26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日から51日目、平成7年3月8日水曜日、わたしは結核性胸膜炎で国立神戸病院(現・神戸医療センター)の結核病棟に入院することになりました。入院生活は約二か月続きました。
松任谷由実の『春よ、来い』。この歌を聴いて、春が来る日を信じました。
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結核病棟。
この言葉は本の中でしか知りませんでした。けれど、結核という病気は撲滅されたわけではありませんし、決して軽い病気でもありません。
Wikipediaによると、「世界保健機関 (WHO) によると、結核はHIVの次に死者の多い感染症」であり、「厚生労働省は『結核は過去の病気ではない』というスローガンで」、「注意を喚起している。日本での2010年の新規登録患者数は23,261人、罹患率は人口10万人対18.2、結核死亡者数は2,100人であった」とのことです。
一般病棟と同じ階に結核病棟はありましたが、二つの病棟の間にある渡り廊下は二重のドアで仕切られていました。お見舞いに来られた外部からの人とは面会室で会うだけで、病室には入ってこられない仕組みになっていたと思います。約二か月間の入院生活の間、二重ドアの外へは、わたしはほとんど出たことがありませんでした。
快復しても、また再発することがよくある病気のようでした。長期にわたる入院を繰り返すことは、仕事を持つ人だけでなく、家族を持つ人にとっても、回りに重い負担をかけることになります。
仕事の進捗を気に病む人、長期の欠勤で会社を辞めさせられないか不安に思う人、家に電話して子供さんの体調不良を知り、学校に欠席連絡を入れるお母さん、、、お母さんの方が重い病気なのに、、、
そこには、震災とはまったく別の厳しい非日常がありました。
あの頃よく聴いた歌があります。
松任谷由実の『春よ、来い』です。平成6年10月から7年9月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌でした。
橋田壽賀子の自伝的作品で、ヒロイン・春希を演じたのは安田成美、中田喜子だった、、、らしいです。
当時わたしはテレビをほとんど観ない生活を送っていたので、世間の情報にとんと疎かったのですが、入院生活が始まって、この歌を知りました。
淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める
(作詞・作曲 松任谷由実)
冒頭のフレーズです。音色も詞もあまりに美しくて切なくて、心の襞に沁み通ります。ユーミンの歌声は真っすぐ胸に届きます。胸で歌を聴いています。胸が熱くなります。心は頭の中じゃなくて胸の奥にあるとはっきりと感じられる気さえします。
イントロのピアノの調べの心地よさ。
その調べは、胸を、そして身体中を温かく包み込むように響いてきます。いつまでもいつまでも、そのリフレインを聴いていたい。そう、思います。
淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花
思いがけず地面を濡らす雨。見上げると、雲間からほのかな光が差しています。その雲間から落ちてくる雨が沈丁花を揺らします。沈丁花は今年もまた、春を告げるように咲いてくれるのでしょうか。
この曲を聴くたびに、歌うたびに、鼻の奥がつーんとしてきます。
そして、このフレーズになると、もう駄目です。
それは それは 明日を超えて
いつか いつか きっと届く春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
(作詞・作曲 松任谷由実)
そうか、、、わたしは胸を病んで病院に閉じこもっているんだった。被災地の現場から逃げるようにしてやってきて、ひとりでここにいるんだった。と、はたと気が付くのです。まだ見ぬ春は、やってきてくれるんだろうか、季節は冬のまま、止まってしまったりはしないんだろうか。
夢よ 浅き夢よ 私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています
ユーミンの歌声に合わせて、心の中で、胸の奥にある心の中で、繰り返しそう唱えたのです。
※下のリンクは震災当日の記録です。