森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

次の春、学校がなくなる。男子バレーボール部、部員2人から高3最後の大会、春高を目指す。

今週のお題「部活動」

 

次の春、学校がなくなる。

男子バレーボール部、部員2人から高3最後の大会、春高を目指す。

 

金曜日の仕事帰り、私は電車のドア近くに立って、発車時刻を待っていました。

スマホの画面を見ていると、誰かが肩を叩きます。

顔を上げると学生が立っていました。一瞬誰だか分かりませんでした。親しげにこちらを見ています。

長男のMでした。高校3年のMは私より十数cm背が高いので、少し見上げる形になります。帰りの電車で会うのは初めてでした。時刻は夕方の6時過ぎです。

 

「早いね」

私たちは互いに、同じような言葉を口にしました。

年度初めの仕事の繁忙がひと段落し、私は久しぶりに外がまだ明るい時間帯に帰宅の途についていました。

「金曜は体育館が5時までしか使えないからね」とMは言い、「今週はきつかった」と続けました。練習がきつかった、という意味でしょう。

「今日はどっち?」と訊くと、「バレー」と応えました。

「休みたいけど、明日も練習。バスケ部のキャプテンがやりたいって言うから」

「明日の土曜日は午後からバスケ、日曜日は午前中バレーの練習。次の土曜日にバレーの公式戦があるから、来週はずっとバレーができる」

と案外嫌そうでもない表情で言い足しました。

 Mはバレーボール部とバスケットボール部の両方に所属しています。今日はバレーの練習日だったようです。

公式戦前にはその試合がある方の部活の練習を優先する決まりにしているので、土曜日をオフにするとしばらくバスケットボールの練習ができない、と考えたバスケ部のキャプテンは練習を休みにしたくなかったのでしょう。

 

Mの高校は創立以来百年以上の歴史がありますが、Mの学年を最後に閉校することが決まっています。廃校ではありません。別の高校と合併して新しい高校に生まれ変わるのです。

  

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すでに校舎は新しくなり、そこに新しい高校の生徒たちも同居しています。新しい高校でも授業や部活動が行われていますが、別の学校という扱いなので、基本的に活動は別々です。

Mたちの卒業と同時にMたちが通った高校の名前は消えてしまいます。

この春、Mは3年生になりましたが当然後輩はいません。だから、先輩が引退したあとは自分たちの学年だけで活動しなければいけません。

最後の学年、部員は最初2人だけでした。

 

Mが1年生だった秋、Mの高校は6人で春高地区予選を戦いました。

もともとは上の学年は5人、Mの学年は2人部員がいました。ですが、先輩の1人が怪我のためベンチ入りできなくなり、ぎりぎりのメンバー6人で出場したのです。

Mが2年生で迎えた高校総体の成績は2回戦敗退でした。春高がなければこれで3年生たちは部活動を引退してしまうことになります。

春高(全日本バレーボール高等学校選手権大会)の全国大会は毎年1月に、各都道府県予選は秋に行われます。この大会まで3年生が出場できる規定になっています。

高校総体後、3年生5人のうち2人が大学進学の受験勉強に専念するため部活動を引退しました。残った部員は3年生3人、2年生はMをいれて2人です。Mは最後のキャプテンになりました。部員はたった5人です。

あと1人探さないとその年の秋の春高地区予選には出場することすらできません。それどころか、自分たち最後の学年が3年になってからも部活動を続けるためには、さらに3人が必要です。

Mは運動部に入っていない友達に声をかけていきました。

興味を示してくれた友達が1人いました。彼は野球部に入っていましたが1年生でやめて、その時はどの部活動にも所属していませんでした。Mが誘い、2年の夏から正式にバレーボール部に入部してくれて、2年生部員は3人になりました。

あと3人です。

その3人は意外なところにいました。バスケットボール部です。

バスケットボール部でも先輩が引退した後メンバーが足りなくなっていました。向こうはあと2人足りません。

 

そして誕生したのがバレーバスケ部です。

 

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 双方の顧問の先生とも話し合った結果、2つの部を掛け持つことが認められました。

元野球部の友達はバレー部だけに参加するとのことで、あわせて、バレーボール部6人、バスケットボール部5人、それぞれ試合ができるぎりぎりのメンバーがそろいました。これでどちらの部も3年生で引退するまで活動できることになりました。

 

話は春高に戻ります。

Mが1年だった秋、チームは春高地区予選を勝ち抜いて県大会に出場しました。県大会では1回戦で負けましたが、地区予選では、Mが得意のサーブでエースを何本か決めたことが勝利の一因ともなりました。

が、2年では地区予選で敗退しました。やっとメンバーを集めて出場できた大会でした。

敗退が決まった試合、Mには大きな悔いがあります。

Mは本来ミドルブロッカーでしたが、セッターの先輩が総体で引退したために大会前からセッターに転向していました。

チームには身長190cmの3年生がいます。彼はバレーボールの能力の高さを認められて大学から声がかかるほどのスパイカーでした。

あと一つ勝てば県大会出場が決まるという試合、セッターのMはミスを連発しました。190cmのスパイカーにうまくトスをつなげられず、気が焦るMは得意のサーブでも相手チームを崩せません。それどころか、サーブが相手コートに届きさえしない有り様でした

もちろんチームは負けました。これでもう先輩たちとバレーボールを続けることはできなくなりました。

敗因は全て自分にある、とMはひどく落ち込みました。

春高で全国大会に出場したいとまでは、Mは考えていなかったと思います。チームにもM自身にもそれが困難であることは十分に分かっていたはずです。

そんな輝かしいものがほしかったのではなく、Mにとって高校で入ったバレー部は、やっと見つけた自分の居場所だったと思います。その居場所がなくなるかもしれない、それも自分のせいで、とMは自分を責めたのです。

 

Mは小学校でバレーボールの面白さを知り、中学の部活動では迷わずバレーボールを選びました。

Mの同学年からは運動能力の高いメンバーが何人か集まり、上級生にも巧みなスパイカーがいました。そして、チームは市内でも有力中学の一つと目されるほどの成績を残しました。

ですが、Mは中学の3年間ほとんど試合に出ることはありませんでした。唯一試合に出してもらえるときは、試合の勝敗が決まったあとのピンチサーバーでした。

いつかくるかもしれないピンチサーバーとしての出番のために、Mは黙々とサーブ練習に打ち込みました。けれど、その出番もないまま、中学校最後の大会は終わりました。

 

Mは高校でもバレーボール部を選びました。

H君というMの幼友達がいて、中学校では一緒にバレーボール部に入りました。H君は長身で運動能力も高く、エーススパイカーとしてチームを引っ張りました。おまけに勉強もできて、高校は県内でも有数の進学校に進学しました。

H君も高校でバレーを続け、エーススパイカーとセッター(後衛のポジションに入ったとき)を兼ねるマルチプレイヤーとして活躍しています。Mの試合の応援に行った先で、H君を見かけることが何度かありました。

「いつかH君の高校と対戦してみたい」とMが話したことがありました。

Mがバレーボールを続けた理由の一つは、中学の時にはかなわなかったH君と、いつかバレーボールで対戦してみたい、という思いだったのかもしれません。

 

春高地区予選敗退の日の夜、帰宅したMはほとんど口を開きませんでした。夕食をかき込むように済ませてすぐに自分の部屋に行き、それきりリビングには姿を見せませんでした。

夜、Mの部屋を訪ねました。

Mはベッドに寝転んでスマホの画面を見ていました。

「悔しいか」と訊くと、うん、と応えました。

「頑張ったからこそ、悔しい。頑張らなかった奴にはこの悔しさは分からない。去年の春高の県大会、せっかく地区予選を勝ちあがったのに1回戦であっさり負けた。あのとき悔しかったか」と問いかけると、ううん、と首を振って応えました。

「あのときの何倍も努力したから悔しいんだと思う。悔しさは努力に比例する。頑張れば頑張るほど負けたときの悔しい思いは強くなる。悔しい思いをしたくなければ、頂点に立つか、一切努力しないか、このどちらかしかない」

でも、たいていの人は努力をして、精一杯頑張って、その結果思うようにいかない悔しさを味わう。それでも人は前を見て、努力することをやめない。と、自分にも言い聞かせるように言い添えました。

 

翌日の月曜日、Mは学校を休みました。生まれて初めてのずる休みです。

その朝、奥さんもMと話をして登校を促したそうですが、全く聞く耳を持たない、という様子だったそうです。

「あとは自分で乗り切るしかない。次に向かって何かに打ち込むしか方法はないだろうね」

奥さんも私も同じ考えを口にしました。

火曜日も休みました。

朝、目覚ましを鳴らし早く起きてきたので、てっきり朝練に行くのかと思っていましたが、 また休みました。

水曜日、Mはようやく登校しました。

ですが、台風接近で暴風警報が発令されたので学校は午前で終わり、部活の練習はありませんでした。

木曜日、 やはり目覚ましを鳴らして早く起きてきましたが、朝練には行きませんでした。それでも、一応学校には行き、放課後のバスケ部の練習に参加したそうです。

ですが、 おそらくあまりに無気力な練習態度だったからでしょう。バスケ部のキャプテンから、「やる気がないなら帰れ」と言われたそうだ、と奥さんから聞きました。

Mはいい友達を持ちました。

 

バレーバスケ部の練習日程は以下のようになっています。

月曜日;休養日
火曜日;早朝練習(バレー)・放課後はバスケ
水曜日;早朝練習(バスケ)・放課後はバレー
木曜日;早朝連取(バスケ)・放課後はバスケ
金曜日;早朝練習(バスケ)・放課後はバレー
土曜日・日曜日;バレー・バスケをそれぞれ半日ずつ

 

Mはバレー部のキャプテンです。

後輩のいない部活では練習の準備を自分たちでしなくてはいけません。バレーボールのネットを張るのも自分たちの仕事です。

Mは一番に練習コートに出て、一人でネットを張ります。キャプテンである自分の仕事だと決めたから、と言います。ほかの部員たちは練習開始時間ぎりぎりに集まってきます。

そんな部員たちを見ていて、Mはある時考えを変えました。

ネットを張るのはキャプテンだから、みんなのためだから、ではない。これは自分のためにやっているんだ、と

去年の冬からバレーボール部に7人目の部員が加わりました。今度は元陸上部です。彼はバスケットボール部にも入ったので、これで両方の部はようやく控えのメンバーがベンチに座ってくれることになりました。

ところが、入れ替わりのように、元野球部の彼が膝を痛めてしまいました。手術が必要なほどの重症です。これでまたバレーボール部はメンバーがぎりぎりの状態に戻ってしまいました。

つい先日、その彼が手術をしました。

 

電車が動き出しました。

今の私たち親子の共通の話題といえば、バレーボールのことしかありません。

「元野球部の子の様子はどう?」

私は一番気になっていることを訊きました。

「順調に快復すれば春高予選に間に合うって」

「春高予選って、秋だろう。そこまでバスケ部の子も付き合ってくれるの?」

うん、とMは応えました。

バスケ部の3年生は夏の総体が終われば、出場できる公式戦はもうありません。普通ならそこで引退です。残り少ない高校生活を進路選択のために充てるか、就職前の最後の自由を愉しめる時間として使うか、そのどちらかでしょう。

決して好きで始めたわけでもないバレーボールに、そこまで付き合ってくれるって?

バレー部とバスケ部と野球部と陸上部。寄せ集めのメンバーで戦ったって、たった1回戦で終わるかもしれないのに?

たった1%ほどの可能性を信じられるMたちに、Mたちの純粋さと若さに、私はとうていかないません。

できるなら、その地区予選でH君の高校と対戦できればいいな、ぜひ対戦して欲しいな、とも私は願います。

 

 

Mは本当にいい友達を持ちました。やっと自分の居場所を見つけることができたのかもしれません。

その居場所は、たぶん秋の春高予選までではなく、試合が終わっても、高校を卒業しても、この先一生続く場所となることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

   

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