森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

わたしは今、人生のどのあたりにいるんだろう。

 
f:id:keystoneforest:20170801214436p:plain

 

 

わたしは今、人生のどのあたりにいるんだろう。

これまでに何度も頭に浮かんできた疑問です。

疑問というより、それはたぶん不安です。

本当に知りたいのは人生のどのあたりにいるか、ということではなくて、あとどのくらい残っているか、ということなのです。

就職して間もない頃に、ある先輩に教えてもらったたとえ話です。

1日24時間を年齢に換算するのです。

計算しやすく考えて、仮に寿命を72歳とします。

72÷24=3です。

ですので、1時間を3年と換算することにします。

生まれたのが午前0時です。

すると、午前1時には3歳、午前2時では6歳になっています。

と、考えるのです。

わたしを例にします。

わたしは毎朝午前5時半に起床します。年齢にすれば16歳半です。

家を出るのが6時半。19歳半です。

そのくらいの歳のころ、わたしは大学入学を機に家を出て神戸で一人暮らしを始めていました。

職場に着くのが7時半、22歳半です。

大学を出たわたしは神戸で働き始めました。

ちょうどお昼、12時、36歳です。

その頃わたしは結婚をしました。

こう考えていくと、今の年齢のわたしは、職場から帰宅してそろそろ夕飯を食べ始める時刻になっています。

いえ、ひょっとしたら、まだ職場にいて、その日のうちに仕上げておかないといけない会議の資料作りを頑張っているころかもしれません。

あ、わが家の夕食が何時から始まるかはご想像におまかせします(^^; 

わたしは一日の仕事をそろそろ終えて、夕食も済ませます。

子供たちは食事が済むと自分たちの部屋に戻っていきます。

子育ての時期も、もう終わりました。

23時過ぎ(70歳ころ)には寝るとして、さあ、これから何をしよう。

テレビでも観るか? 本を読もうか? それとも、ブログを書こうか?

と、これから布団に入るまでの数時間に何ができるかを考えています。

残っているのが3時間なら10年弱、5時間あっても15年です。

 

つまり、わたしは今、人生の中で夕食を食べているところです。

わたしと奥さんと子供たち2人と、家族4人でそろって食べています。

でも、子供たちは夕食が終わると、以前のようにわたしたち親には付き合ってくれないようになりました。

トランプしようとか、人生ゲームやろうとか誘ってくれることはもうありません。

1日のうちで家族4人がそろうのは、この時間が最後です。

 

 

もう一つ。

こちらは古代中国の易学の考えがもとになっています。

その考え方によると、人の一生を4つの時期に区分しています。

4つと言えば四季がすぐに思い浮かびます。

春夏秋冬。

人生をたとえるにはあまりに似合いすぎます。

それから方位。

東南西北。

太陽が昇り、巡り、沈んでいく道筋にある東南西と、太陽が巡ってこない北と。

命の勢いをたとえるにはこちらも見事にあてはまりそうです。

そして一日の時間の経過を表す言葉。

朝と昼と夕方と夜と。

有名ななぞなぞがありました。

朝には四本足、昼には二本足、そして夕には三本足になる生き物はなぁに?

スフィンクスが旅人に出した問題です。

答えられなければスフィンクスに食い殺されてしまいます。

答えはご存知だと思いますからここには書きません。

(もう少し読んでいただくとヒントがあります。)

五行説ではそこに色を加えました。

春は青、夏は赤(朱)、秋は白、冬は黒です。

これらを合わせた言葉が、青春、朱夏、白秋、玄冬です。

何歳から何歳までをそれに当てはめるかについてはいくつか説があります。

時代によって人の寿命が変わっているのですから仕方ないことでしょう。

たとえば現代の日本であれば人生80年。

計算しやすいです。

0歳~20歳が青春

21歳から40歳が朱夏

41歳~60歳が白秋

そして、61歳~80歳が玄冬、と

(この年齢区分はあくまでもわたしが勝手に区切った一例です。)

 

わたしは今、三本足、白秋にいます。

杖はまだ突いてはいませんが、腰を痛めているので早くは歩けません。

子供たちは小走りに先へ行ってしまいました。

わたしは秋の野山を眺めています。

時間には少し余裕ができました。

紅葉しきった葉がひらひらと舞い落ちていきます。

 

 

国家公務員「定年65歳」

10日夕刊の一面トップはこんなタイトルでした。

前々から憶測されてはいましたが、そろそろかもしれません。

実現すれば地方公務員や民間にも影響を与えることでしょう。

わたしにはまだ高校生の子供がいます。

長く働けるのはありがたいことです。

ですが、定年が延ばされても寿命が延びるわけではありません。

定年延長に反対するわけではありません。

ただ、そうなれば、定年後の人生の残り時間は確実に短くなります。

56歳で亡くなった父のことを思います。

55歳で退職したとき、父はすでに脳腫瘍の末期でした。

 

人生は70年80年あるとは限りません。

ですから、

わたしの人生は夕食を食べ終えたとたんに、おしまいになるかもしれません。

玄冬の時期を迎えることなどないかもしれません。

 

わたしにはやりたいことがあります。

まだそこに踏み出せずにいます。

踏み出せないくせに、気になって気になって仕方ないことがあります、、、

 

わたしは今、人生のどのあたりにいるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

f:id:keystoneforest:20180211232422j:plain

山猫@森の奥へ
似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。