26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から37日目です。被災家屋再調査が続きます。人間の嫌な部分にも出会います。風邪がなかなか治りません。
2月22日(水)
罹災証明がなくて、再調査の予定にも入ってなかった人がいきなり家をみて欲しいと言う。こうした便乗組を扱っていると、その日予定していた人の家を回れなくなる。やんわりと断り、一度はそのことを分かってもらって諦めたようだったが、電話で息子さんらしい人と相談したらしく、代わって話をしろと言う。受話器をとるといきなり、あのなぁ、という口調。それだけでもう話す気がなくなった。固いことを言うな、案の定、そんな内容。
最後に回った家でも、その家の人じゃない第三者から、国から出る金だからお前らの懐が傷む訳じゃないだろう、というような言い方をされる。
自分だけが被災者だと思っている。被災者というカードはオールマイティーだと思っている。心温まる話を聞かないでもないが、人間の嫌な部分が目につく日だった。
午後からちょっと頑張り過ぎたのか、区役所に戻った後、書類整理に6時頃までかかる。M川さん(※本庁からの応援職員)は今日は最後まで付き合ってくれた。
風邪の症状がひどくて9時頃に就寝する。
K芝先生(※職場の同僚、先輩)より電話。相変わらずいろいろ心配していただく。南蛮美術館(※わたしの本来の職場です)の仕事と代わろうかとも言ってもらった。一度お風呂にもおいで、と誘ってもらう。
喉が痛い。
※下のリンクは震災当日の記録です。