森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***22日目(2月7日)***

 
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 26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から22日目です。り災証明書もらう。

 

 

2月7日(火)
 8時前、湊川公園
(※兵庫区役所に隣接する公園)のテントに集合。8時半業務開始。申し込みに来た一人一人に住所を尋ね、窓口まで案内する。ほとんどトラブルになることははなく、淡々と仕事が進む。
 被災の程度を軽く判定された人が大声を出したり、足元にハンカチが落ちていたので「落とされたんじゃないですか」と声をかけると、「こんなんワシのんちゃうわい!」とわざわざ足で蹴っ飛ばすおっさんがいたりして、ちょっとカチンときたが、それくらいだった。
 立ちっぱなしなのがけっこうきつかった。
 18時頃、受付がほぼ終了した段階で、個人的なことで申し訳ありませんが、と僕個人の被災状況について尋ねてみる。僕の家は「半壊」と記されてあった。後日申請に行きますと言ったが、近くにいた係の人がわざわざ証明書を作ってくれた。

 「半壊」

 義援金は10万円になる。
 テントに戻り夕食の弁当を食べていると、I谷課長が気を使って、もう帰っていいよと言ってくれる。Y根氏
(※本庁からの応援職員)の発案で、湊川商店街の入口で営業していたお好み焼き屋に飲みにいくことにする。S谷氏(※本庁からの応援職員)も誘っていく。三人でおでんとそば焼きをあてにビールを4本あける。Y根氏は明日から交代だということだが、再会を約束して別れる。
 帰宅後、下三河
(※兵庫県佐用郡、父の実家)の宏兄ちゃん(※従兄弟)から電話をもらった。
 K芝先生
(※職場の同僚、先輩)からも電話。仕事の交代のこと、いろいろ気を使ってもらっている。とりあえず、しばらく顔を見せていないので明日、美術館に出勤することにする。

 

※この夜の飲み会のことは26年経った今でも鮮やかに覚えています。そのお好み焼き屋さんは今もまだその場所で営業されています。訪ねたことはないですが、その店の前を通ったことは何度かあります。
 久しぶりの飲み会、人とおしゃべりしながらの飲み会、本当に久しぶりでした。
 いえ、飲み会が楽しかったんじゃなくて、仕事以外で誰かと会話をしたことが楽しかったのかな、とも思います。
 そうか、、、ビール(このときは多分大ビンだったと思います)4本しか飲まなかったんだ。もっと飲んだらよかったなぁ。可能なら、2次会にも行きたかったなぁ。あの夜の飲み会、懐かしくて懐かしくてたまりません。ひょっとしたら、わたしの人生の中で一番楽しい飲み会だったかもしれない、そうも思います。
 Y根氏とはその後再会することはありませんでした。
 そのお好み焼きさんに入ったら、タイムスリップしてあの飲み会の夜に戻れるのかも、、、お店の前を通るたびに思います。

 

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 ※下のリンクは震災当日の記録です。 

www.keystoneforest.net

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)