森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

阪神淡路大震災

大雨一過~7月8日20時15分、神戸、大雨警報解除

7月8日20時過ぎ、4日間にわたって神戸市に発令されていた大雨警報がようやく解除されました。 西日本各地に甚大な被害を与えた大雨でした。 わが家は停電こそしましたが、それ以外は大過なく今日を迎えることができました。 www.keystoneforest.net 1…

わが家の「ワレモノ注意!」たちへの避難指示解除~大阪北部地震その後

6月18日に発生した大阪北部地震について触れた前回の記事にたくさんのお見舞いコメントをいただきました。 b204638さん、happy-ok3さん、anneseaさん、sufuretanさん、mraka2015さん、mamichansanさん、keiko-blogさん、toikimiさん、sumino72さん、ColdS…

大阪北部地震〜神戸から

その時、わたしは神戸市内にある職場のスタッフルームに立っていました。 プリントアウトした職場の予定表を掲示ボードに貼ろうとするところでした。 不意に異様な音が鳴り響きました。 6月18日7時58分のことでした。 SF映画で聴くようなその機械的…

死者は生者の記憶のなかにしか生きられない **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート21

死者は生者の記憶のなかにしか生きられない 歌人永田和宏の言葉です。 生きている者、生き残った者は、生きている限り死者のことを思い返します。 近い肉親であったり、愛した人であったりすればなおさらに。 その人の好きだった食べ物や花、飲み物や音楽、…

23年目の1月17日、新月の夜です。新月は地上からは見えない月です。

23年目の1月17日、新月の夜です。 今夜の空を確かめたくて駅から歩いて帰りました。 わたしの家は山の中腹にあり、駅から山を登ります。 駅前にあるバス停には数人の列ができていました。 すぐにバスが来るようです。 ですが、わたしはバス待ちの列に並…

神様なんて、だいっきらい。

神様なんて、だいっきらい。バチあてやっからな。 ルパン三世の言葉です。 好きとか嫌いとか、それは同じ人間を相手に思うこと。 好きとか嫌いとかの対象に神様はなりません。 でも、そもそも神様って、仏様って、人を救ってくれる存在のはず。 それがどうし…

23年前のあの夜、街灯りが消えた神戸を満月が見下ろしていました。

て 今月、2018年1月には満月が2回巡ってきます。 ブルームーンと呼ぶそうです。 1月の満月で一番に頭に浮かんだのは、23年前のあの夜の満月でした。 街灯りが消えた神戸を満月が見下ろしていました。 暗闇に浮かぶ満月は怪しいほど明るく見えました…

日常と非日常。                         

私は阪神淡路大震災を経験した一人です。 あの大震災はほんの数日のうちに何百、何千と言う人の命を奪いました。 あの日の後も、大災害が日本や世界を繰り返し襲っています。地域紛争という名の戦争も止みません。 人が一生のうちでたった一度でも経験するか…

かみさまのいじわる

あの日から22年が経つ。この先いくつ歳を重ねても、あの日を忘れることは絶対にない。 人生のなかで一番強烈な記憶。 かみさまのいじわる なんでえいじのいえつぶしたんやえいじのいえつくれつくられへんねんやったらおかねくれおかねもくれへんねんやった…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 7

*その日の日記。 だが、その日に書いた日記ではない。数日後にその日を思い返して書いたものだ。 1月17日(火) 不気味な地響きを感じて目がさめた。直後、激しい揺れに襲われる。前夜軽い揺れを感じていたのですぐに地震だと気づいたが、だからといって…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 6

あの日の昼頃まではそうやって、ずっと家の瓦礫を掘り返して過ごしていた。 いつ頃家に戻ったのかよく分からない。覚えているのは、わが家の薄暗い一階のダイニングで、食器棚から飛び散ったお皿や茶碗の山と、中身を全部放り出してドアが開いたままだった冷…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 5

しばらくして、瓦礫の下から声が聞こえてきた。うまい具合に空間があって、そこに老夫婦がいるのが確認できた。おばあさん、おじいさんの順に引き上げた。どちらも怪我はないようだった。おばあさんは薄着だったから、後で家からセーターを取ってきてそれを…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 4

ラジオからは朝のパーソナリティが地震の状況を伝える緊迫した声が聞こえてきていた。声は堅くぎこちなかった。けれど、地震のひどさを推し量ることができたのはそんな声の表情からだけで、大阪のラジオ局の情報でさえ、思うように状況を把握できないもどか…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 3

その後、私は一度、部屋に戻る。パジャマ姿のままだったから、着替えをしようと思った。でも考え直して、パジャマを脱がず、その上にジーパンとトレーナーを重ね着して、スキーウェアもさらに着込んだ。スキー用のグローブも持った。さほど寒さは感じなかっ…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 2

地震から何日か停電していたから、個人的な一番の心配事といえば、家のことなんかじゃなくて、パソコンのハードディスクの中のデータのことだった。パソコン本体ならまた買い直すことができる。でも中身が消えたら戻ってこない。と言っても、ハードディスク…

山猫ノート 阪神淡路大震災記 1

1995年1月17日、朝。 まだ寝ていた。けれど、揺れが来た時にはもう起きていた。五時四十六分ーーの数分前か、数秒前か、地鳴りを感じた。それが伝わってくる気味悪い気配で目が覚めた。方角は分からなかった。でも、それが遠くの方からものすごい速さ…

緊急地震速報

10月21日14時過ぎ、いつものように6時間目の授業が始まろうとしていたとき、校内放送が響いた。 「鳥取県で地震発生、強い揺れに備えてください。緊急地震速報 震度3 およそ25秒後 最大震度6強 震源地 鳥取県中部」 これは来る、と感じた。近くに…