森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

ずっとバレーボールをしていたい。 バレーバスケ部最終章2

 
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「バレーバスケ部最終章1」の続きです。

前回分はこちらです。 www.keystoneforest.net

 

長男のMが中学校のバレー部で最初に与えられたポジションはセッターでした。
身長がさほど高いわけではないMにとって、また滅多に感情を昂ぶらせることがない落ち着いた性格のMにとって、セッターはとても適したポジションだったと思います。
ですが、M自身はスパイクを打ちたくてバレー部に入部したようなところもあり、気が進まなかったようです。
そもそも、チームには抜群のセンスを持つセッター候補の生徒がいて、レギュラーを目指すならセッター以外の方がよかったという事情もありました。

中学でのその後のMのことは以前に書きましたが、ピンチサーバーとして試合に出してもらったことが何度かあっただけで、特別目立った活躍の場もなく活動を終えました。

 

Mは高校でもバレー部に入部しました。

その1年の夏です。
3年生引退後の新チームは、2年生5人、1年生はMとA君の2人になりました。
それまでセッターをしていた3年生が引退したため、2年生から1人、1年生から1人がセッター候補として顧問の先生から指名されました。

その後のMは、故障した2年生の代わりにスパイクを打つこともありましたが、ポジションはほぼセッターに定着していきました。

それでも、Mはスパイクを打ちたい、試合で決めたい、という思いをずっと抱いていたようです。

 

Mが3年夏のインターハイ後もまだバレーを続けようと思った動機は、
一つは、高校を卒業してしまえばバレーをする機会はなくなってしまうだろうから、高校生活の最後の最後までバレーボールをしていたい、という気持ちからです。

親の私からすれば頭を抱えたくなるようなことですが、Mのその思いは自分の進路選択よりも優先されていました。

そして、それともう一つあった強い思いは、スパイカーとしてバレーの試合をしたい、自分がスパイクを決めてチームを引っ張ってみたい、という気持ちだったようです。

そのためには、メンバーをそろえることと同時にセッターを探す必要もありました。

 

Mの高校と同じ敷地内には、Mの高校と別の高校とが合併して生まれた、次の新しい高校があります。
その新しい高校の1,2年生のなかに中学校でバレー部に所属していた生徒が何人かいる、ということをMは聞いていました。
そこにはセッター経験者もいるとのことでした。

新しい高校にバレーボール同好会を作ってもらい、合同チームで試合に出ることができれば、自分がスパイクを打てる。

それがMの最後の頼みの綱でした。

 

ところが、前回の記事で書いたように、新しい高校には男子バレーボール同好会の設置を認めない、との結論が出されたのです。

理由は聞きましたが、ここで深くは触れません。
あくまでも学校側の都合で出された結論のようです。

 

Mと私は今後取れる方法を考えました。

来年度閉校になるこの学校の3年生からメンバーをもう一度集めるという方法がありました。
ただし、またバレーボール未経験者を誘うことになるので、秋に行われる春高予選大会までにチーム作りが間に合わないかもしれない、という難点があります。

もう一つ、新しい高校でバレー同好会を立ち上げようとしていた生徒たちに働きかけて、保護者と一緒になって学校側に要望書を出してもらう、という方法も考えました。
ですがこれは、たとえ実現が可能だったとしても時間がかかりすぎます。
結論を待っているうちに秋になってしまうでしょう。

最後は、MかMの保護者である私が学校側、この場合は校長先生、に直接訴える、という手段もあります。

 

どうするかはMの考えに委ねました。

 

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Mはバレー部の顧問の先生とも相談した結果、3年生からメンバーを勧誘する方法を選びました。
この方法が最も実現する可能性が高そうです。

こうして、去年の夏に続いて今年の夏もまたMは部員集めに動かないといけなくなりました。

 

以下、「バレーバスケ部最終章3」に続きます(続く予定です)。

 

 

 

 

 

 

  
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