その後、私は一度、部屋に戻る。パジャマ姿のままだったから、着替えをしようと思った。でも考え直して、パジャマを脱がず、その上にジーパンとトレーナーを重ね着して、スキーウェアもさらに着込んだ。スキー用のグローブも持った。さほど寒さは感じなかったが、無意識のうちに長期戦を覚悟していた。
スキーウェアの内ポケットに、財布と父の位牌を入れた。家にヘソクリなんて隠してなかったから、その財布がその時の私の全財産だった。位牌の方は、何かあった時にはこれだけは頼むよ、というのがかねてからの母の言いつけだった。今から考えれば、何重にも重ね着したあの格好で、私は地震から二、三日は過ごしたように思う。
位牌を取りに入った二階の仏間は、線香の灰が飛び散って一面真っ白になっていた。仏壇は倒れてひどくへしゃげていた。あの日、母は留守だった。介護の仕事で、入院した患者さんに付き添って病院に泊まっているはずだった。
仏間に転がっていた蝋燭とライターも一緒にポケットに突っ込んで、もう一度家の外に出た。その時はすでにラジオを聴いていた。テレビのスイッチは入れた覚えがない。電話にも触れなかった。どちらも、それが機能するなど端から考えなかった。ついでに言えば、出勤のことすら、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。こんな状況の中で社会生活がいつも通り機能するはずなんてない、と無意識のうちに思っていたのだろう。それとも、仕事のことを忘れてしまうほど気が動転していたのかもしれない。
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