今月、2018年1月には満月が2回巡ってきます。
ブルームーンと呼ぶそうです。
1月の満月で一番に頭に浮かんだのは、23年前のあの夜の満月でした。
街灯りが消えた神戸を満月が見下ろしていました。
暗闇に浮かぶ満月は怪しいほど明るく見えました。
あ、写真はイメージです(^^;
あの夜、わたしは壁が崩れただけで済み、倒壊を免れた自宅で、一人、懐中電灯と蝋燭の灯りを頼りに夕飯の支度をして、食べました。
外からは時折ヘリコプターの爆音が聞こえていました。
目覚まし時計に内蔵されたラジオが伝えるニュースだけが情報源でした。
時計は担任した生徒たちが贈ってくれたものでした。
ラジオは今ではもう電波を拾わなくなりましたが、今も毎朝わたしはその時計で目を覚まします。
壊れたラジオの雑音がわたしを起こしてくれます。
あの朝も鳴りませんでした。あの朝わたしの目を覚ましたのは大地の揺れでしたから。
そしてあの夜、温めるものが何一つ動かない部屋で、何枚も服を重ね着して寒さをしのぎました。
でもなぜか、寒いと感じた記憶はありません。
あの夜の満月を歌った曲があります。
SOUL FLOWER UNIONの「満月の夕」という曲です。
星が降る
満月が笑う
焼けあとを包むようにおどす風
解き放たれ
すべてを笑う
乾く冬の夕
何度かライブで聴きました。
ボーカルの中川敬が三線を奏でながら渋く切なく歌います。
初めて聞いたのは兵庫区にあった障害者福祉センターの体育館でした。
震災の翌年だったと思います。
SOUL FLOWER UNIONは震災後の神戸を繰り返し訪れ、三線とチンドン太鼓で賑やかに物悲しく「ラッパ節」や「貝殻節」「竹田の子守歌」を歌いました。
障害者福祉センターの体育館はバレーボールコートがぎりぎり1面とれるかどうかというくらいの広さ、狭さでした。
集まったのは年配者や車椅子生活の方々が大半で、わたしは会場運営のボランティアとしてたまたまその場所に居合わせました。
SOUL FLOWER UNIONのことは少しも知りませんでした。
集まった方々もきっとそうだったと思います。
年配者に聞き馴染みのある曲をチンドン太鼓で唄い踊ったあと、最後に歌ってくれたのが「満月の夕」でした。
聴いてすぐにあの夜のことを歌っている、と結びつきました。
歌で励ます、なんて彼らは思っていなかったのかもしれません。
ただただ、辛い思いの真っ只中にいる被災者たちに寄り添う歌声でした。
頑張れ! という力強い励ましはかえって空々しく響くことがあります。
辛かったね……と共感してくれる人の存在を知ることの方が心が温まることがある、そのときわたしはそう感じました。
そして、あの日のことを、あの夜のことをずっと忘れない人がここにもあそこにも、そして至るところにいる、ということがきっと大事なんだろうな、と思っています。
震災当日のことを書きました。