森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

日常と非日常。                         

 
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私は阪神淡路大震災を経験した一人です。

あの大震災はほんの数日のうちに何百、何千と言う人の命を奪いました。

あの日の後も、大災害が日本や世界を繰り返し襲っています。
地域紛争という名の戦争も止みません。

人が一生のうちでたった一度でも経験するかしないかの出来事に遭遇した私には、その渦中で思ったこと感じたことを経験していない人に伝えていく義務がある、と思っています。

それは、人を助けたとか何かの役に立てたとかいう立派な経験ばかりではありません。
大震災という非日常を経験し、私は自分が持つ嫌な面に思いっきり気づかされもしたのです。

ですが、そうしたたくさんの記憶も次第に薄らいでいきます。

あんなに強烈な体験だったのに。

 

 

震災からほんの数日が過ぎただけの日のことでした。

街にはまだ焦げ臭いにおいがあちらこちらから漂ってき、消防車や救急車のサイレンとヘリコプターの爆音とが忌々しく響き渡っていました。

私は職場からの帰宅途中でした。
未曾有の大災害が起きたからといって仕事がずっと休みになるわけではありません。
電気が復旧せず灯りが消えたままの街に夕闇が迫っていました。
誰もが帰宅を急いでいます。

道の両側には、お互いに隣を支えにしてようやく建っているだけの家並みが続いていました。
崩れ落ちそうな壁を避けながら、誰もが大きな荷物を下げ、興奮したように歩いています。

深い大きな悲しみを抱いている人もいるはずですが、私はあの日以来、異世界に迷い込んだような不思議な胸の高まりを感じていました。

 

家の下敷きになった人を掘り起こし、病院まで背負って行きました。
あいさつすらしたことがなかった隣人と食べ物を分け合いました。

たまたま生き残ったことで、私には自分の命が急に激しく燃え始めたように思えていました。

 

雑踏の中を老婆が歩いていました。
大きな風呂敷包みを下げています。

「おばあちゃん、どこまで行くの。荷物持ってあげよか」

私は元来見知らぬ人にやさしく声をかけたりする性格ではありません。
困っている人に気づいても、見て見ぬ振りをしてきた人間です。

ですが、そのときは、以前なら絶対に口にすることがなかった言葉が、自分でも意外なほど自然に発せられました。

ところが、その老婆は一瞬私に目を向けただけで、風呂敷包みをいっそう強く握り直してそのまま歩いていってしまいました。
射るような冷めた目つきをしていました。

物盗りと疑われたのだろうか。
それとも、偽善者と見られたのかもしれない。

大地震が襲った街のど真ん中で、かすり傷一つ負わなかった私は、困っている人、苦しんでいる人たちを、上から見ていたのかもしれません。

高揚していた私の気持ちの昂ぶりは、この一瞬で押しつぶされてしまい、街が異世界などでは決してないことをはっきりと思い知らされました。

 

後日、私はもう一度この老婆に会います。

彼女はあの風呂敷包みをまだ持っていました。
そして、それを枕代わりにして地下道で寝ていました。

何年も伸ばし続けたままの白髪交じりの髪がガチガチに固まり、ターバンのようにぐるぐる巻きになって頭の上に貼りついていました。

そういえば、震災の前にもそんな髪をした女性が地下道に寝転んでいるのを何度か見かけたことがあったのを思い出しました。

彼女は震災前からの路上生活者でした。

 

私は今度はその老婆に声をかけず目も合わさずに、するすると人混みに紛れ込みました。

隠れでもするように。

苦い苦い思いが心の底に沈んでいきました。

 

あれから20数年が経ちました。

街は、、、
すっかり平静を取り戻しているようです。

 

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