26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から9日目です。この日から兵庫区役所への応援出務となりました。
1月25日(水)
本日より兵庫区役所に出務。家から歩いて5分だ。9時区役所に集合。地震後の交通手段が寸断された中で、歩いて通勤できるこの環境は恵まれすぎ、というしかない。
南蛮美術館(※中央区、本来の勤務地)は市の総務局(※仮称です)の一部署なので、僕も身分上はその所属になっている。その総務局から兵庫区役所に派遣された応援職員は、(N芝、Y田、M上、わたし)チームと、(Y村、T井、T田、D東)チームの二班に分かれる。この二班で24時間交替。係長のN芝さん以外は二十代から三十前後くらいか。他のメンバーはみんな本庁(※市役所)の職員なので、面識のある人はいない(※わたしの勤務地・南蛮美術館は本庁からの出先機関でした)。
午前中、物資の搬入とその在庫確認作業。
午後、被災状況調べ。M上さんとペアを組んで須佐野(※兵庫区南部)方面の家屋調査にあたる。互いに初対面で、仕事の内容も初めてだし、土地勘もないところなので、まずはあれこれ世間話をする。上背があり、飄々としたタイプ。
19時頃帰宅。
母、救援物資のビニールシートを大量に持ち帰る。
昼、I淵(※高校時代からの友人)より電話があったらしい。
夜、因幡さんにメールする。
#山猫 M*I00*04 95/01/025 20:55
題名:いよいよ仕事です
本日(25日)より、兵庫区役所出務
ということになりました。
期間はとりあえず災害復旧まで、
ということになりそうです。
1,2ヶ月くらいではないか、という話です。
明日から、24時間勤務になります。
今日の様子では、救援物資の搬入、搬出という
力仕事が主なものでした。
救援物資は驚くほどたくさんあります。
ところが、なぜかこれらの物資が各避難場所には
行き渡っていないのです。
人数分確保できていない、
というのが理由のようです。
応援に招集された職員達はみんな指示を待っています。
地震発生以来働きづめだった兵庫区役所職員の交代要員
というのが、我々の任務なのですが、
いつまでたっても指示は出ません。
待ち切れずに仕事を要求しました。
結局、午後からは区内を歩いて回って、
各建物の被災状況をチェックすることになりました。
デスクワークでなまった身体には、
ちょっとハードでした。
今から寝ます。
写真の建物(旧兵庫区役所)の地階に兵庫公会堂があり、区役所に届けられた救援物資はそこに集められていました。公会堂には救援物資が山積みされていました。
ところが、救援物資が届いても、避難所の方々全員に行き渡る数がそろわないと配れない。なので、物資があっても配れない。その上、賞味期限が切れてしまったものは配れない。そんな状況だったと思います。
わたしはこの日から1か月ほど、兵庫区役所で勤務することになりました。
※下のリンクは震災当日の記録です。