森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

命のありか **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート26

 
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わたしはあと数年で定年退職の年齢を迎えます。

人生に残された年月を数えるとき、身近な人の死をあれこれと思い出します。

母は八十を過ぎてまだ健在ですが、父は三十年前に亡くなりました。

目の前で人の死に立ち会ったのは、父を亡くしたときのこの一回きりです。

その父のことを最近になってしばしば思います。

仕事を終えて帰宅する道すがら、父、、、いえ、お父さんが家で待ってくれているように思うのです。

そう思うときのわたしは小学生の頃の「僕」に戻っているはずです。

早く家に帰って、お父さんに今日の学校での出来事を話そうと思っています。

食卓代わりの電気こたつを僕とお父さんと母と弟との四人で囲んで座ります。

お父さんは僕の左手に壁を背もたれにして座っています。

家族の中で背もたれがあるのはお父さんだけです。

お父さんは家族の中心だからです。

僕はお父さんのことが大好きでした。

僕はお父さんに話しかけようとします。

とてもとても懐かしい気分に僕は包まれます。

ところが、正面にいるはずの母と右手に座っているはずの弟の姿はぼやけて見えなくなります。

どうやら、部屋にいるのは僕とお父さん二人だけのようです。

でも、何か違うな。。。

わたしはとうに五十を越えていて、五十六歳で亡くなった父と並んで座ればどちらが親か子か、見分けがつきません。

ああそうだ、父はもう死んだのだった。

そう思い直して、わたしは奥さんと子供と暮らす家に向かうのです。

 

 

 

命はどこに宿ってるのでしょう。

身体の中でしょうか。

身体の中だとして、この身体のどこに宿っているのでしょうか。

胸の中でしょうか、頭の中でしょうか。

それとも、身体という入れ物とは別のところに宿っているのでしょうか。

父の命はわたしの身体の中に宿っているのかもしれません。

いまだに父のことを思うのはそのせいかもしれません。

わたしの身体の中にはわたしと心を通じた人たちみんなの命が宿っていて、その人がこの世界からいなくなっても、その人を感じることができるのかもしれません。

ひょっとして、わたしたちすべての命は、ひとつの場所に集まっていて、ただ身体だけがこの世界に一時的に姿を現すだけなのかもしれません。

 

 

命は人とのつながりの中にあるのかもしれないですね。

だから近しい人を喪うと自分の命を削られたように辛く感じるのかもしれないですね。

 

命が形あるものとして存在するのだとすれば、死は何も存在しなくなる状態を言うのでしょうか。

身体が動かなくなり朽ち果てて、物質として消えてしまうのと同じように、命もなくなってしまうものなのでしょうか。

それとも、死という別の存在に変化するのでしょうか。

死は身体がなくなっても存在できるものなのでしょうか。

 

 

 

父は脳腫瘍で亡くなりました。

病院に救急搬送されたのは昭和六十年十二月の初旬でした。

わたしは神戸で教職に就き、弟はその年の春に大学を卒業し、やはり神戸で就職していました。

土曜の深夜、父が倒れたとの連絡を受けました。

終電の後でしたが、そのほんの一週間ほど前にわたしは初めてのマイカーを中古で買ったばかりでした。

まさかそれがこんなことで役に立つとは、、、

今から思えば、子供二人が大学を出て就職し、知らせを聞いたわたしが深夜に車を走らせて急いで帰郷できるという段取りが整い、それらすべてを待って、父は倒れたように思えてなりません。

それも翌日仕事を休まなくてもいいように、土曜の夜に。

 

年が明けた一月に手術をして腫瘍を取り除き、半年ほど入院生活を送ってから、父は退院することができました。

その一年後に病気が再発して再入院、昭和六十二年八月の末に父はもう一度手術をすることになりました。

手術の後で、少し言語障害が緩くなった父が、

「旅行……、悪かったな」

と、たどたどしく言いました。

わたしは父の手術に立ち会うために職場の職員旅行をやめたのですが、なぜか父はそれを知っていて、そのことを謝ったようでした。

自分自身がこんなに大変な時に、父は一体何を気にしているんだ。

わたしは頭を力いっぱい殴られたような思いがしました。

「悪かったな」

この言葉は、父がわたしのことを自分の息子だと認識して話しかけてくれた最期の言葉になりました。

再発した腫瘍は脳の記憶を司る部位を侵していくようでした。

九月から二学期が始まります。

仕事にかこつけて父を見舞うのをさぼり、数週間後の九月半ばに病室を訪れたとき、父はわたしという息子の存在をすっかり忘れてしまっていました。

ずっと付き添っている母と毎週末に顔を見に来ていた弟のことしか分からないようになっていました。

僕のこと誰だか分かる?

お父さん、聞こえてる?

どんな言葉も通じませんでした。

父が関心を示すのは呼びかけるわたしの声の大きさに対してだけでした。

また年が明け、やがて父は呼びかけに対する反応すら示さなくなってしまいました。

父の瞳はわたしの顔にもう二度と焦点を合わせてはくれませんでした。

わたしに詫びの言葉を残したまま父は遠い人になってしまいました。

謝らなければならなかったのは、わたしの方だったのに。

 

昭和六十三年六月九日、午後一時四十七分。

父が逝きました。

父の兄弟たちと母とわたしと、ぎりぎり間に合った弟とに看取られた最期でした。

わたしはその十分くらい前に、急を聞いて職場から駆けつけたばかりでした。

そのときはまだ父の微かな息づかいが聞こえていました。

わたしは、痩せて骨と皮だけになった父の身体をさすりました。

心電図用のコードを張り替えに看護師さんが二人来てくれました。

父は少し落ち着いた様子でした。

「息してる?」

突然、一人の看護師さんが父の顔をのぞき込み、コードを外そうとした手を止めました。

どんどんどん、と父の胸を激しく叩きます。

もう一人の看護師さんは病室を飛び出していきました。

ドクターが駆けつけ、すぐに心臓マッサージを始めました。

廊下にいた親戚たちが呼ばれました。

みんながベッドの周りに集まったとき、弟が病室に走りこんできました。

「心臓がとても弱っています」

独り言のようにドクターが呟きました。

しばらくして、医師は左腕の時計に目をやり、

「一時四十七分……、残念ながら……」

とわたしたちに告げました。

 

 

そのとき、父の命はどこにいったのでしょう。

父の身体の中から抜け出たのでしょうか。

身体から抜けてふわりと病室を漂い、窓から外に出て、空高く舞い上がっていったのでしょうか。

それとも、炎が燃え尽きるように、ぷつりと消えてなくなってしまったのでしょうか。

きっとそのどちらでもない、と今わたしは思います。

父の死の数分前まで、父の命はそこにあって、父は病室の空気を吸い、息を吐いていました。

父の吐いた息を病室にいたわたしたちが吸って吐いて、その空気を父はまた吸っていたのです。

父の手を握ったときの暖かさはわたしの手の中に残っていて、父の肌もまたわたしの手の温もりを感じたはずです。

身体はそれぞれ別にあっても、息や温もりや声や思いを通して命は繋がっていたはずです。

それはどれだけ時間が過ぎても変わらない。

父の命はまだ、わたしの中にある。

今、わたしはそう思います。

 

 

命を持っているのは、生きているのは、ヒトだけではありません。

この世界のすべての生き物に命がある。

樹木にも命があって、その命の尊さはヒトの命と少しも変わらない。

なんの答えにもなりませんが、ただそう思いました。

ありがとう…と、そう感謝して樹木を切るだけなのでしょうか。

 

 

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今日の記事は トビーさん (id:kapibara5168) ちゃこりんさん (id:cyakorin) マミーさん (id:mamichansan) 居候の光さん (id:isourounomitu) の記事に書かせていただいたブックマークコメントを元にしました。

いつも、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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山猫🐾@森の奥へ
似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。