1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。
あっという間に過ぎてしまう3学期のことを、学校の先生はよくこんなふうに表現します。
いつもは逃げ足が速い2月ですが、今年は閏年、29日までありました。
ですから、例年より1日長い3学期になるはずでした。
ところが、
その2月の終わりに大きな発表がありました。
そして、今年の3学期は、思いっきり短くなってしまったのです。
神戸の学校は3月2日で止まってしまいました。
3月3日からの出席簿には「臨時休校」の文字が、ただ並び続けるだけです。
3月は突然どこかに去ってしまったのです。
卒業式も終業式もないまま、もうすぐ3月31日を迎えてしまいます。
一体いつまでが3学期で、いつからが春休みだったのか、その境目さえはっきりしません。
あとになって数えてみれば、夏休みと同じくらい長い休みの日々になってしまいました。
それは、何の目標もなく、先の手がかりもなく、外出を控えて家で過ごすだけの曖昧な日々になってしまったかもしれません。
この四週間、あなたたちはどう過ごしていましたか。
家族の人と一緒に過ごしましたか。
誰かが遊びに来ましたか。
誰かと遊びに出かけましたか。
それとも、ずっと一人で留守番だったでしょうか。
突然学校が休みになってしまって、友だちや先生たちと会えなくなって、授業がなくなって、給食がなくなって、走り回れる場所も大きな声で歌える場所もなくなって、あなたたちはどんな時間を過ごしていましたか。
あなたたちがいない学校では、先生たちが、教室で、職員室で、卒業や進級の飾り付けしたり、メッセージやプリントを作ったり、教室の整理をしたり会議をしたりして過ごしました。
あなたたちの声が聞こえてこない教室は、あなたたちと「おはよう、さようなら」の挨拶ができない玄関は、あなたたちの笑顔が見られない学校は、とてもとても静かでひっそりとしたままです。
あなたたちはどう過ごしていますか。
宿題のある人、少しずつ取り組めていましたか。
家のお手伝い、できましたか。
学校があるときと同じように早起きして、朝ご飯食べて、規則正しく過ごせていますか。
学校に置いたままになっていた教科書類やプリント、成績表などを受け取りに登校してきたあなたは、顔の半分以上がマスクで覆われていて、表情がよく見えません。
そのあなたをマスクを着けた先生たちが囲んでいます。
あなたのマスク姿からうかがえたのは、久しぶりに学校にこられた安堵の表情ばかりではなかったように思えました。
あなたにも先生たちの表情は見えなかったかもしれません。
お互いにマスクを着けた間に声は通いますが、何かが少し遠くなったような気がしないでもありません。
思いもよらない長い休みになってしまいました。
でも、
いくら長くても、止まっているように思えても、時間は動いています。
学校が大好きなあなたたちへ。
桜の花が咲き始めました。
春はそこまで来ています。
♫丸い地球の水平線に
何かがきっと待っている
(作詞;井上ひさし/山元護久)
地球が丸いと教えてくれたのは、この歌だったかもしれません。
NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の主題歌です。
ひょうたん島はドン・ガバチョたちを乗せて漂流し、世界の海を渡ります。
そして、水平線のかなたで出会う見知らぬ国の住人たちと痛快な騒動を巻き起こすのです。
2020年のわたしたちが住む地球には、もう未知の国はありません。
海外で起きた出来事がすぐにわたしたちの街に大きな影響を与えます。
「ひょっこりひょうたん島」を観ていた数十年前のわたしには、テレビで観る東京の街ですら遠い世界のことのように思えたのに。
今では武漢もイタリアもすぐ隣町のようです。
「ひょっこりひょうたん島」の歌は、こう続きます。
♫苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ笑っちゃおう
大根の種を蒔くのが遅くて、十分育たないうちに年を越しました。
先日来温かい日が続いたので、あっという間に葉っぱが育ち、大根の薹が立ちました。
春の七草のひとつに数えられるスズシロです。
3学期のことを0学期と呼ぶ先生もいます。
聞いたことあるでしょうか。
3学期は次の年度からのかっこいいスタートを切るための準備をする0学期でもあります。
あと数日で令和2年度の1学期が始まります。
さあ、準備はいいですか?