26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から20日目です。
2月5日(日)
7時50分出勤。9時より家屋解体撤去申請の受付業務。かなり来庁者は少なくなってきたが、落ち着いてきたせいかかえっていろんな質問を受ける。こんなに困ってるんだから優先して欲しい、特別扱いして欲しい、、、自分だけが被災者、みたいな感覚の人がいる。市職員間の仲もいくらかぎくしゃくしてきた。ストレスのせいか。
I谷課長は、応援職員と区職員との関係をいろいろ気にしているが、どうもうまくいってないようだ。応援職員に対する待遇の悪さが原因の一つになっているとも思う。
夕方になって、本部の引っ越しが始まる。区役所地下の公会堂から湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)に作られたバラックへと移る。かなり冷える。引っ越し終了後、夕食をとって、帰宅。
東山小学校へ寄って帰る。S水のおばちゃん(※遠縁の親戚)に罹災届けの説明書を持っていく。おばちゃんは風邪をひいてしまったらしく、疲れた表情だった。ジャージをお土産にもらう。
8時すぎ、N田(※新年会をした大学時代の友人)から電話。直接話すのは新年会以来。まずは互いの無事を確認しあう。H谷(※大学時代の友人)も無事らしい。H谷の話によると、K林(※大学時代の友人)も無事ではないかとのこと。H谷もK林も小学校に勤めているので、きっと避難所対応で忙しいことだろう。
※下のリンクは震災当日の記録です。
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)