森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 阪神淡路大震災記 5

 しばらくして、瓦礫の下から声が聞こえてきた。うまい具合に空間があって、そこに老夫婦がいるのが確認できた。おばあさん、おじいさんの順に引き上げた。どちらも怪我はないようだった。おばあさんは薄着だったから、後で家からセーターを取ってきてそれを渡した。あれは返してもらえなかったが、まあ、それはいい。
 そこで初めて、私たちは名乗り合った。センノ、と彼は自分を指して言った。そう聞こえた。お国までは訊かなかったが、ヨーロッパ系の人だった。
 近所に川崎重工業の宿舎があった。センノはそこに住んでいると言った。日本語で。
 地震がおさまって窓から外を見ると、こっちの方角で家が何軒も倒れているのが見えた。それでやってきたんだ、と説明してくれた。
 会下山一帯には傾斜地に建てられた家が多く、また古い木造の家も多かった。先の大戦で神戸の旧市街の六割以上が空襲で被災した中で、幸いにもあまり大きな被害を受けずに済んだ地域だった。今度はそれが禍となった、のかもしれない。
 センノと二人で、会下山を登っていくことにした。そこから先は、昨日までの見知った街じゃなくなっていた。大半の家が傷んでいる。私が住んでいた路地の一角の数軒がたまたま無事だっただけで、どっちを向いてもまっすぐに立っている家などほとんどないくらいだった。崖の際に立っていた家など、家ごと崖下までずり落ちてしまっていた。見下ろすと、ひしゃげた空箱のような家が落ちていて、布団や食器や家具や、その中身が斜面のあちらこちらに散乱していた。
 たぶん倒れた家から辛くも逃げ出すことができた人だろう、瓦礫に向かって大声で、逃げ遅れた人の名前、きっと家族の名前に違いない――、を呼んでいた。
 事情を訊こうとしても、声をかける隙を誰も見せない。厳しい目付きで倒れた家を睨んでいる。あちらでもこちらでも、大変なことになっていた。
 ドアが潰れて開かない。バールや金槌、金属バット、ゴルフクラブ、その辺にあった棒っ切れ、で、叩き壊してこじ開ける。散乱した食器や木片を蹴飛ばして中に入る。ウイスキーの匂いなんてもうしない。ガスが漏れている。身体を屈めて入る。どこに頭をぶつけるか分からない。倒れた家具を持ち上げ、壁を蹴破って奥の部屋へ進む。声をかける。名前なんか知らない。誰かいませんか、誰かいませんか。返事はない。無事に逃げられたのかもしれない。その人の縁者でない私は、そう期待してそれ以上心を痛めない。そんな私を押しのけて、さらに瓦礫の中に入っていく人がいる。私はそこから先には進めない。
 センノは、次から次へ倒れた家を見て回って、声をかけていく。誰も傍にいない倒れた家を見つけると中を探り、応援が集まると、すぐにまた別の家を探しに行く。何軒か一緒に回った。そのうち、私が一軒の家で埋もれた人を引っ張り出すのを手伝っている間に、別の場所へ行こうとするのが見えた。じゃあ、と片手を挙げるセンノの後ろ姿を目にしたのが最後だった、と思う。が、本当はそんなに格好いい別れじゃなかったのかもしれない。

 

 

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