
長男のMは高校3年生。
男子バレーボール部キャプテンです。
6月のインターハイ県予選は3回戦で敗れました。
が、バレーには春高があります。
春高が高校バレーの頂点を決める大会です。
春高県大会出場を目指して、この夏、まだ練習を続けています。
手前味噌ですが、彼とバレーボール部のことはこれまで何度か記事に書きました。
長男Mの部活動は、日々のバレーの練習と試合だけではありません。
むしろ、練習と試合以外の要素の方がとても大きい割合を占めていたと言えるかもしれません。
それが何かと言うと、部員を集めることです。
Mが通う高校は今年度末(平成30年春)で閉校になります。
なので下級生はいません。
このあたりの事情は上の記事に書いています。
部員の推移を簡単にまとめてみます。
平成28年夏、インターハイ時点。
バレー部3年生5人、バレー部2年生2人(長男のMとA君)、合計7人。
平成28年秋、春高市予選時点。
バレー部3年生3人(夏のインターハイ後2人が引退しました)、バレー部2年生2人(長男のMとA君)、バスケ部2年3人、元野球部2年1人、合計9人。
バレーバスケ部の誕生です。
ここから学年が1つ上がりますが、1,2年生がいないので新3年生だけが残ります。
平成29年夏、インターハイ時点。
バレー部3年生2人(MとA君)、バスケ部3年生3人、元野球部1人、元陸上部1人、合計7人。
このうちの元野球部の1人を除く6人がバレーバスケ部です。
バレーバスケ部のインターハイ・バスケ編については下の記事に書きました。
続いて、バレーバスケ部のインターハイ・バレー編です。
平成29年7月。
バレー部2人(MとA君)、元野球部1人(B君とします)、合計3人。
バスケ部の3人は進路に向けての取り組み(受験勉強など)に専念するために部活動を辞めた(引退した)ので、MとA君、B君の3人で6月のインターハイ終了以降は練習を続けてきていました。
感謝すべきは男子バレー部の顧問の先生です。
この3人の練習にずっと付き合ってくれている、とMから聞きました。
7月のはじめは期末テストがあります。
このテスト期間中に、併設されている新しい高校(1,2年生のみ)にバレーボール同好会の設置を認めるかどうかの職員会議が行われました。
同好会にはすでに、1,2年生からメンバーが7,8人集まっていて、設置さえ認められれば、Mたちバレーボール部3年生と合同チームを作って大会に参加できる計画でした。
ところでもうすぐ、高校野球・夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)が始まります。
この大会が高校球児たちの最後の大会となります。
秋に国体が開かれますが、これに出場できるのは一部の高校だけです。
夏の甲子園大会で試合に敗れた選手たちが甲子園の土を持って帰る場面はたびたびテレビで放映されています。
都道府県の代表になれるほどの強豪校であっても、3年生はこの夏の大会で破れた時点で、高校での野球は最後になります。
ここに至るまで、野球に対してどれほどの情熱を注いできていようとも、高校卒業後に大学や社会人チームでプレーを続けないなら、二度と野球をしないこともあります。
それはちょうど、卒業式を終えて学校の門を出た後、それまでの高校生活で毎日のように顔を合わせていたクラスメートの何人かと二度と会う機会がないまま年月が過ぎるのと同じことかもしれません。
部活動における引退は一種の別れでもあります。
夏で大会が終わらないスポーツがいくつかあります。
代表的なのはバレーボールとサッカーでしょうか。
バレーボールには1月に開催される全日本バレーボール高等学校選手権大会、サッカーは正月前後に開催される全国高等学校サッカー選手権大会があります。
全日本バレーボール高等学校選手権大会がつまり、春高です。
ですからMにはまだバレーを続けられる機会が残っていたのです。
メンバーが6人揃いさえすれば。
7月の期末テスト明けの練習の日に、Mは顧問の先生から新しい学校での職員会議の結果を聞かされました。
それはつまり、こうでした。
新しい高校には男子バレーボール同好会の設置を認めない。
との結論でした。
以下、「バレーバスケ部最終章2」に続きます。