再開はできる限り遅らせるほうがよい」などであった。
 一方、「中学生や高校生の進学や就職が目前である。一日も早く学校を再開してほしい」「北区、西区や垂水区などは、学校も市民もそう大きな被害を受けていないのに、なぜ21日まで休校するのか」といった意見もあった。特定の学校の再開時期の問い合わせも多かった。
 なお、学校に避難している市民の間では、「1月23日(月曜日)から全市で学校が再開される。学校避難所は閉鎖になる」といった噂が流れた。そこで学校部(神戸市教育委員会)は1月20日、マスコミや校園長を通じて噂の打ち消しに努めた。 

神戸市教育委員会「 阪神・淡路大震災 神戸の教育の再生と創造への歩み」より

 

 そして、上記の資料にあるように、震災から1週間後の1月23日(月曜日)に、神戸市立全校園の40%にあたる135校園が再開されました。13万6千人以上を数える学校園避難者の方々の生活とともに。



 

 

 

 

 

 

 

  
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)