26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から8日目です。やっとお風呂に入れました。
1月24日(火)
10時すぎに自転車で出勤する。K芝先生よりカセットボンベの差し入れ。南蛮美術館の後片付けをする。
戦前に建てられた旧館も含めて、建物には被害はほとんどなかったが、書棚が倒れたり、書架にあった図書類が散乱したりしたようだ。
美術館はしばらく休館。僕は明日から兵庫区役所に応援出務となる。
夜、再びN村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話があり、10時頃、D本先生(※前任校の同僚)も誘い母と三人でN村先生邸に伺う。浴槽に浸かるのは、一週間ぶりだ。
震災直後の被災地でのお風呂事情です。震災直後には食べ物が、数日後には暖かい食事が、そして一週間後には入浴が必要とされました。
同じ神戸市内でも、市の北部(北区)や西部(垂水区、西区)は比較的被害が少なかったので、わたしは西区に住んでいた友人や弟から誘ってもらって、何度かお風呂を使わせてもらいました。
震災後の一週間、わたしはお風呂に入らずに、それをほとんど気にもせずに過ごしていたようです。冬だからそれで過ごせたという面もあったのかもしれません。
神戸気象台の近くの「やまと温泉」は、地震による被害が小さかったこと、水道がすぐに復旧した地域であったこと、燃料が重油でなくて材木であったことなどから、震災の数日後から営業を再開できました。当時、神戸市中央区では唯一営業している銭湯でした。
わたしは、いよいよ翌日から区役所の応援のために出勤することになりました。