森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

幸せの定員 (創作小説)  ***+1***

 
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幸せの定員(創作小説)

 

    

***+1***


 M小学校は和幸が六年生の秋に転校した先の小学校だった。転校の理由は父親の瀬山幸司が長年の夢だったペンション経営を始めるためにM村に引っ越したからだった。
 幸司は二十年間勤めた大手家電メーカーを辞め、県中央部の山間の地、M村でその夢を実行にうつすことにした。茅葺き屋根の旧家をペンションに改装し、食器や寝具類を用意し、車も送迎用のワゴンに買い換えた。近くに温泉が湧き、冬にはスキー客も数多く訪れる地方だった。
 若い頃から幸司は暇さえあれば旅に出ていた。休みのたびに行き先も決めず、リュックを背負ってぶらりと一人で出かけていた。
 社会人になってからはその機会も少なくなり、いつしか幸司の楽しみは、旅をすることからそれを語り合うことへと変わっていった。旅を語り合う最良の方法は、旅人をもてなす側になればいい。そうすればいつでも飛び切りの刺激に満ちた話を聞くことができる。幸司の方も客たちの好奇心を満足させるのに充分な冒険譚をいくつも持っていた。毎晩遅くまで宿泊客たちと旅の思い出を語り合う。楽しい話が聞けるなら、家族が食べていけるだけの稼ぎで充分じゃないか。幸司は旅先の街で道を尋ね、それがきっかけで後に結婚した妻の有美子と、そんな夢を語り合ってきた。
 その妻、有美子はもうとうに亡い。夢が現実になった時、幸司を助けることになったのは、再婚したばかりの二人目の妻、真砂美だった。料理を振る舞うのが大好きな彼女が調理担当を快く引き受けてくれたおかげで、幸司はペンション経営に踏み切ることができたのだった。

 

 新しいクラス担任は満面の笑みをたたえて、転入生の和幸をクラスの子供たちに紹介した。
「今日から、六年二組の仲間になる瀬山和幸君です。先月事故で亡くなった高橋沙耶香さんの代わりだと思って、みんな仲良くしてあげてください」
 黒板の低い位置に和幸の名前が書かれている。自分で書かされたので右下がりの癖のあるその文字は小さく弱々しく見えた。
 担任の教師はその年の春に大学を卒業し、M小学校に赴任したばかりだった。ようやく教師生活に慣れてきたと思えた二学期に初めての教え子を交通事故で亡くしてしまい、それから一カ月の間は落ち着きを失っている子供たちにどのように接すればいいのか途方に暮れたまま過ぎていた。教職教養の参考書にも学習指導要領にも、どこにもそんなときの対応の仕方など記されていなかった。
 その教師は「タカッチャン」という愛称で子供たちから呼ばれていた。誰にでも優しく声をかけ、心配事を相談されると子供たちと一緒になってあれこれ悩んでくれたが……、その声を気持ちの悪い猫なで声だと陰口をたたく子供も一部にはいた。それは、子供たちと同じ視線で物事を観ることができる教師だと好意的に評価することもできるし、裏を返せば、教師としての立場で子供を指導できない気弱な性格だともとることができる。子供たちはタカッチャンがヒステリックに怒り始めると、「言うこと聞いてあげないと、タカッチャンが泣いちゃうからな」と恩着せがましく呟くのだった。
 小柄な上に、頭髪を丸刈りにしていた和幸は、間違って上級生の教室に迷い込んでしまったのではないかと思えるほど幼く見えた。長いまつげに隠れた瞳がじっと教室の床を見つめている。真新しいシャツとズボン、おろしたての靴、彼が身につけているものすべてがサイズが大き過ぎ、緊張感を一層強いものにさせていた。
 和幸は小声で自己紹介をすませた。その声が震えているのがクラスの誰にもはっきりと伝わった。
 六年二組の子供たちはタカッチャンの口が「高橋沙耶香」と動いた瞬間、一様に怪訝な表情を見せた。だが、タカッチャンにはその表情の変化を読み取れない。もちろん、自分が余計なことを言ってしまったことになど少しも気づいてはいなかった。
 高橋沙耶香はすらりと背が高く、少し大人びた端正な顔立ちをした少女だった。クセのない長い髪をいつも几帳面なほど丁寧な三つ編みにしていた。正義感が強く何事にも物怖じしないところがクラスの委員長に適任だった。修学旅行中に、クラスの男子のグループが少々太り気味なバスガイドの説明をまったく無視して騒ぎ続け、とうとう泣かせてしまったのをうまく落ち着かせたのが彼女だったし、六年生になった当初、新しいクラスになかなか馴染めず、学校を休みがちだった女子に毎日のように連絡物を届けてくれたのも彼女だった。クラスの子供たちは沙耶香が嫌な表情をつくるのを見たことがなかった。タカッチャンの頼み事を誰もきいてくれない時に最後に手を挙げて引き受けるのもいつも彼女だった。そんな時いかにも優等生を気取ったように真っ先に手を挙げたりしないところが沙耶香の行き届いた配慮を表していた。
 クラスでは担任のタカッチャンよりも沙耶香の存在感の方が遥かに大きかった。二組の男子はもちろん、他クラスや下級生の中にも彼女に恋心を抱いていた男子は多かっただろう。男子に人気がある女子はかえって同性からは好かれないものだが、沙耶香に限ってはそうではなかった。女子たちからも篤い信頼を集めていた。一カ月前に起こった交通事故で不意にその命を終えてしまう日まで、高橋沙耶香は委員長としてクラスをまとめる不可欠な存在だったし、クラスメートの誰もが彼女と同じクラスになれたことを自慢に思っていた。
 交通量があまり多くないM村の真ん中を貫く国道を猛スピードで走ってきた車は、塾帰りの沙耶香をはね、そのまま走り去った。少年たちが憧れた彼女の笑顔はガードレールに叩きつけられ粉々に砕けてしまった。夜陰の中、何人もの子供がそれを目撃していた。ショックのあまり、それ以来夜の外出を怖がる子供もいたほどだったから、彼らの目撃証言はあまりにも錯綜してしまって、かえって真実を見えなくさせてしまっていた。

 

 

(続く)

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。