
26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から47日目です。背中の右横の部分が痛くて夜中に何度か目を覚ましました。
3月4日(土)
市の外郭団体「西神開発」I岡氏とペアを組んで被災家屋再調査へ。僕が教職出身だと言うと、I岡氏も自分の経歴を語ってくれた。
学校の管理員を10年勤めて、事務職への編入試験に合格し、今の職に移ったとのこと。裏口入学ですわ、と笑っていた。
調査は今までになく順調に進んだ。先日訪ねたときに会えなかった山王町のY田さんとはようやく出会えた。
罹災証明を見ると、昭和17年生まれとのこと。30代後半くらいに見えたが。家屋は彼女の祖父が隠居するときに建てたとのことで、寿命と言えるだろうが、かなり傷んでいた。全壊の判定を下す。
木曜日に約束をすっぽかしたお詫びとのことでケーキをもらう。I岡氏からは「賄賂や賄賂や」と冷やかされる。I岡氏は別に何かをしてくれるというわけではないが、一緒にいてもらうと何となく安心感があり、スムーズに仕事が進んだ。彼が次に応援に来てくれるのはいつのことかわからないが、次もまた一緒に回ろうと言ってもらった。
K林君(※大学時代の友人、小学校教員)とI淵(※高校時代の友人)に電話。K林君はH小学校(※東灘区)で泊まりの勤務だった。保健室に移されているという臨時の職員室に電話をかけ、いろいろ話し込む。
I淵には、結婚式出席でこっちにやってくる話のその後を訊こうとして電話した。でも、二月から八重洲支店(※住友信託銀行)に転勤になったので、大阪へは日帰りで来ることになってしまったとのことだった。洋子ちゃん、雄洋くん、奥さんとも話をする。
母から電話。8時半頃就寝。背中の右横の部分が痛くて何度か目がさめる。
朝方寝汗をかく。汗を一杯かけば風邪も終わりだろう。これでようやく克服できるかもしれない。
西岡本2-25-1(旧:神戸市立神戸商業高等学校 現:住吉川東緑地)1995年2月13日
写真提供;神戸市
※下のリンクは震災当日の記録です。