山猫Mが通う高校では、
一度減らしてみて、
1年生の勧誘は諦め、2年生から人を集めるしか手はない。1人はアテがあった。もし、
残りは他の部活から探してくるしかない。
実は、
山猫Mはバスケ部の新キャプテン(2年生)に声をかけた。バレーボールを続けたいなら自分が動くしかない。2人しかいない部活だけど、一応山猫Mはバ
一方のバスケ部にしてもバスケを続けたいなら他に手はなかった。美味しい提案というしかない。
利害を同じくする2つの部活の意見が一致するにはほとんど時間は
バレー部2人、バスケ部3人、元野球部1人目、2+3+1=6。
ちなみに元野球部の1人はバレー部だけに所属する考えなので、
最後に一番肝心なことは、それぞれの部活動の顧問の先生、
これがバレーバスケ部誕生の顛末である。
すぐに先に夏休みが迫っていた。練習日をどうするのか、
9月初旬には土日の二日間に続けてバレーとバスケの公式戦をこなす、というハードスケジュールも経験した。このとき、バレー部が土曜日の試合に勝ち残ると、日曜日のバスケ部の試合と重なってしまう、というような危ない場面もすり抜けていかなければならなかった。
そして、10月を迎え、いよいよ春高地区予選が始まった。