森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

旅のラゴス ~ 一人旅に持って出かけるならこの一冊

 
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『旅のラゴス』は筒井康隆の長編小説です。

わが家の本棚にあったのは1989年発行の徳間文庫版。

買ってすぐに読んだと思いますから、それから30年が経っているのです。

その間、二度引っ越しましたが、本は捨てずに持ってきました。

ワクワクしながら読んだ印象が鮮明に残っています。

けれど、エピソードの詳細はほとんど忘れてしまっていました。

前回の記事で、この本のことに触れました。 

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その記事の中で、

一人旅に持って出かけるとしたらわたしはこの一冊を選ぶ、と書いた本、、、それが『旅のラゴス』でした。

結局あれこれの日常に流されて、わたしの日帰り一人旅は叶いませんでした。

けれど、記事をきっかけにして『旅のラゴス』を読み返すことはできました。

少し前のある週末の一日、車窓から海を望める列車に揺られる気分で、わたしはのんびりとページをめくっていきました。

 持っていく本は決めている。
筒井康隆の『旅のラゴス』。
手元にある文庫の奥付を見ると、1989年7月15日初版、とある。
内容はほとんど忘れてしまった。
でも、ワクワクしながら読んだ記憶だけは鮮明に残っている。
筒井康隆の中で一番好きな作品だ。
わたしが神戸で暮らすようになったのは、彼が神戸在住だったからだ。
筒井康隆と同じ空気を吸いたくて神戸にやってきた。
神戸にやってきて40年。
もう一回読み直すには一人旅のときがぴったりだ。
『旅のヤマネコ』……(^_^)
 

  (前回の記事「8月32日のお昼に。」より)

読書三昧の一日、存分の解放感に浸れるはずでした。

物語の途中まではそうでした。

ところが、

読み終えたわたしは、あまりの余韻の重さに困惑してしまいました。

その後も、夜中に目を覚まし、ラゴスの生涯を想うことが幾度もありました。

以下、この先書き進めていくには、どうしてもラゴスの旅の詳細に触れずにはいられません。

『旅のラゴス』をまだ読まれていない方のために、そのあらすじを文庫版の裏表紙に掲載されている文章を引用してご紹介します。

・徳間文庫

おれは南をめざして旅をしていた。そこには二千二百年の昔、御先祖がそれまでの星を捨て、この星に来て生活を始めたポロの盆地がある。御先祖たちはこの星で高度な文明を維持できず、数年で原始に逆戻りしてしまった。おれは社会を豊かにしたいと思い、旅をつづけた。いろんな超能力者に出会った。読心力、顔面変形術、念力による壁抜け……。物語を破壊しつづけた筒井康隆が挑んだ堅固な物語世界! 

・新潮文庫

北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か? 異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。 

 

ラゴスが旅の途中で出会う超能力者たちとのエピソードの一つひとつが、筒井康隆の魅力が十分に詰まった好短編になっています。

それらの短編連作という形で物語は進められていきます。

ラゴスが何者で、どこに向かっているのか、旅の目的は何なのか、それを知りたくて、読者もラゴスと一緒に旅をつづけます。

ラゴスの容姿や人となりについて詳しくは書かれていませんが、「たまご道」の章でラゴスはタリアという一人暮らしの中年女性の家に泊まります。

女ひとりの家に男の客を泊めることをいぶかしむラゴスにタリアはこう言うのです。

 おやおや。あんたは自分のことを知らないようだね。でも、今まで、他人から信用されたり、はじめての人間から、普通他人には言わないような秘密を打ち明けられたりしたことはあるんだろう…(中略)…あんたはね、自分が正直でいい人間だということを知らない間に撒き散らすみたいにして周囲の者に教えてるんだよ。 

こんなラゴスのキャラクターもこの作品の魅力の一つになっていると思います。

わたしの紹介が功を奏し、『旅のラゴス』自体を読みたくなった方が、もしかしていらっしゃったら、ここまででこの記事は閉じてください。

 

新潮文庫版のCMです(^_^; 

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

 

徳間文庫版は中古でしか手に入らないのかも知れません。

 

 

ネタバレでもかまわないと思われたら、もう少しこの記事にお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

読後、まず気になったのは、作者・筒井康隆のことです。

筒井作品を不意に読みたくなったのは、何かの知らせなのかも、という嫌な気持ちに襲われました。

そう言えば、最近テレビで彼の顔を見なくなった気がします。筒井先生ごめんなさい…

「偽文士日碌」というブログがあります。

筒井康隆本人による不定期連載のブログです。

その最新のページには今年八月二十五日の日付がありました。

そして、その前の回では、八月十九日に行われた谷崎潤一郎賞選考会でのエピソードが紹介されていました。

ご健在で、まだまだ第一線で活躍されています。失礼なこと考えてごめんなさい…

昭和9年9月24日生まれの彼はもうすぐ85歳を迎えます。

わたしが勝手に決めている、わたしの小説の師は、星新一と鮎川哲也、牧川史郎、そして筒井康隆です。

筒井康隆以外の3人の方はすでに鬼籍に入られています。

それで、ちょっと心配になってしまったのです。。。

 

 

さて、

ラゴスは誰で、どこから来てどこに向かうのか、旅の目的は何なのか、それらすべてを知らされないまま物語は始まります。

旅先の街でラゴスと親しくなる人もいますが、その街限りの友人です。

街を離れると彼はまた一人に戻ります。

次の街ではラゴスを知っている人は誰もいません。

それまでの履歴も肩書きも一切関係なく、いつも自分のキャラクターだけで勝負し、生きていかないといけないのです。

 

ラゴスを「わたし」に、旅を「人生」に置き換えます。

わたしは誰で、どこから来てどこに向かうのか、人生の目的は何なのか、それらすべてを知らされないまま、人は生きていくのです。

それまでの履歴も肩書きも一切関係なく、いつも自分の持ち味だけで生きていかないといけないのです。

 

 

 

ラゴスは、ここからはネタバレになります…

「この世界」最大の都市・北方のキテロ市で生まれ育ち、20歳過ぎの頃、旅に出ました。

以下、ラゴスたち登場人物の年齢は作中にはっきりと書かれている場合もありますが、その前後の記述から推定したものもあります

旅に出た理由は、気まぐれからとも、南方大陸のポロの村に残されているという先祖の書物を読むためにとも、書かれています。

本当の理由は何だったのか、ラゴス自身にも分からないのかもしれません。

旅とはラゴスにとって生きることと同じですから。

その旅の先々でラゴスは何人もの超能力者たちに出会います。

その超能力は、

故郷の星からこの地にやってきたご先祖様たちが高度な技術を失ってしまう補償としてそれまで眠っていた能力を開花させ進化させたもの、

と作中登場人物のヌー教授の言葉を借りて説明されています。

ところが、それら超能力者たちのほとんどは使い方を誤り、決して自分を幸せにすることに成功していません。

それは、人の心を読めるテレパス・火田七瀬の悲劇と重なります(筒井康隆「七瀬三部作」)。

ラゴス自身も転移という一種のテレポーテーションの能力を持っていますが、物語の中でそれを使ったのはただの一度きりです。

ラゴスはあるとき、奴隷狩りに捕えられ銀鉱で働かされることになります。

その銀鉱でラウラという女性と7年間一緒に暮らすのですが、自由の身になったラゴスはすぐに旅を再開します。

もちろんラウラを残して。

 旅をすることがおれの人生にあたえられた役目なんだ。それを抛棄することはできないんだよ。そして、君をつれて行くこともできない

と。

ラゴスは旅をつづけるためには一切の妥協をしません。

それがラゴスの旅なのです。

 

目的地・ポロの村にたどり着いたとき、ラゴスは32歳になっていました。

滑らかな表面を朝陽で白桃色に光らせるドームには、ご先祖様たちが故郷の星から持ってきた叡智の結晶とも言える数千冊の書物が収められていました。

それは思想・哲学書から実用書、歴史書、小説などあらゆるジャンルに及びます。

それらの大半を読み終えるのに、15年の歳月が費やされました。

特に説明はありませんが、この地の1年はご先祖様たちの故郷の星の1年とほぼ同じ長さのようです。

ラゴスが実用書から得た知識を伝え聞いた村人は、それを活かして村を発展させていきます。

やがて村は豊かになり、ラゴスは王と称えられるようになりました。

けれど、ラゴスは王様になっても、ドームの中でひたすら読書をつづけます。

やがて書物の大半を読み終えたラゴスは、王国も王女も息子たちもすべてを残して、故郷の街キテロに戻るため、一人旅立ちます。

王としての地位も富も、ラゴスの旅を思いとどまらせることはできませんでした。

それがラゴスの旅なのです。

キテロに戻ったとき、ラゴスは50歳を過ぎていました。

ラゴスの旅は30年に及んだのでした。

その後、ラゴスは学んだ知識を学校で教え、書物にまとめていきます。

30年かけて身に付けた経験と知識とを惜しみなく後進たちに伝えていきます。

この作品はSF雑誌に、連載形式で発表されましたが、この連作を書いたとき、筒井康隆は50歳の頃でした。

50代を迎えた彼は、この後『夢の木坂分岐点』『残像に口紅を』『文学部唯野教授』など実験的な要素を含んだ話題作を次々に発表していきます。

筒井康隆は、ラゴスの年齢設定を自分自身になぞらえたような気もします。

ひょっとして、ラゴスの旅は筒井康隆自身の旅であったかもしれません。

蛇足ですが、表現の差別性を問う自作への批判に業を煮やし断筆宣言を行ったのは、筒井康隆60歳のときでした。 

 

ラゴスには生涯でたった一人だけ、もう一度逢いたいと願い、何度もその面影を脳裏に想い浮かべた女性がいました。

デーデと言う女性です。

そのデーデの面影を感じさせる一枚の絵をラゴスは年老いた父の蔵書から見つけるのです。

ある画家の放浪記に収められた伝説の氷の女王の絵がそれでした。

『旅のラゴス』の最初の章「集団転移」のエピソードの中で、ラゴスはデーデと出逢います。

そのときラゴスは25歳くらい、デーデは15歳でした。

ラゴスがデーデの村に滞在し、二人が一緒に過ごした時間は数週間ほどだけだったでしょう。

晩年を迎えたラゴスはデーデの思い出に浸るようになります。

デーデも超能力者でした。

テレパスです。

彼女もまた、その能力で自分を幸せにすることは叶いませんでした。

生涯をかけて学んだすべてを伝え終えたラゴスは、デーデに逢うために故郷を再び後にするのです。

 

物語の最後、

ラゴスは森番のドネルと語り明かした翌朝、ドネルに財布を預けて北方大陸最北の地に住む、伝説の氷の女王に逢う旅に出かけます。

 わたしはそもそもがひとっ処にとどまっていられる人間ではなかった。だから旅を続けた。それ故にこそいろんな経験を重ねた。旅の目的はなんであってもよかったのかもしれない。たとえ死であってもだ。人生と同じようにね 

そう言い残して、ラゴスは吹雪きはじめた雪の道を進み、暗い森の中へ入っていきました。

 

この場面で物語は終わります。

そのときラゴス68歳。

氷の女王に出逢えたか、雪と氷の中で野垂れ死にしたか、誰にもそれは分かりません。

 

 

『旅のラゴス』を読み終えてから、今日まで何度もラゴスの孤独を思いました。

人の一生って何だろう。

何のために生きているんだろう。

人は一人でしか生きていけないんだろうか。

誰かと一緒に生きていくことはできないんだろうか。

わたしは誰で、どこから来てどこに向かうのか、目的は何なのか、それらすべてを知らないまま、たった一人で生きていくしかないんだろうか。

そう考えるたびにラゴスの孤独を思いました。

わたしの孤独を思いました。

けれど、旅をつづけるラゴスは、一人を寂しがることはありませんでした。

どこかに留まろうと考えたことも一度もありませんでした。

そして、旅をつづけることでラゴスは旅の目的を見つけられたのです。

そしてまた次の目的に向かって進んでいけたのです。

どんな旅をするのが正解かなんて誰にも分からないし、自分が誰かを初めから知っている人もどこにもいない。

だから、ただ旅をつづければいいんだよ。

ラゴスはそう教えてくれた気がします。

 

 

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小説の内容紹介をもっともっと縮めて本作の魅力をお伝えしたかったのですが、力不足でした、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。