わたしは今、人生の夕食を食べているところです。
いきなり何? なんで食べてるの? 何食べてるの?
という疑問をお持ちになった方がいらっしゃったら、よろしければこちらをご覧ください。
料理のお話ではありません。
人の一生を一日にたとえて考えています。
わが家の夕食はいつも19時頃に始まります。
わたしの寿命を72歳として、一生を24時間に換算すると、19時は57歳。
今のわたしはだいたいこれくらいのところにいます。
仕事からの帰宅が間に合えば、わたしも子供たちと一緒にお膳立てを手伝います。
テレビはちょうど明日の天気予報を伝えているところです。
今日一日を振り返る7時のニュースも大事ですが、それ以上に明日のお天気は重要な情報だと思っています。
そんなわたしは、明日と言う日が来ることを少しも疑っていません。
わたしの家の食卓は円卓です。
家族はわたしと奥さんと子供二人の四人家族ですが、円卓のいいところは、何人で食べても食卓を人数分均等に分けて使えることです。
と言っても、うちの円卓では五人くらいまでですが。
家族四人そろわなくて三人で食べても、空席と言う誰かの不在を感じないように食器類を並べることができます。
平日はわたしの帰宅が遅くて、三人で円卓を囲むことが多かったと思います。
最近は、上の子が大学生になってから帰宅が遅いため、平日に四人そろって夕食をとることはなくなってしまいました。
奥さんと一緒に暮らし始めた当初は二人で食卓に着いていました。
まだ子供たちがこの世にいなかった頃のことです。
わたしたち二人は食卓をはんぶんこにするんじゃなくて、窓外の景色が互いから見えるように、窓側を空席にして、並んで座っていたでしょう。
しばらくして、一人目の子供、長男Mがベビーチェアに座って加わります。
Mはわたしたち二人の間におさまって、右から左から、食べるのを手伝ってもらいながら、王子様のように座っていました。
そこに、二人目、次男Kが加わります。
Mにもまだ手がかかるので、Kが王子様でいられる時期はあまりなかったかな、、、ごめん、K。
子供たち二人の食事は少量ずつのおかずを1枚のプレートにまとめて盛り付ければよかったので、まだまだ食卓の上には余裕がありました。
こんな感じのお子様ランチみたいなのが2セット食卓に並んでいたのです。
子供たちが以前使っていたプレートがまだ食器棚の奥にしまってあったので、冷蔵庫の中から探してきた食材を適当に乗せて当時を再現してみました。
が、、、
わたしのこの様子を見ていた奥さんが、撮った写真をチェックして、
こんな手抜きメニューじゃなかったし!
と、厳しく一言。
叱られてしまいました(^^;
「円卓で食事をする場合の父親の居場所について。」という記事を以前書きました。
話を元に戻します。
わたしは今、人生の夕食を食べているところです。
夕食後何をしよう?
一日の仕事を終え、夕食も入浴も済ませて、これから布団に入るまでのしばらくの間は、自分が好きなことしたいことに、どっぷりと浸ることができる時間です。
わたしは一番やりたいことを後に残しておくタイプだと思います。
ええっと、少し違うかな。
その日の片付けとか次の日の準備とか、日常のあれこれが気になって、それを先に済ませておかないと、やりたいことに向き合えません。
ほかのことに気を使う必要がなくなって初めて、パソコンを開いてブログを書き始めたりするのです。
そんなタイプです。
人によっては、一日のうちで一番やりたかったことが日中の大半を過ごした仕事だったという場合もあると思います。
それとも、仕事を終えた後、夕食のときに飲む一杯のビールだという場合もあるでしょう。
でも、やりたいことを我慢して仕事に励んできた今だからこそ、これをやりたい! と思いをあたためてきた人もいるかと思います。
話を人の一生に戻します。
思いを実現させるまで時間がかかった人のことを「遅咲き」の人と言うことがあります。
「大器晩成」と言ったりもします。
似た言葉で、「第二の人生」とか、「下積みが長い」とか言う場合もあります。
「遅咲き」についてWikipediaでは、
特に「遅咲き」と呼ばれる人物のタイプには大別して、
1.デビューそのものが遅い
2.デビューは決して遅くないが、デビュー当初は不振あるいは不遇で、売れ出すまでに時間がかかる
3.デビューの時期にかかわらず、高い年齢の時に華々しい活躍をする
の3種類に分けられる。
と、説明しています。
よく知られている人物の中で誰がそこに当てはまるか考えてみました。
まず、1の「デビューそのものが遅い人」;
早い遅いを年齢で言えば、歴史上の人物なら伊能忠敬、最近の人なら柴田トヨさんが思い浮かびます。
伊能忠敬は50歳で天文学者高橋至時に弟子入りし、その後55歳のときから死の直前の72歳までの間に江戸時代末期の日本全土を測量して、『大日本沿海輿地全図』と呼ばれるわが国初めての本格的な日本地図を作った人です。
柴田トヨさんは産経新聞朝刊「朝の詩」欄に作品が掲載されたことがきっかけとなり、98歳のときに『くじけないで』という詩集を出版しました。
この詩集は160万部を超えるベストセラーとなりました。
2の「デビューは決して遅くないが、デビュー当初は不振あるいは不遇で、売れ出すまでに時間がかかった人」には;
千代の富士、大杉蓮、景浦安武(あぶさん)はどうでしょうか。
あぶさんは実在の人物ではありませんが、彼の背中を追うようにして生きてきた(ちょっと大げさ、、、)わたしにとっては実在の人物以上に大きな存在です。
千代の富士は肩の脱臼グセがあるために怪我を繰り返し、思うような相撲が取れませんでした。
やがて、ハードな筋力トレーニングに励んでその脱臼グセを克服し、26歳で横綱になります。
決して早くない横綱昇進ですが、千代の富士の活躍はそこから始まります。
30代になってからが彼の全盛期。
35歳で引退するまでの間に29回の優勝を成し遂げます。
俳優の大杉蓮さんは、大学中退後に舞台俳優として活動をはじめ、やがて映画にも出演するようになりました。
ところが、映画と言ってもピンク映画やVシネマが主な活躍の場でした。
その彼が40代になったとき北野武監督の『ソナチネ』に出演したことが、ブレークのきっかけとなりました。
それから後の活躍はご存知の通りです。
今年2月66歳で急逝、早過ぎる死でした。
3は「デビューの時期にかかわらず、高い年齢の時に華々しい活躍をする人」;
若い頃から活躍していたけれども、特に晩年になってから大きなことに挑んだか、あるいは成し遂げた人として、黒田官兵衛、葛飾北斎の二人の名前が頭に浮かびました。
二人ともわたしの大好きな歴史上の人物です。
この二人には、遅咲きという言葉は合わない気がします。
黒田官兵衛は、豊臣秀吉に仕えながら長く心のうちに秘めていた天下人への思いを、最晩年になってついに熱く燃えたぎらせた戦国武将です。
関ヶ原の合戦前夜、官兵衛は天下取りを狙って大博打を打ちます。
そのとき彼は55歳、大博打は意外な結果に終わり、天下取りは果たせませんでした。
亡くなったのはその4年後です。
そして、葛飾北斎は歳を重ねてなお絵の道を究めようとする気持ちを絶やさなかった人物と言えるでしょうか。
90歳まで生きた北斎が「富嶽三十六景」を描いたのは72歳のときでした。
日曜の夕食は家族四人がそろいます。
商品のPR文を英語で考えるという次男Kの夏休みの宿題のこと、今日初めて高速道路を走った長男Mの自動車教習所の様子、そんなあれこれを食事しながら少しずつ訊き出します。
早くしないと、自分の分を食べ終わった彼らはさっさと食器を片付け、自室へ戻ってしまいます。
一生を一日にたとえて考え、自分の一生が今日一日で終わるとしても、明日が来ないわけではありません。
子供たちが生きる明日があります。
そんな明日に手を掛けて、それを見ようとする人たちが、この夕食を食べ終えた後、さらに何かに挑もうとするのかもしれない。
遅咲きの人なんていない。
それはきっと、明日が来ることを信じて、明日に向かって咲こうとする人に違いない。
そう思います。
夜更けまでまだあと数時間あるし、あんまり飲みすぎたらあかんな。
アルコールはちょっと控えめにしとかんと(^^;