森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

白猫🐾さんのこと、繋がっているということ

 
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アガパンサスの花を見ると思い出す人がいます。
と言っても、色っぽいお話じゃないです。

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久しぶりに書きます。
というか、久しぶりにブログを書きます。
毎日何かしら文章は書いていますが、はてなブログを書くのにはパワーがいるので、ブログ用のパソコンをしばらく開かずに遠ざけていました。
そうそう、改めて断らなくても、ブログを書く時はいつも久しぶりでした(^^;
嘘っぽいですけど、書きたいことはたくさんあるんです。
でも、それを頭の中に寝かせておいて、熟成するのを待つうちに、もうそれだけで気が済んでしまうことがほとんどなのです。
なので、書きたかったことはたいてい文章にしないまま、わたしの中で終わってしまっていました。

 

でも、、、終わったことにしたらあかんこともあるなって、ふいに思いが沸き上がってきて、今回パソコンを開いたのは、通勤の路傍に咲くアガパンサスの花に出会ったからです。

アガパンサスの花の名前を教えてくださったのがTwitter友達の白猫🐾さんでした。

tweetされる言葉の端々に落ち着いた人となりが感じられて、そしてまた、いろいろ物知りなところにわたしは尊敬の気持ちを抱いていました。わたしのハンドルネームの末尾に「🐾」が付いているのは、その方へのリスペクトの気持ちからです。
わが家の庭の写真のtweetを見て、ニラが自生しているよ、と教えてくださったのも白猫🐾さんでした。庭に勝手に生えてる野草だと思っていた葉っぱでした。摘み取ると紛れもないニラの匂いがしました。それ以来、週末の朝のわたしの楽しみの一つは、朝露に濡れるニラを庭から摘んできてニラ玉や豚丼を作ることになりました。今朝もニラ玉作りました。
tweetの写真の右下がニラの花です。白猫🐾さんはこれを見てニラのことを教えてくださったのでした。

話はそれますが、わたしはこの4月から勤めることになった新しい職場で子供たちに「山猫🐾です。🐾まで含めて名前です。」と自己紹介しました。ティーチャーネームということにしています。子供たちも「山猫先生」と呼んでくれています。

 

ところで、白猫🐾さんのことです。
わたしがTwitterを始めたのは2017年の初めの頃でした。まもなく白猫🐾さんと知り合い、お互いにフォローしあいました。
わたしのブログにも、ご了解を得てTwitterやDM(ダイレクトメール)のやり取りを何度か使わせていただきました。
仙台辺りにお住まいの男性でわたしより少し年長の方、美術の道に進みたかったけれど夢半ばであきらめられた、というようなことをTwitterでのお付き合いを通して知ることができました。
SNSだけでのお付き合いですから、お互い、素顔は知りません。
白猫🐾さんの顔も本名も、住んでいる街も知りませんし、白猫🐾さんの方も、わたしのことを神戸在住の教師でほぼ同年代、はてなブログを書いている人。くらいの印象しか持っておられなかったと思います。
果たして、お互いが想像している人物像がその通りだったかどうか。実際は違っていたかもしれません。
けれど、数年間のお付き合いは、肩書のようなものを必要とはしませんでした。
顔や名前や住所は、その人の一部ではあるけれど、それが全部じゃない。わたしは、ただ「白猫🐾さん」という存在を得たことに豊かなものを感じさせていただいていました。

 

かなり以前の記事になりますが、白猫🐾さんとのやり取りを使わせていただいた、わたし自身の中では強く印象に残っている記事(「もしもお金が存在しなかったら やりたいことは何ですか?  ~Alan Wattsの言葉より~」)があります。
少し長くなりますが、その中から関係のある部分を紹介させていただきます。
 

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2021年現在大学4年生になっている長男Mが高校3年生だった頃に書いた記事です。高校最後の夏休みを前にした当時、彼はまだ進路を決められずにいました。
それを考えるきっかけを探してネット検索しているうちに辿り着いたのが、哲学者アラン・ワッツの動画でした。上に紹介した記事中にその動画へのリンクを貼っていますので、ご興味があればたどってみてください。 

将来「何をしたいのか分からない」という学生に対して、アラン・ワッツは「もしもお金が存在しなかったら君は何がしたい? 何をして君は人生を楽しみたい?」と訊き返します。
どんな職業に就くかではなく、いかに人生を楽しむかを考えるように彼は問いかけるのです。
お金と切り離して考えるように、と。
「何がしたいのかを掘り下げていって、ついにそれがわかったら、それをしなさい。お金のことは忘れるんだ」そして、「自分がやりたくないことをして人生を過ごすなんて実に馬鹿げたことです」と強く言います。
ですが、アラン・ワッツの言葉に引き込まれていったのは私でした。心の奥を鷲づかみで揺さぶられた気がして、目の奥が熱くなってきました。
アラン・ワッツは私に向かってしゃべっているようでした。最後に彼はこう言います。「この質問にじっくり取り組むことがとても大切です。私が望むものは何だろう?」と。

涙出てきた。
なに、これ?
人生に迷ったつもりなんてなかったのに。
涙が止まりません。

私はこの動画をリツイートして、こう呟きました。

お金ではなく夢を追うもう一つの別の生き方があったのかもしれない、と思い、どうしようもない後悔の念にかられています。 今からなら間に合うだろうか、と思い直してみても、自分の残り時間の短さを否応なく直視させられてしまいます。 困りました、、、

アラン・ワッツの言葉は、わたし自身に強く響いたのです。もちろん、今のわたしにも。
もうすでに人生の折り返し地点をとっくに過ぎてしまっています。今から何ができる?
すると、白猫🐾さんからコメントをいただきました。

私も夢を追わずに生きてきた一匹です。でも、今は何も出来ずとも、これからでも追えるかな…と思ったりします。今からでは達人にはなれないでしょうが、せめて好きなことを人生から外してはいけないと、3-11の震災の後に思い直しました。好きなことの内容によるかもしれませんけどね。

山猫🐾;

また涙が溢れるじゃないですか(^^;

白猫🐾さん;

夢を追いかけること、思い出させてくれてありがとう。
親の反対を押し切れなかったのは、両親が実の親ではなかったからです。育ててくれた恩を思うと、自分だけ勝手は出来ないような気がしていたんです。
でもこれから、これから少しずつ準備をして、素人くさくても何か残せるように、やってみます。

山猫🐾;

遅すぎるということはないんですね?
自分ではそう思っていました。遅くはないって。
でも、踏み出すには勇気がいります。そして、勇気が出てくるのを待つうちにさらに時が過ぎていきます。
私も思い出します。
夢を追いかけることを。

このあと、わたしは白猫🐾さんにDMを送って、このtweetをブログで使わせていただきたい、とお願いしました。快く了解してくださり、白猫🐾さんの美術の道に進みたいという夢も教えていただいたのです。

 

去年の秋頃のことです。
「白猫🐾」さんは突然いなくなってしまわれました。
ある日Twitterをお訪ねすると、そこには「存在しません」という表示があるだけでした。
何かの間違いだと思って、何度かTwitterアプリを開き直しました。それから、白猫🐾さんとやり取りしたDMを確認しました。白猫🐾さんのアイコンがありました。わたしのメッセージもありました。けれど、白猫🐾さんからいただいたメッセージはすべてなくなっていました。白猫🐾さんからいただいた「いいね♡」の履歴を探しました。「フォロー中」「フォロワー」の中に白猫🐾さんの名前を探しました、、、
が、どこにも白猫🐾さんはいらっしゃいませんでした。
白猫🐾さんの顔も名前も住所も、わたしは何にも知りません。どんな事情があったのか、何が起こったのか、まるで分かりません。何の手がかりもありません。どうやったって、もう連絡の取りようがありませんでした。

田中一村のことを思い出しました。
わたしは田中一村という日本画家が好きで、以前そのことをtweetしたら、白猫🐾さんも大好きだとおっしゃって、「いつか田中一村についてブログを書きますから読んでくださいね」→「待ってますよ」というようなやり取りをしたのです。
その記事を書かないままです。読んでもらえないままです。書くのを先延ばしにして、もたもたしているうちに白猫🐾さんはいなくなってしまわれました。
繋がっている、そう思っていたのは、わたしの片思いだったのでしょうか……

 

お疲れ様でした。声をかけ合って、職場の同僚と別れるとき。
先生さよなら、皆さんさよなら。元気に手を振って教室を後にするとき。
お休みなさい。そう言って寝室に向かうとき。

次の朝また会えることを誰もが何の疑いもなく信じている。信じているからこそ、安心して別れることができる。
会えなくなるってどういうことだろう。もう会えないってどういうことだろう。
相手がどんなに遠く離れていても、すぐ隣の部屋にいたとしても、また会えると思うときと、もう会えないかもしれないと思うときとでは、全然思いが違ってくる。

数え切れないほどたくさんの人に出会って、数え切れないほど別れてきた。別れたあと二度と会う機会がなかった人が、また数え切れないほどいる。小学校の、高校の、大学の卒業式で別れて以来二度と会わないまま過ごしてきた友人たちが一体何人いるだろう。学校生活を一緒に送る中で少しの屈託もなく交わしてきたおしゃべりのほとんどが、卒業式を境にしてぷつりと途絶えてしまったんじゃなかったか?
また飲みに行こうなって、電話で話し、年賀状の末尾に添えて、でも、そのまま会わずに来たんじゃなかったか?
そして、わたし自身が教えた子供たちは卒業式の日の校門を出ていったあと今どこでどうしているだろう?
夢をかなえただろうか、それともまだ夢の途中だろうか。

思い出の中では、別れたときと同じ顔をしてみんな笑っている。でも、今もそのときのままの笑顔でいるだろうか?
わたしたちはまだ繋がっているんだろうか?
繋がりはもう切れたんだろうか?
わたしたちはいつまで繋がっていたんだろう?

そもそも、繋がっているってどういうことだろう。

 

今回パソコンを開いたのは、終わったことにしたらあかんこともあるって、思ったからでした。
終わってないと思うことは、今も続いてるって思うこと。この先があるって思うこと。それが、繋がっているっていうことなのかもしれない。

アガパンサスの花を見て、あの人もどこかで今のわたしと同じように思っている。あの日のTwitterのアガパンサスの花をきっと思い出している。
そう、思うことにしよう。

 

 

以下は、白猫🐾さんのtweetを引用させていただいて書いた記事です。どの記事からもTwitterにリンクを貼った白猫🐾さんの存在は消えてしまっています。ただ、今回紹介した白猫🐾さんとやり取りした内容だけは、リンクではなく本文中に引用して書いたので、消えずに残っていました。
夢を追うことについて白猫🐾さんと交わした言葉が残っていたことは、わたしがこれまで生きて出会ってきたいくつかの奇跡のうちの一つなんじゃないか、そんな気がしています。

 

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白猫🐾さん!
いつかどこかでこの記事を目にされたら、このブログ宛にご連絡くださいね。絶対の絶対に。

待ってますからね(^O^)/🍻\(^_^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。