森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

幸せの定員 (創作小説)  ***+9.5*** 

 
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幸せの定員(創作小説)

 

   

***+9.5***


 
創作小説『幸せの定員』は次回の「+10章」で終わります。連載形式にしたためかえって読みづらくなってしまったとしたら、ごめんなさい(^_^;
 今回は小説がまだ終わってないのに「あとがき」を先に書く、みたいな感じの章です。小説と言っても、ブログの一記事として掲載しているので、形式にこだわらなくて別にいいかなと思って。

 もし幸せになる人の数が決まっていたとしたら、その限られた幸せ枠を巡って激しい争奪戦が起きるに違いない。そんな発想から書き始めました。と言っても、今回の作品を最初に書いたのはかなり前のことです。取調室でやたらと煙草を吹かす描写が出てくるのは、喫煙についての風当たりが今よりもう少し緩やかだった頃に書いたからだと思います。十数年ほど前に小説同人誌に発表したものを引っ張り出してきて、今回少し書き直して掲載しています。

 作中に出てきたいくつかのエピソードはわたしの実体験を膨らませたものです。わたしは2人兄弟の兄ですが、本当はわたしの上に姉がいたと母から聞かされたことがあります。姉になるはずだったその女の子は生まれてくる前に亡くなったそうです。ですので、その女の子がもし無事に生まれてきていたとしたら、わたしはおそらくこの世に生まれてはこなかっただろう。わたしはその女の子から命を引き継いだのかもしれない、そんなことを母から姉のことを聞いた時に思った記憶があります。
 その次は幼稚園の時のことです。はっきりとは覚えていませんが、わたしは4月入園ではなくて、何かの理由で年度の途中から入園したようです。わたしが入園する前に、当時わたしが住んでいた町のど真ん中を貫く国道で交通事故があり、同級生の男の子がその事故で亡くなったのだそうです。幼稚園の友達から聞いた話です。彼は国道を急いで渡ろうとして、手に握っていた十円玉を落としてしまいました。そして、それを拾いに戻ろうとして、走ってきたトラックに轢かれて亡くなったと聞きました。
 そして、教員採用試験の時のことです。大学4年の時に受けた採用試験でわたしはC合格という通知をもらいました。わたしが受験した当時は同じ合格でもABCの3ランクがあったようで、当然の如くA合格から順に採用が決まっていきます。Cであっても合格は合格ですので、例年なら、遅くても年度途中にずれ込んでも採用があったとのことでした。ところが、その年のわたしが受験した教科の定員だけは違いました。あと1人というところで採用枠に入れず、わたしは翌年もう一度試験を受け直すことになったのです。ま、満員バスから蹴落とされてしまったわけですね……。この時、他府県の採用試験も受けて両方合格していた友人がいました。もし彼が他府県での採用を選んでくれたら、わたしは残り1人の枠に滑り込むことができるのに、、、と思ったこともありました。が、まさか、その友人を殺そうとまでは思いませんでしたよ。当たり前ですが。

 きっと、似たような経験は多くの方がお持ちだと思います。もうすぐ、神戸の震災から26年目の1月17日を迎えます。当時わたしが住んでいたのは神戸市兵庫区。震度7の揺れが計測された地域でした。震度7とは気象庁が定める震度階級のうちで、最も階級が高いものです。その最も大きな揺れが阪神淡路大震災で初めて適用されました。けれども、市内でも一番ひどい揺れに見舞われたあの朝、後に半壊と判定されたボロボロになったわが家の、ドアが外れた玄関から、わたしは一つの怪我もなく外に出ることができたのです。真向かいにあった家はぺしゃんこに倒壊し、周囲の風景は一変していました。

 生死を分けたのはただの偶然です。それを運のあるなしで表現してしまうのは亡くなったり怪我をされたりした方々にあまりに失礼だと思います。ですが、わたしたち弱い人間は、どうしても、生死を分けた理由を求めようとしてしまいます。例えば、ひょっとしたら、幸せになる人の数は決められているのかもしれない、と。
 難関高校に入って一流大学を卒業し大手企業に就職するというレールがあって、その上を走っていけば人生の幸せコース間違いなし、と信じている人は、心の中のどこかに幸せ行きのバスを走らせているのかもしれません。

 生死を分けるのはただの偶然。地震に遭う遭わないではなくて、生まれてから今に至るまでを生き抜いてこれたこと自体もただの偶然です。その偶然を普段は当然の結果のように思ってしまっています。そして、死もなかなか身近には見えてきません。死が見えなければ生も実感できません。わたしにとって、この偶然や死や生がはっきりと目に見える形として現れたのがあの地震でした。あの時、もし通勤電車に乗っていたら、、、もし洋服ダンスの横で寝ていてそれが倒れてきていたら、、、と。それらの「もし」をあれこれ思うと、生きていることが偶然の積み重ねであって、それは奇跡とも言えるのだと初めて実感できます。その奇跡に感謝しないといけない、あの地震はそう思わせてくれます。生きていることの奇跡を思うことで、それに感謝することで、幸せはより身近なものに感じられるような気がします。

 幸せは初めからそこにいる、ただ気づかずにいただけ。どこかで聞いたお話です。 

「死や追放や、その他何でも、恐ろしいと思える事柄を、毎日のように君の眼前に置くようにするがいい。その中でもとりわけ死を。そうすれば、君は決して卑しいことを考えたりしなくなるだろうし、度を過ごして何かを欲望することもないだろう。」
 古代ギリシアの奴隷出身の哲学者エピクテトスの言葉だそうです。

 

  

(続く)
 
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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。