森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

イノシシの森に群生するふきのとう。

山猫の家は山の傾斜地にある。

辺りの山が住宅地として拓かれたのは、つい五十年ほど前のこと。

それまでは、イノシシやサルたちが棲む雑木林だった。だから、イノシシたちは平気で家の近辺を闊歩している。

”あとからやってきて偉そうにするな” と、きっとイノシシたちは思っているはずで、先日、山猫がイノシシに遭遇した事件は、実は、イノシシが山猫に遭遇した事件であったはずだ。

 

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家の前の道から一段下がったところに何か白いものが群生していて、少し前から気になっていた。

思い当たることがあった。

 

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ところで、この写真の奥の森にイノシシ親子が棲んでいる。

────のだが、それはおいといて、白いものの方に寄ってみる。

 

するとこんな感じ。

 

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これって、ふきのとうだ。

 

ハート形の緑色をした葉っぱが蕗、だとすると、白い花をつけているのは、ふきのとうに違いない。

漢字で書くと(変換すると)蕗の薹。「薹(とう)が立つ」の薹だ。

まさにとうが立っていた。それも何十本も。

ふきのとうの群生だ。

ふきのとうには雄花と雌花があって雌花は受粉すると花茎を伸ばす。そしてタンポポのような綿毛をつけた種子をつける。

何年か前、近くの空き地に蕗らしいものを見つけて、根っこから抜いてきて庭に植えたことがあった。

群生する白いものを見て、そのことを思い出したのだ。

 

本来が川の土手など、水辺近くに生えている植物なので、水を切らすとすぐにしおれてしまう。

朝、たっぷり水をやってから出勤しても、帰宅したときにはヘナヘナにしおれている。

かわいそうなその姿にいたたまれなくなって、また夜に水をやる。すると、ヘナヘナは朝にはしっかりと背すじを伸ばし、蕗らしい姿に戻っていた。その立ち姿がとても健気に見えた。

それと、水。

なんて不思議な力を持っているんだろう。この水の力にも山猫はほとほと感心させられた。

 

よしよし、山猫が水をあげないと、お前たちは生きていけないんだな。そんなことをブツブツ言いながら大量の水をやる。

山猫は水やりに使命感を燃やすようになった。

地下茎が生きていれば年を越してまた芽を出した。その芽がふきのとうだった。

春先には、山猫の庭でも何本かふきのとうが芽を出した。

 

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                    (庭に移植した翌年くらいに撮った写真)

 

ところが、山猫の家の庭は水持ちが悪いので、枯らさずに夏を越させるのはけっこう大変なことだった。

三年目くらいになると水やりの使命感も燃え尽き始め、蕗はヘナヘナどころか、カレカレくらいになることもたびたびあった。

仕事から帰ってくると、カレカレになって、ハート形の葉っぱの所々に虫食いの穴みたいなものが開き、端の方が緑色から薄茶に色褪せた蕗がさみしく山猫を待っていた。

使命感に駆られて、というより、罪悪感のあまり、庭がドボドボになるまで水やりをしたものだった。で、水の勢いが強すぎて、余計に蕗を傷めることになる。

それでも翌朝には、カレカレだった蕗は見事に復活していた。

蕗の生命力と水の持つ不思議なパワーに山猫は感動さえ覚えた。

 

ところが、、、

蕗はしっかりと背すじを伸ばしてはいるが、当然ながらカレカレの状況は少しも改善されていない。

いくら水分を補給しても、枯れたものは元には戻らない。 

で、どうなったかというと、そこには、虫食い痕のような醜い穴をいくつも開けて薄茶に色褪せた蕗がまるでゾンビのように立っているのだった。

 

その翌年、ふきのとうは芽を出さなかった。

その次の春も、またその次の春も。

もちろん、今年の春も。

 

 

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