森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

小鼠、ニューヨークを侵略(THE MOUSE THAT ROARED)

北アルプス連峰のけわしい山ひだの一つに位しているグランド・フェンウィック大公国には、三つの盆地、一つの川、高さ二千フィートの山が一つと、それに城一つとがある。北部の峰々の斜面は地味豊かで陽あたりもよく、香り高い小粒で黒色の葡萄がみのる。この葡萄からピノー・グランド・フェンウィックと呼ばれるワインが醸造され、世界のワイン愛飲家にこよなく愛されている。このワインの年間生産量は、この六世紀の間、年に二千本を越したことが一度もなかった。

グランド・フェンウィック大公国は大交易路に当たっておらず、貴金属はおろか金属と名のつくものを産する鉱山も皆無だった。港もなければ大きな運河もない、つまり征服者の気持ちをそそるようなものを何一つもっていなかった。その結果、大公国は二十世紀にはいるまで、侵略を受けたことがないし、世間に知られてもいず、自給自足の自由な国となった。

ところが、輸出するものがワイン以外にひとつもないこの国が、人口の自然増と土地の肥沃の自然減に襲われる。二十世紀初頭に四千人だった人口が第二次世界大戦の頃には幼児死亡率のいちじるしい低下が原因となって六千人にふくれあがった。そして、膨張する需要に必要な金を余計にかせぐために、何らかの輸出振興策を捜し出さなければならなくなった。

ここで提案されたのが、唯一の輸出品であるワインを水増しして輸出本数を増やす、という作戦だった。この提案を巡って大公国に国を二分する大論争がまきおこる。そして〈水割り党〉対〈反水割り党〉が総選挙で争い、その結果国会においてそれぞれ半数ずつを占めることとなった。といっても、全議員は十人だから、それぞれ五人ずつでしかないが。どちらも過半数がとれず政策の決定権を奪えなかった。

かくしてこの先大公国がとる政策の決定は、先代の父君大公が一年前に逝去し、その後を継いだばかりの、わずか二十二歳のグロリアナ十二世大公女に委ねられることになった。

大公女がいくつかの意見を聞いた末に、最後に選んだ、国を豊かにする政策とは、アメリカ合衆国に宣戦布告することであった。それだけでもありえないくらい荒唐無稽な提案なのに、彼女が目指すのはアメリカに勝利することではなく、敗北することだった。

大公女は一体何を考えている?

その理由が面白い。

作者、レナード・ウイバーリーは、あきらかに第二次世界大戦でアメリカに敗北した日本の戦後の高度経済成長をそこにダブらせている。

以下、大公女の言葉をそのまま引用する。

「ある国がお金が必要の場合、合衆国と戦い負ける以上に、その国の利益となる計画はほとんどないというのが事実なのです。アメリカとの戦争なら1エーカーたりと国土を没収される心配はありません。戦勝国の敗戦国に対する処置として一般に認められているのは、たしか、二度と戦争に役立たぬように、重工業その他の施設・工場を解体・破壊し、それらの設備の再建設を厳禁することです。ところが、これも行われないのが落ちなのです。というのはこんな計画を実行に移せば、敗戦国の経済が立ちいかないか、あるいは他の敵国から国を守れなくなると分かっているからです。いずれの場合にしても、あるいは両方の場合にしても、アメリカは、そこが変わっている性質なのですが、自分のお金をつかっても手伝いを買ってでて、救けたい気持ちになるのですよ。」

中略

「平和条約締結のインクが乾くひまもなく、アメリカは前の敵国を救うために、食糧、機械、衣料、建築材料、資金、それから技術援助などを、続々とするのです。」

中略

「なにからなにまで、前にいったように、お金や信用のない国にとって、アメリカと戦争し全面的敗北を喫するほど、利益になる確実な方法はほかにありません」

大公女の提案について、枢密院議会と自由民会議との両方で投票が行われ、アメリカ合衆国に対する宣戦布告が満場一致で可決されることとなる。

で、もし、その戦争にグランド・フェンウィック大公国が勝ってしまったとしたら?

その先はネタバレになるので書かない。

 

昨日、『小鼠、ニューヨークを侵略』を思い出した後、本棚を探して、強烈な古本臭がするその文庫本(創元推理文庫)を見つけ出した。1976年12月24日発行、初版だった。値段は240円である。

最初の数ページを読み返し、少しずつ記憶が蘇ってきた。やっぱり面白い。

ちなみに、「山猫ノート 8」で紹介した文章にはその前段があった。

大公国の初代となるロジャー・フェンウィックの言葉である。

「彼の生涯を伝えるわずかに残された遺構によると、彼はオックスフォードに学んだ二か年間に三つのことを肝に銘じたという。第一は、それに彼は最大の価値をおいていたのだが、『イエス』は『ノー』に転じるかもしれないということ、そして事に当たって充分に言葉をつくすならばそのあべこべにもなる、つまり『ノー』が『イエス』に変わるということであった。第二に、いかなる議論でも勝者は常に正しいということ、第三は、ペンは剣よりも強いけれども、剣はいついかなる時でも、烈しく力強く口をきくということだった。」

若き日のロジャーが味わった苦い思いがこの言葉に凝縮されているように思える。

ちなみに、この作品は『マ・ウ・ス(THE MOUSE THAT ROARED)』というタイトルで映画化されていて(1959)、主人公のグロリアナ十二世を『悲しみよこんにちは』、『勝手にしやがれ』などで知られるジーン・セバーグが演じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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