森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

言葉があってもその意味を共有できないなら、思いはすれ違ってしまう **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート33

備忘録として、自分の思いを書き留める場として、小説創作を発表する場としてブログを始めたのに、しばらく俳句記事ばかり書いていました。
tweetした俳句をまとめるのに精いっぱいで、それ以上書く時間がないです、、、というのが言い訳でした。
でしたが、実は最近は仕事を早く切り上げて退勤する日が増えてきているのです。
その理由を書き始めると、話がそれていきそうなのでここでは省略しますが、コロナ禍の昨今、早く職場を出ても寄り道する場所はあまりありません。
ですので、職場から自宅に一直線。以前よりは1時間から2時間くらい早く帰宅できています。
なので、書く時間はあるのです。
書かずに、ただ吞んだくれているだけです、、、
ということで、三連休なので、久しぶりに俳句以外の記事を書きます。

今回は、ブログを読ませていただいて頭に浮かんだあれこれを書き連ねていている「山猫ノート」編です。

 

 

 

美しく凍った氷柱を割ってオンザロックを作ってみたらどうなったか。
「天然のものとはそんな物」とururundoさんは呟かれます。

天然とは自然ということ。
自然の中には自然の生き物が棲んでいて、循環している。
自然が人間のためだけに用意されたものだと思ったら大間違い。
人間も自然の一部。
それを受け入れないと天然とは付き合っていけないということなのでしょうね。
経済を回しながら、環境にやさしくなんて、、、果たしてそんなことできるのかな、とわたしは呟きます。

 

「好きだとか愛してるだとか。誰がどう考えてこんな表現にしたんだろう。こんな言葉はできたんだろう。(中略)言葉がないときにどうやって想いを伝えてたんだろう。」と、Sさんからの問題提起です。

たとえば日本語という言語があって、いろいろな思いや物事を表現する言葉があっても、それを使う社会やグループが違えば、言い回しも使う言葉も違ってくるはず。
異なる世代間でもそれは同じことでしょう。
それらを踏まえて使わないと、困った状況に陥ってしまう、と思うのです。
わたしの職場は学校ですので、十代の子供たちから、同僚の大人の方は二十代から六十代まで、幅広い世代の人間が共同生活を送っています。
中でも最長老のポジションにあるわたしの言葉は、若い人たち、特に子供たちに通じないときもある気がします。通じないは、ちょっと大げさですが。
年長者に遠慮してか、面と向かって「あなたの話は何を言ってるのか、よく分かりません」と発言される方はいらっしゃいません。
ですが、というか、だからこそ怖いとも思うのです。
言葉があってもその意味を共有できないなら、思いはすれ違ってしまう。
わたしの思いはどんなふうに伝わっているんだろう。
何も伝わっていない? ひょっとして、捻じ曲がって伝わってる? という怖さです。
Sさんの記事の主旨とは、ずれてしまった気がしますが、 しゃべった言葉やtweetの一部が切り取られて、本意と違う方向に伝えられ拡散されてしまう事例はいくらでもあります。
これは誤解もあり、少なからぬ悪意に基づく場合もあると思いますが、言葉がない大昔だったら、こんな心配はまったくなかったはずです。
とすれば、言葉に頼りすぎる、言葉だけで伝えようとすることが危うさを招いているのかもしれません。
表情だとかスキンシップだとか、言葉を使わなくても意味を共有できるツールを、言葉と並行して使っていかないといけないのかも。

ですね。

 

お義母さんの死に際して、近しい方の生きる理由に、KAKOさんは思いをはせられています。
KAKOさんご自身の生きる理由は「ウチの生きる理由は ウチが今生きとる事への恩返し ただ生きとるだけの恩返し❤」。
KAKOさんは癌を患われ在宅医療中なのです。

何のために生きるか…
わたしもこれまで何度も考えました。
六十歳を過ぎた今思うのは、一つは次の命を育てるため。
育てるのは子供たちや後輩、動物や草花でもかまわないと思います。
そして二つ目は、生きていることを楽しむため、でしょうか。
仕事を早く切り上げて帰宅して、美味しい夕飯を食べて呑んで、本を読んで文章を書いて。
歳をとったせいか、たくさんあった欲が枯れてきた気がします(^_^;

 

「零細企業・商店などの末期は、商売ではなく生き様が多いように思う。」と居候の光さんはおっしゃいます。

わたしの通勤途中にある定食屋さんが閉店の張り紙を出していました。
去年の11月末のことです。
お店の前には処分するのであろう業務用の冷蔵庫が置いてありました。
手書きの張り紙の冒頭に「感謝」とありました。
店主の方のお名前に並んでご家族だろうと思われる方々のお名前も添えられていました。
そのお店の店主の方の生き様を見た気がしました。

今、冷蔵庫も張り紙もなくなり、ただ閉じられたままのシャッターがそこにあるだけです。
かつてそこにあったお店の佇まいはもうどこにも感じられません。

 

 

 

今日の記事は ururundo (id:URURUNDO)さん、S (id:odanoura)さん、KAKO(KAKO (@isinnkodesu) | Twitter)さん、居候の光 (id:isourounomitu)さん の記事やtweetに書かせていただいたコメントをもとにしました。


いつも、ありがとうございます。

 

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よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。