26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から33日目です。
2月18日(土)
寒い一日。午前中6軒、午後5軒、被災家屋の再調査に回る。最後に一昨日尋ねた楠堂(※和菓子店)のおばあちゃんに書いてもらっていた書類を受け取りに行き、まんじゅうを貰う。
会下山(※兵庫区、わたしの自宅があります)に復旧工事の手が入り始めた。兵庫区内のインフラは徐々に戻りつつあるのに、倒れた家が多く路地を入っていけない会下山の復旧は、ずいぶん遅れていた。
家の水はまだ出ない。帰宅後、消防署(※兵庫区役所と同居)へ水汲みに行く。消防署は区役所と同じ建物にあり、いつでも自由に水をもらうことができる。
D本先生、N村先生(※前任校の同僚)に電話。明日お風呂を借りに行くことにする。
※わたしの当時の自宅は会下山の東麓にありました。けっこうな急斜面に建てられた家屋が多かったため、家が崖から崩れ落ちるなどの被害が多かったのですが、同じ町内でも会下山の南麓は地震直後の火災で全焼となった家屋がたくさんありました。
※下のリンクは震災当日の記録です。
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)