森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 阪神淡路大震災記 4

 ラジオからは朝のパーソナリティが地震の状況を伝える緊迫した声が聞こえてきていた。声は堅くぎこちなかった。けれど、地震のひどさを推し量ることができたのはそんな声の表情からだけで、大阪のラジオ局の情報でさえ、思うように状況を把握できないもどかしさが感じられた。
 震源地の場所も、地震の規模もよく分からない。尼崎辺りで家が何軒か倒壊しているとか、怪我をした人が何人かいるとか、伝えられている内容が、大阪のごく限られた地域のことでしかなくて、自分の眼前にある光景とのギャップに馬鹿らしいほどの違和感を覚えた。自分の目で確かめたことしか信用しちゃいけない、格好良く言えば、そんな思いを強くしただけだった。
 外には隣家の夫婦も顔を見せていた。大変なことになりましたね、としゃべったと思う。話のついでに蝋燭を分けて何本か渡した。他にも何人かが外の様子を伺っていた。見ると、向かいの家の奥に、もう一軒家が潰れているのが分かった。向かいの家が倒れて、その奥が見通せるようになったからだ。近所の誰かが、あそこには老夫婦が住んでいたんじゃなかったか、と呟くのが聞こえた。
 私はとりあえず必要なものはすべて身に付けている。行ってみることにした。ドアが外れてるんだから、家の戸締まりを気遣う必要もなかった。地震の後しばらくは、多くの家で似たようなものだったんじゃないだろうか。
 崩れ落ちたその家の玄関辺りから呼びかけてみた。こんな時だって、やはり玄関にこだわるものなんだ。今思い返すと、なんだか笑える。不意に、少し変わったイントネーションの声が返ってきた。潰れた家の屋根の上からだ。確か、こっちに来てください、と僕を呼ぶ声だった。
 屋根によじ登るのは簡単だった。ほとんど瓦礫の山みたいなものだったからね。登っていくと、上にいたのは外国の人だった。この下です、と彼は言ったと思う、……片言の日本語で。それから一緒になって、瓦を押しのけて、屋根板を剥がし始めた。スキーのグローブがずいぶん役に立った。木造の家なら人の手だけでも何とかできてしまうものだ。

 

 

 

 

 

 

 

  
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