今回の年末年始は自宅で過ごす時間が多かった。
家族4人が揃って出かけられるタイミングがなかったからだ。
子供たちが成長するにつれ、それぞれの都合で動くようになる。
子供と言っても長男は大学生、数えで二十歳になった。
もう親の後ろをくっついて歩く年齢ではない。
寂しいが、それはそれで仕方ない。
つれづれなるままに、リビングに置いているApple TVのトップメニューに表示されるアイコンをあちらこちら適当にクリックしているうちに興味ある動画を見つけた。
タイトルは『言語はいかに我々の考えを形作るのか(How language shapes the way we think)』、プレゼンターは認知科学者のレラ・ボロディツキー(Lera Boroditsky)。
TEDの動画だった。
日本語の字幕が付いていたので、試しに少しだけと思って観始めた。
ところが、その面白さに惹きこまれた。
映像も音声もそっちのけで、ひたすら日本語の字幕を追いかけた。
ここ数日に観たほかの番組と関連している部分があり、以下、それらいくつかの番組の内容の概略と感想とを自分用のメモとしてまとめていくことにする。
*
言語はいかに我々の考えを形作るのか(How language shapes the way we think)
~ 言語は文化を形成している。そして、未知の言語と消えていく言語。
How language shapes the way we think | Lera Boroditsky
TEDの動画、プレゼンテーションのテーマは、「言語はいかに我々の考え方を形作るのか?」である。
プレゼンターのレラ=ボロディツキーによれば、現在世界には約7,000の言語が存在するそうだ。
ところが、それが週に1つのペースで失われつつあり、今後100年間で世界の言語の半数が失われてしまうことになる、と彼女は指摘している。
神聖ローマ皇帝シャルルマーニュは「第2の言語を持つのは第2の魂を持つことである」と言ったらしい。
彼女はいくつかの例をあげて、言語が思考に影響を与えていることをあきらかにしていく。
ここでは、そのうちの1つ、少数民族の人たちが話す言語について紹介された部分をメモしておく。
それは、ヨーク岬半島のポーンプラーウ(Pormpuraaw、地図中ではポーンプラアーと表記されている)に住むオーストラリア先住民(アボリジニ)であるクウク・サアヨッレ(Kuuk Thaayorre)族の人たちが話す言語である。
クウク・サアヨッレ族の人たちが話す言語には「左」「右」に当たる言葉がない。
その代わりに、「東」「西」「南」「北」の方位を示す言葉で表現するのだそうだ。
例えば、「あなたの南西の足にアリがいるわよ」とか、「そのコップを北北東にずらして」とか。
この場合、「南西」と「北北東」はそれぞれ「右」とか「左斜め」とかを意味している。
そして、あいさつはこんな感じらしい。
「どちらの方に行くの?」と声を掛けられると、「ちょっと北北東の方へ、あなたは?」と返すことになる。
クウク・サアヨッレ族の人たちは方位磁針など持ってはいない。
直感で正確な方位が分かるのだ。
プレゼンターのレラ=ボロディツキーは、このことから、言語や文化がそれを求めるなら方角を正確に把握できるようになる、とクウク・サアヨッレ族独自の文化を推定している。
彼らの文化について興味深いことをもう一つ。
それは時間の流れの感じ方である。
時間はどちらからどちらへ流れるか。
もちろん、それは過去から未来へ向かって流れる。
では、視覚的にはどう流れるのだろう。
左から右へ? 右から左へ? それとも、下から上へ?
プレゼンターのレラ=ボロディツキーは、英語圏の人々は左から右へ時間の流れをとらえることが多いと言う。
つまり、英文を書く向きと同じ方向に。
これに対して、アラビア語圏の人々は、右から左へととらえることが多いと言う。
クウク・サアヨッレ族は、東から西へ流れると考えた。
南を向いているとき時間は左から右へ、北を向いているときは右から左へ、そして、東を向いているときは向こうから手前へ、と。
自分が中心ではない。
大地が基準である。
つまり、太陽の動きの方向に時間は流れる。
彼らは自然界の秩序に大いなる敬意を払っているに違いない。
少数民族の言葉について、年末に観た番組で触れていたことを思い出した。
NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」と言う番組だ。
1987年、アマゾン開拓民の小屋に素っ裸の男性2人が押し入った。
その家の住人によれば男性2人はナタを持ってやってきた、とても怒っていたと言う。
ブラジル政府は2人を保護区に住まわせることにした。
彼らは先住民族に言葉やブラジルの文化を教えている言語学者のノルバウ=オリベイラのもとで生活をすることになったが、名前も年齢も出身地もすべてが不明で、どの部族とも違う未知の言語で話していた。
彼らが話す言葉はブラジル中を探しても理解できる者はいなかった。
政府は2人を「イゾラド」であると判断し、彼らをアウラとアウレと名付けた。
「イゾラド」(isolatedは「隔離された」「孤立した」という意味)とは文明社会と一度も接触したことがない人々のことで、ブラジルとベネズエラとの国境近くにあるロライマ州の辺りが彼らの居住地域の一つのようだ。
言語学者のノルバウ=オリベイラは、身近にある物を一つひとつ指で差しながら、2人が話す単語、約800語を30年かけて聞き取った。
しかし、そのほとんどは名詞で動詞は30にも満たず。形容詞は10ほどしかなかった。
「YES」や肯定の意味すべてで使う「アエ」という言葉は分かったが、「NO」にあたる言葉はあるのかないのかさえ分からなかったと言う。
ひょっとして2人が話す言語が「NO」という言葉を持たなかったのだとすれば、一体どんな文化を形成していただろう。
それを思うと、あれやこれや、いくつものイメージが湧き上がってくる。
例えば、「NO」と言う言葉を持たないのは、この世界のすべての出来事を素直に潔く受け入れる精神が彼らの生き方の根底にあったからだろうか?
自然がもたらす恵みはもちろんのこと、それがたとえどんな試練であっても潔く受け入れる。
そんな文化だったのかもしれない…
未知の言語は未知の文化を持っている。
確かにそう思う。
2012年、アウレが末期ガンで亡くなる。
言葉が通じる唯一の存在がこの世を去り、この先、アウラは独りぼっちで生きていくことになった。
彼は1人で暮らすようになってから、時折、保護区内にある保健所にやってきては、誰にともなく話し出すことがあると言う。
ところが、誰にもその言葉が分からない。
想像を絶する孤独、、、
言語学者のノルバウ=オリベイラは心を尽くしてアウラに話しかける。
ノルバウが「母親は?」「父親は?」「女は?」「子供は?」と聞くと、アウラの口からは「死」を意味する単語、「マヌ」「オッキン」「モミイン」と言う言葉が返ってくる。
アウラとアウレが最初に保護されたのは、ゴールドラッシュなどで鉄道が造られ、開拓が進み、森がどんどんなくなっていった地域にあたる。
おそらく彼ら2人の部族は外部からやってきた人間たちによって住む場所を奪われたのだろう。
ひょっとして、とても酷いやり方で。
アウラは部族最後のひとりとなった。
アウラの話す言語は、彼の死とともに消えていく。
ノルバウによると、彼らの別れの言葉は「アハプテ」だと言う。
未知の言葉を話す人たちのことを1月5日付の新聞でも目にした。
去年11月にインドで起きた痛ましい事件を伝える記事だ。
1月5日付の新聞記事で改めて活字になったものを読んだ。
インド洋に浮かぶ「文明未接触の島」北センチネル島で昨年11月、米国人宣教師の男性が殺害された事件は、遺体が回収されないまま年を越した。部族との回収交渉の見通しは立たない一方、島が有名になったことから接近を試みる旅行者が後を絶たない。孤立した生活を過ごす部族に、外界が接触する権利はあるのか。事件は国際社会に重要な問題を提起している。(ニューデリー 森浩・産経新聞平成31年1月5日付朝刊より、以下略)
26歳のこの宣教師は北センチネル島に信仰を広めるために、何度かセンチネル族たちとの接触を図っていたようだ。
そして、3度目の上陸を試みた際に殺害されてしまったらしい。
彼の遺体は砂浜に埋められたままだ。
インド政府は少数民族保護法のもと島への接近を禁じているが、今回の事件によって世界に名が知られた北センチネル島に接近を図る旅行者が相次ぎ、その対応に苦慮している、と言うのが5日付の記事の主旨だ。
旅行者の中には日本人カップルも含まれていると記事は伝えている。
北センチネル(North Sentinel)島には先住民であり、センチネル語を話すセンチネル族が50人から400人程度居住していると見積もられている。言語が他のアンダマン諸島に住む部族と大きく異なることから、数千年間、他の島と交流せずに暮らしてきたと考えられている。彼らは科学技術を有さず、外部との接触を拒否している。アンダマン・ニコバル諸島自治政府も、センチネル族は現代文明を必要とせず干渉も求めていないとして、一切関わらない方針であり、インド政府は外国人の上陸も認めておらず、島に近付かないよう警告している。(Wikipediaより)
センチネル語とは、インドの南アンダマン島、北センチネル諸島に住むセンチネル族たちの話す未知の言語である。アンダマン諸語のひとつと推定されるが、他の言語とどの程度類似しているのかについてはよくわかっていない。(Wikipediaより)
※北センチネル島の東30kmにある南北に細長く続く島々がアンダマン諸島
センチネル族は未だに狩猟・採集が中心の生活を営んでおり、獣を狩り、魚を釣り、野草を摘んで生活し、農耕の形跡はないとされる。
これまで外部との接触を完全に拒否し続けてきたため、今もなお石器時代の生活を維持する世界で唯一の民族と考えられている。
センチネル族の話す言葉は独特で、アンマダン諸島の他の島で使われている言語とも異なるため、外部の人間がコミュニケーションを取るのは不可能であり、これがまた、何千年にも渡り外部との接触がなかった理由だと考えられている。
殺害された宣教師が北センチネル島に上陸する前に残した日記には、「主よ、サタン(悪魔)最後のとりでであるこの島の人々は、あなたの名前を聞く機会もなかったのでしょうか」と書かれていたと言う。
かの宣教師には、島の人々が長い間、外の世界との接触を持たずに暮らす中で手に入れた独自の生活の価値が見えなかったのだろうか。
日本にも消滅の危機に瀕する言語がある。
北海道を主な居住圏とする先住民・アイヌ民族の人たちが話してきたアイヌ語だ。
北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。しかし母語話者は極めて少なくなっており、ユネスコによって2009年2月に「極めて深刻」(critically endangered) な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である。(Wikipediaより)
文化庁では、アイヌ語の保存・継承に必要なアーカイブ化事業として、各地で保存されているアイヌ語の音声資料を公開するため、アナログ資料のデジタル化とアーカイブ作成の支援を行っているそうだ。
ところで、日本の人口の推移について、このような報告がある。
平成27(2015)年の日本の総人口は同年の国勢調査によれば1億2,709万人だった。
この総人口は、以後長期の人口減少過程に入っている。
今後、2040年の1億1,092万人を経て、2053年には1億人を割って9,924万人。
2065年には8,808万人、2080年には7,430万人、2090年には6,668万人、2100年には5,972万人、2115年には5,056万人になると推計されている。(国立社会保障・人口問題研究所による「日本の将来推計人口(平成29年推計)報告書より)
つまり、あと100年ほどで日本の人口は今の半分を割ってしまうのだ。
日本語だって消えゆく言語ではないと決して言えない。
そんな気さえしてくる。
最後に、年末に観たもう一つの番組のことに触れる。
『欲望の哲学史 序章~マルクス・ガブリエル』、NHK Eテレの番組だ。
その中でレヴィ=ストロース(1908~2009)と言うフランスの文化人類学者が紹介されていた。
彼は構造主義を提唱し、現代思想の諸方面に大きな影響を与えた存在だと言う。
この「構造主義」という言葉が難しくて、ネットでいろいろと検索して調べてみた。
未だによく分からない部分が大半だが、「自然界の秩序と人間の思考の秩序は本質的に同じだ」と言う彼の言葉を見つけ、少しだけ腑に落ちた。
彼はブラジル・サンパウロ大学で教鞭をとっていたときに、アマゾン川支流に暮らすいくつかの民族と接触している。
そして、そこで得た体験から、『野生の思考』などの著作を著した。
それらの著作の中で、「野蛮(混沌)」から洗練された秩序が形作られたとする従来の西洋中心主義に対し、混沌の象徴とされた「未開社会」においても一定の秩序・構造を見い出すことができる、と主張した。
つまり、「未開社会」においても人間は知性によって文化を形成している、と。
言語は文化を形成している。
例えば日本語は、季節の移り変わりを表現する言葉をどれほど豊富に持っていることか。
それは、はっきりと日本文化の特性を象徴している。
世界では、文化を形成しているその言語が日々消えていきつつあると言う。
言語が失われ、言葉が変わっていくことは、文化が失われ、変わっていくことと同じだ。
改めてアウラの孤独の深さを想う。