
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から41日目です。
2月26日(日)
「自治労」の応援は今日はなし。いきなりペアがなくなってしまった。上からの指示もないので、ペアのいない同士で、本庁からの応援職員・I井さんと組んで被災家屋の再調査に午前中回る。いわゆる「できる」人だ。少し話しただけでもそれが察せられた。判定に納得しない人への説得の巧みだったこと。こっそりため息をつく。
午後からは一人で回る。途端に気が緩んでしまう。1軒目で便乗組を扱った疲れと、雨が降り始めたせいと。トイレにいきたかったから、一旦帰宅する。ちょっとサボってしまう。気を取り直してまた外に出たが、難しそうな家はパスしてしまった。やはり一人ではだめだ。午前中、I井さんと7軒まわったのに、午後は便乗組も含めて5軒しか行けなかった。
夜はM田氏(※職場の同僚)と約束があった。久しぶりに地下鉄に乗った。地下鉄はずいぶんゆっくり走る。途中三宮駅は止まらずに通過した。
18時、新神戸に着く。二人で店を探して回るが、三宮の飲食街が閉まっているせいか、どこも満員状態。1時間少しかけてようやく「寿里庵」にたどり着く。それからさらに30分以上待たされてようやく席に着くことができた。それでも本来の同僚だと話題が絶えず、気苦労もない。
しゃぶしゃぶと鯛めしを食べて、新神戸に向かう。22時半頃ようやくたどり着くが、5分前に終電が出た後だった。しかたなくタクシーで帰る。23時頃帰宅。
地下鉄三宮駅ホーム(1995年3月)
写真提供;神戸市
※下のリンクは震災当日の記録です。