7月8日20時過ぎ、4日間にわたって神戸市に発令されていた大雨警報がようやく解除されました。
西日本各地に甚大な被害を与えた大雨でした。
わが家は停電こそしましたが、それ以外は大過なく今日を迎えることができました。
10日現在、まだまだ被害の全貌が掴みきれていない状況です。
橋が軽々と流されていく映像を観ました。
泥流に足元を削り取られ、大きく傾いた家屋の映像も観ました。
ひとつの町がまるごと川に飲み込まれてしまった映像に絶句しました。
大雨の威力に戦慄すら覚えました。
数十年に一度の大雨だと言われています。
その大雨が今年降ったのは、これまでの数十年間にこれだけの大雨が降らなかっただけのことで、これからは、毎年のようにこれくらいの大雨が降るのかもしれない。
気になるのは、年々、気象庁の広報の方が大雨の危険性を伝えられる時の口調、表現が厳しさを増しているように感じられることです。
六甲山中腹の傾斜地に建つわが家でも、真剣に避難することを考えました。
大雨警報発令から2日目の6日金曜日の夜、兵庫県内にも大雨特別警報が発令されました。
それを受けて、子供たちにも避難に備えて荷物をまとめるように伝えました。
避難所は近くの学校でしたが、いざとなったらどこに避難するか当てがあったわけではありません。
取り急ぎ、わたしも荷物をまとめました。
阪神淡路大震災に遭遇したときのことが嫌でも思い出されました。
あの時まとめた荷物は、
中学の頃から断続的につけていた日記帳3冊
小説を書き留めていたノート
創作のアイデアを書き殴ったレポート用紙の類
写真と年賀状の束
パソコンの外付けハードディスク
そして家の権利証の類
ボストンバッグ1つにこれだけを詰め込みました。
あれから二十数年、長く生きた分だけ荷物が増えました。
いや、欲張りになっただけかもしれません。
荷物はボストンバッグ2個、リュック1個に増えました。
ボストンバッグ1の中身は、
下着類、靴下、ハンカチをそれぞれ2日分
ジャージ上下1組、着替えのズボンとシャツ1組、バスタオル1枚
小型の懐中電灯
家庭内LANのハードディスク
ボストンバッグ2の中身は、
幼い頃の写真
父の形見(キーホルダー)
証書類(卒業証書、教員免許状、空手の初段免状)
著作物(文庫本、抜刷り、同人誌、アイデアメモ類)
リュックの中身は、
現金、カード、証明書、診察券類、銀行の通帳
でした。
ボストンバッグ2はとにかく重くて、急いで避難するとしたら、おそらく持っていけなかったかも知れない、と思っています。
子供たちにはカバン1個にまとめるように!
と言っていたのに、、、
自分の強欲ぶりが恥ずかしくなります(^^;
9日月曜日朝、いつもの時間に目を覚まし、いつもの時間に家を出ました。
いえ、少しだけ早く家を出ました。
確認しておきたいことがあったのです。
6日早朝の停電の原因となった土砂崩れの様子を改めて自分の目で見ておきたかったのです。
場所は、わたしが通勤時に毎朝通る道でした。
でも、今朝は通れませんでした。
しばらく通れなさそうです。
角の家は土砂に飲み込まれる寸前でした。
わが家が無事だったのはほんの紙一重の違いでしかなかったのだと思い知らされました。
駅前の池は深く濁っていました。
大雨の後と前です。
自然は豊かで、時に残酷です。
雨は上がり、空は晴れ渡っています。
人は今朝も空を見上げます。