山猫家のきのうの夕食メニューは関東煮だった。
入っていた具材は、大根、じゃがいも、ちくわ、ごぼ天、ゆで玉子、餅いり巾着、がんも、こんにゃく、手羽先、あと練り物が何種類か。
え? それって「おでん」のこと? と思われるかもしれない。
そう、「関東煮」は、実は「おでん」のこと。
「かんとだき」と読む。
「関東」と書いて「かんと」と読み、「煮る」のに「炊く」という動詞を使う。この辺がいかにも関西っぽい、かな?
きのうが3連休初日。3日分の夕食の食材を買いに出かけて、お肉と魚を1日ずつはすぐに決まった。あと1日は、、、鍋かな。でも、先週も鍋だったし、「おでん」がいいな、と思ってリクエストした。
思えば、とっさに口にしたのが「おでん」という言葉だった。でも、そうじゃなかった。「関東煮」と言わないといけなかった。
少し前まで、関東では「おでん」、関西では「関東煮」と言ったと思うが、今では関西でも「おでん」だ。子供たちに訊いても「関東煮」なんて知らないし、コンビニには「関東煮」なんて売っていない。いつの間にか、山猫も「関東煮」という言葉を忘れていた。
これも時代かな、と思う山猫はいかにも年寄り臭い。
あこれもこれもいろんな思いも込めて、鍋で具材をぐつぐつ煮込むうちに、家の中は甘辛い匂いと熱気に満たされていった。
そして、夕食の時間が来る。
熱々に炊き上がった「おでん」が食卓に運ばれてきた。
家族4人で鍋を囲んで「かんぱーい」。
山猫家の夕食の開始の挨拶は昔から「乾杯」と決まっている。親たちはビール。子供たちはもちろんお茶で乾杯する。
奥さんは自分用に具を取り分けた小鉢にからしを垂らす。それを具にちょいちょいっと付けて食べる。ごくごく普通の食べ方かな。
子供たちはそのままの味で食べる。
山猫は小皿にお醤油と生姜を用意する。
そして、お刺身を醤油に漬けて食べるのと同じように、おでんの具を生姜醤油に漬けて食べる。これが山猫の食べ方だ。生姜の味と風味がキリッと利いて旨みが増す。と思う。
山猫は子供の頃からこうやって「関東煮」を食べてきた。これが全国水準であると信じて疑わなかった。
一応、
「おでん」の存在は知っていたが、それは串に刺した食べ物だと思っていた。
たぶん、「ちび太のおでん」から植えつけられたイメージだと思う。
関東では串に刺した「おでん」だが、串に刺さずに大鍋で煮る(炊く)のが関西風で、だから「関東煮」と言うんだ、と勝手に思い込んでいた。
で、子供の頃の「関東煮」は家では作らずに、お店で買ってきた。
コンビニもスーパーもない時代だ。お店は、おそらく定食屋さんか一杯飲み屋さんだったのだろう。そこに家から鍋を持って買いに行かされた。
山猫がまだ小学校低学年の頃だったから、鍋を抱えたおつかいはけっこう大変だった。おまけにお店までの道のりはかなりあった。
よいしょよいしょと鍋を持っていって、お店に着くと母に言付けられたメモをおじさんに見せる。具を鍋に入れてもらった帰りは、歩くとタプンタプンしてお汁が飛び出しそうになる鍋を、こぼさないように慎重に慎重に運んだ。
それを家で温めなおして生姜醤油で食べる。美味しかったなぁ。
お店の大鍋で炊いた「関東煮」はとびきりのご馳走だった。
高校を卒業して、山猫は神戸で一人暮らしを始めた。「おでん」と「関東煮」は同じ食べ物らしい、とようやく気づいた。でも、周りの誰も生姜醤油では食べなかった。代わりにからしを付けて食べていた。
からしで食べるなんて、山猫にはとんでもないことだったが、生姜醤油でうまそうに食べる山猫は周りから異端者のように見られた。大阪人の奥さんからも当初は厳しい目で見られた。それに第一、塩分摂りすぎだし。
生姜醤油で食べるのは西播地方(兵庫県南西部)独特の食べ方らしい。
十年ほど前に、姫路の食文化でまちおこしをしようと考えた人たちが「姫路おでん」と命名したという。でも、それを言うなら「姫路関東煮」じゃないと、と山猫は少し不満に思う。「かんとだき」の方がはるかに美味しい気がする。
こぼさないよう一生懸命抱えて持ち帰った「かんとだき」の鍋。今から思えば、遥かに遠いと思った道のりは、ほんの数百メートルほどの距離だったかもしれない。